第31話 ジョーズ・ショック

 ケイトとヘレネは、フカノとペンプレードの戦いを船上から観戦していた。初めは互角に戦っていると思っていた2人だったが、フカノがサメから逃げて彼女たちの船に向かってきているのを見て、ようやく不利を疑った。


「おーい、大丈夫かい?」

「フカノ、大丈夫か?」

「駄目だ、マトモにやったら!」


 フカノは海上から叫び返した。


「じゃあどうすんのよ!」

「アウリアさん、その船に魔法使いっているか!?」

「魔法使い? ちょっと待ってて!」


 アウリアは甲板を振り返って叫んだ。


「この中に魔法が使える奴いるかー!?」


 すると、数人の魔法使いたちが駆け寄ってきた。


「お呼びですか?」

「うん。えーとね……」


 アウリアは再びフカノに顔を向ける。


「フカノー! なんの魔法?」

「雷だ!」

「雷! 雷の魔法を使ってほしいのよ!」

「雷かあ……お前、使える?」

「いや、自分には無理です。去年、免許を貰ったばかりなんで」

「ああ、そっかあ。俺も独立してから3年経つけど、雷はまだ研究してねえなあ」


 フカノやアウリアは知らないことだが、雷属性の魔法は他の属性の魔法よりも習得難易度が難しい。その上、日常生活での使い所も限られているため、習得している魔法使いは少ない。その上、戦場で使えるような熟練者ともなれば、既に死んだ"魔術百般"ディオメテウスと、その他一握りの実力者ぐらいであった。


「勇者様、雷じゃないと駄目なんですか? 氷の魔法なら自信ありますよ、俺」

「いや、雷じゃないと駄目なんだ! ロボだから!」

「ロボ……?」


 フカノの口から出た聞き慣れない言葉に、船上の魔術師は首を傾げた。


「とにかく! なんでもいいから雷を頼む! 誰かいないか?」


 フカノの叫びに対して、1人の魔法使いが進み出た。黒いローブを身に纏った青年だった。


「……雷ならなんでもいいのか?」

「ああ!」


 青年は空を見上げた。黒雲が立ち込め、激しい雨が降り注いでいる。


「……わかった。準備する。何を狙えばいい?」

「ヘレネさん! 縄が付いた銛をください!」

「おう!」


 ヘレネが投げ落としたアドリーの銛を、フカノは受け取る。


「魔法使いさん! 次に俺が水中から出てきたら、この銛につながってる縄に雷を落としてください!」

「……雷は濡れた縄を伝わるぞ? 大丈夫か?」

「大丈夫です! っていうか、それが狙いです!」

「……わかった。やってみよう」


 青年が頷くと、フカノは水中に潜った。青年にはフカノの狙いがわからなかったが、とにかく彼が言ったとおりに魔法の準備を始めることにした。


「お前、雷魔法が使えるのか!?」


 隣の魔法使いが、驚きの顔で青年を見た。青年は小さく頷いた。


「……呪文は知ってる。今日みたいな天気なら、なんとか」


 青年は杖を構え、目を閉じて瞑想し始めた。


「命ず。四海の精霊よ、我が声に耳を傾けよ。

 これより告げるは暗雲の号令。天空の黒雲よ、我が求めに応じ、稲妻を生め」


 青年の呪文に呼応し、頭上の黒雲が稲光を放ち始めた。彼の雷魔法は、雷を直接生み出す普通の魔法ではない。頭上の雨雲を雷雲に変化させ、そこから雷を落とす、回り道の方法だ。必要な魔力も手順も多く、雨雲があるという条件も必要だが、普通の雷魔法よりも簡単に放てる。


「次いで命ず。四海の精霊よ、我が声に耳を傾けよ。

 これより告げるは雷鳴の号令。天空の雷雲よ、我が求めに応じ、稲妻を落とせ!」


 頭上の雷鳴が、ひときわ大きく轟いた。雷を落とす準備は整った。青年が呪文の締めを呟けば、目の前の縄に雷が落ちる。フカノが水中から顔を出すその時を、青年はただ静かに待ち続けた。



――



 ロボは電撃に弱い。フカノにとって、いや、全日本人にとっての真理である。異世界でもその真理が通じるかどうかはわからないが、賭けて見る価値はあった。

 フカノは銛を片手に海中を泳ぐ。少し離れた所にロボシャーク・ペンプレードの姿が見えた。向こうもフカノを見つけたようだ。目を光らせ、真っ直ぐに突進してくる。フカノはそれを避け、ペンプレードの腹に銛を突き出した。ペンプレードの鋼鉄の体は、同じく鋼鉄の銛を弾き返す。


「やっぱ駄目か!」


 弾かれた槍を握り直し、フカノはどうやって電撃を叩き込むべきか考える。そこに、ペンプレードの杭打ち銃が狙いを定める。フカノは慌てて身を翻し、放たれた杭を避ける。杭は真後ろにあった船の胴体に突き刺さった。

 フカノはペンプレードの杭打ち銃に注目した。小さな穴が空いている。あそこになら銛をねじ込めるかもしれない。チャンスを伺い、フカノはペンプレードが再び突撃してくるのを待つ。ペンプレードは背びれも横びれも動かさず、戦車の超信地旋回めいて方向転換していた。

 ペンプレードがこちらを向いた。チェーンソーを唸らせ突撃してくる。背びれのチェーンソーを避け、杭打ち銃に銛を突き出す! だが、銛はまたしても弾き飛ばされた。穴が小さすぎる!


「ぐっ!?」


 フカノの足首に、ヤスリがけされたような痛みが走った。チェーンソーが掠ったようだ。脚から流れた血が海に溶け込む。糸のように流れたそれが鼻に掛かった途端、フカノの心臓が一際強く拍動した。


「が、はっ……!」


 血を嗅いだことによる極度の興奮状態、サメの発作だ。視界が赤く染まる衝動を、フカノは必死に抑える。サメやスコスと戦った時のように、我を忘れて暴れ出しはしなかった。自分がそうなるとわかっていれば、案外我慢できる。深呼吸して、フカノは再度、銛の叩き込み方を考える。


「もっとデカい穴が必要だな……」


 ペンプレードは方向転換して、大きな口を開いてフカノに向かってきた。ペンプレードの口には鋭い刃が並んでいる。その光景を見た時、フカノの脳裏にある作戦が閃いた。

 フカノは体の向きを変え、海底に向かって潜り始めた。当然、ペンプレードもそれを追いかける。するとフカノは突然振り返り、銛を投げつけた! しかし、銛はペンプレードから逸れて、海面を突き破って海の外に飛んでいってしまった。ペンプレードは猛然とフカノに襲いかかる。海底まで追い詰められたフカノは、間一髪その突撃を避けた。ペンプレードは轟音を立てて、海底の岩盤に突き刺さった。


「……やったか?」


 頭から岩に埋まったペンプレードを見て、フカノは言った。その呟きに応えるかのように、ペンプレードが動き出した。岩を削る耳障りな音を立てて動き出したペンプレードの顔面は、全くの無傷。傷ひとつ、へこみひとつ無い。フカノは舌打ちすると、今度は海面に向かって泳ぎ始めた。

 だが、フカノの速さは今までとは格段に違う。後先顧みない全力だ。ペンプレードは引き離されまいと、更にスピードを上げてフカノを追う。フカノも負けじと浮上スピードを上げる。


「追ってこい……!」


 フカノの視線の先には、一筋の希望があった。それは、海中に垂れ下がった縄。片方はアウリアの船に、もう片方は、フカノが投げて近くの船に刺さった銛に結び付けられている。フカノがその横を通り過ぎる。ペンプレードが後を追う。その口に、縄が引っかかった。


「よし!」


 もうフカノは止まらない。海上までトップギア、海面を突き破った時、彼の体は勢い余って宙に浮いていた。さながら、イルカのショー、あるいはハーピーに食らいつくサメのようであった。


「今だ!」


 アウリアの船に向かって叫ぶ。足元では、ペンプレードが縄を加えたまま、フカノを追って海面を飛び立っていた。


「くたばれ、化物!」



――



 狙うは、目の前に垂れ下がった縄。外すはずがない。

雷神ゼウスの怒りを思い知れ! 雷槍穿撃ケラウノス!」

 青年の最後の一言で呪文は完成した。



――



 稲妻が戦場に落ちた。一撃で神殿すら破壊するほどの莫大なエネルギーは、濡れた縄を伝ってそれに噛み付いているペンプレードに流れ込んだ。宙を舞うペンプレードの体は、雷を受けて青白いスパークを放った。十分に電撃が流れ込んだ後、ロープは電撃によって焼き切れた。

 鋼鉄の巨体が海に落ちる。衝撃で巨大な水柱が上がる。遅れて、フカノが海に落ちた。

 水柱が収まったところには、ペンプレードが仰向けになって浮いていた。どうやら、機械のサメは水に浮くらしい。いや、そんなことよりも。フカノは思い直す。


「倒した……!」


 ペンプレードは動かない。やはり、ロボは電撃に弱かった。


「倒したぞーっ! サメを倒したぞーっ!」


 フカノは天に向かって吠えた。歓喜の雄叫びだった。死にそうな目に遭いながらも、ロボのサメという不可思議な驚異に晒されながらも、これを制した。その興奮が、彼を叫ばせていた。


「サメを」


 フカノの背中に衝撃が走った。次の瞬間、彼の体は猛スピードで前進していた。押されている。何に? 振り返ったフカノは目を剥いた。ペンプレードの鼻先が、彼の背中を押している。そして、フカノの腰から下は、ペンプレードの機械の口の中に半ば飲み込まれていた。


「……うわあああっ!?」


 遅れてやってきた恐怖に悲鳴を上げる。このままでは食われる。しかし、ペンプレードが進む勢いが強すぎて離れられない。鼻先にしがみつくのが精一杯だ。もし、今、ペンプレードが口を閉じれば、それだけでフカノの体は両断されていただろう。しかし、電撃を受けたペンプレードは暴走状態であり、口を閉じることはなかった。チェーンソーをデタラメに起動させ、杭打ち銃を乱射しながら、ペンプレードは戦場を駆け抜ける。周りの船は驚き、それを見送るしか無かった。手漕ぎの船で追いつける速さではなかった。


「チクショウ! なんなんだよ、離せっ!」


 フカノは必死に鼻先を殴りつけ、口の中を蹴り続ける。もちろん、鋼鉄の塊をどうにかできるわけではない。だが、滅茶苦茶に動かしたフカノの脚は、鉄とは違う何かを蹴った感触があった。すると、途端にペンプレードは急停止した。


「ひぃ……」


 とんだ機械の断末魔だった。恐怖に身を震わせながら、フカノはペンプレードの口から這い出す。


「何してるの……?」


 そこには、ケイトがいた。


「え?」


 フカノが辺りを見回すと、そこは戦場から大分離れていた。近くにはクトニオスが乗っている船があり、そして目の前には海面に立つケイトの姿があった。


「なんで?」


 状況がわからず、フカノは間抜けな声を出した。

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