第25話 美女とサメ人間
フカノが目を覚ますと、そこはベッドの上だった。仰向けになったまま、彼は呆然としていた。自分は船の上にいたはずだ。ワニ男と戦っていたのに、どうして部屋の中に。負けて捕まったのだろうか。いや、この天井はいつもの部屋に違いない。
頭の中に様々な疑問が浮かぶ。頭痛を覚えて、額に手をやった。それから目を見開いた。手がある。ワニ男に両手を食いちぎられたはずなのに、どうして。夢だったのだろうか。いや、そんなはずはない。肘から先を失った、あの生々しい感触はハッキリ覚えている。生えた? 生やした? 魔法? 試しに両手を握ったり開いたり、腕を回してみる。問題なく動く。特におかしなところはない。
体を起こそうとしたが、猛烈なだるさを感じたので、フカノは横になったまま部屋を確かめた。間違いなく、王宮の、いつもの部屋だ。何日か泊まってたので覚えている。ドアの方に目を向けると、ドアノブが回る音がした。誰かが入ってくる。フカノは、思わず体に力を込めた。
入ってきたのはケイトだった。どういう訳か、顔色が悪く、目が虚ろだった。ケイトはフカノを見て、彼が目を開けていることに気付くと、数秒の間固まった。
「ふえっ!?」
そして、すっとんきょうな声をあげた。
「あ、あ、貴方、起きてたの!?」
「ああ、うん」
返事をしたフカノの声は、自分自身で驚くほど掠れていた。
「いつ起きたの? 大丈夫? 腕は痛まない? 気分は平気?」
「だるい」
「そう……水、飲む?」
「ああ」
ケイトはコップに水を注いでフカノに渡す。それを飲むと、少しだけ気分が良くなった。
「貴方、3日も眠っていたのよ。医者は目を覚まさないかもしれないって言ってたけど……とにかく、起きてくれてよかったわ」
「3日も? ……そうだ、皆は大丈夫なのか?」
「ええ。全員無事よ。王都に帰ってこれたわ。アウリアも……何をどうやったのかわからないけど、上手いこと逃げたみたい」
どうやらマイアもクトニオスも無事なようだ。フカノは安堵のため息をつく。
「今は、貴方が持ってきてくれた魔石を使って、サメ退治用のアドリーを作ってる。王都の職人を総動員しているから、一週間ぐらいでできるはずよ」
「そうか、よかった」
サメ退治の準備も順調なようだ。何もかも心配がないことがわかると、やはり、どうしても自分のことが気になってしまう。
「なあ、ケイト」
「何?」
「俺の腕、どうなったんだ?」
ケイトの表情が強張った。その顔だけで、フカノは何か普通じゃないことが起こったと、察することができた。
「えっと、その」
「魔法で治したのか?」
「……腕が無くなったこと、覚えてるの?」
「ああ」
ケイトは虚空に視線を彷徨わせながら何か考えている。フカノは彼女の口から言葉が出るのを、ただひたすらに待った。
長い長い思案の後、ようやく彼女は口を開いた。
「いい、フカノ。落ち着いて聞いてちょうだい。まず、失った腕を治すような魔法は無いわ」
「うん」
「それで、腕を生やすことができる医者もいない。ここまではいいわね?」
「うん」
異世界の医術なので、そんなにレベルが高くないこともわかる。そもそも日本にだってそんな医術は無い。
「それで、貴方の腕なんだけどね……マイアが治したのよ」
「……マイアが?」
意外な名前に、フカノは驚いた。マイアにそんな力があったのだろうか。そう考えていると、ケイトは更に言葉を続けた。
「マイアは……海の女神よ。だから、海と魚に関することなら、魔法の領域を超えて奇跡を起こせる。その力を使ったの」
「待ってくれ、俺は魚じゃないぞ?」
「魚なのよ」
「は?」
「貴方は人間じゃない。サメの肉で体を形作られた、サメ人間なのよ」
部屋の中が沈黙に満たされた。フカノは、自分の心臓の音も聞こえなかった。
「サメ人間……?」
「ええ。マイアには人間の体を作る力が無いわ。だから彼女は、貴方を転生させる時、近くにあった魚の肉を使って、限りなく人間に近い魚を作った。つまり。貴方の体は、貴方が前の世界で殺したサメの肉でできてるの」
「そんな、滅茶苦茶な……」
「滅茶苦茶よ。私だって、初めて見た時は信じられなかったわ。でも、貴方の腕に魚をくっつけて治してたんだから、信じるしかないじゃない」
「魚? この腕も、魚なのか?」
フカノは自分の腕に軽く噛み付いてみた。味も食感も、人間のそれだ。赤身魚でも、ましてや白身魚でもない。
「冗談はやめてくれよ。大体なんだ、サメ人間って? 特撮映画じゃないんだぞ。俺のどこがサメだっていうんだ?」
「サメは、血の匂いを嗅ぐと興奮するでしょう?」
ケイトは腰からナイフを抜くと、自分の人差し指を軽く切った。赤い血がケイトの指先を染める。微かな鉄の匂いが、フカノの鼻をついた。
途端に、フカノは目を見開いた。呼吸が荒くなる。心臓の音が嫌に大きく聞こえる。得体の知れない衝動が、体の中を駆け回る。たまらず、布団を握りしめて、暴れだそうとする体を抑え込む。
「どう? 興奮してきたでしょう?」
ケイトの声が、頭蓋骨の中で反響する。頭が痛い。息が乱れる。
「それが、貴方がサメ人間である証拠よ。それとも、転生前からそんな体質だったのかしら?」
「違うっ!」
その一言で頭に血が上ったフカノは、ケイトに掴みかかった。
「きゃっ!?」
突然手をかけられたケイトは、バランスを崩して倒れてしまう。目覚めたばかりのフカノも、足元がおぼつかず、後を追って倒れ込む。自然と、フカノがケイトを押し倒す形になった。フカノの視線は、倒れたケイトの、露わになった首筋に釘付けになった。白く、うっすらと血管が見える肌。その下に感じられる、血の通った筋肉。人の体なのに、まるで肉汁の滴るステーキのように、美味しそうに見える。
噛みつきたい。食いちぎりたい。そんな衝動を、フカノは必死に抑え込む。相手は人間だ。それも知り合い、ケイトだ。そんなことをしてはいけないと、必死に自分に言い聞かせる。
「フ、フカノ? あれ、やりすぎた……!?」
ケイトは驚き、怯えている。その様相を見て、ますます喰らいつきたくなり、同時に、抑え込まないといけない気持ちも強まった。
「う、ぐぅ……」
「ちょっと、早くどいて! お願いだから……」
「悪い、静かにしてくれ。動くとヤバい」
「何が……?」
そう言いながらも、ケイトは大人しくなった。しばらく、押し倒した体勢のまま、フカノとケイトは見つめ合う。
「あ、あの」
ケイトがおそるおそる、といった様子で口を開く。その声に衝動が刺激され、フカノは歯ぎしりしてそれを抑え込む。
「目を、逸らしてくれないかしら?」
「無理だ」
眼球を動かすだけで、理性が吹き飛んでしまいそうだった。ケイトの願いは聞けない。
いつになったら落ち着くんだ、とフカノが思っていると、ドアが開く音がした。誰かが部屋に入ってきたようだ。
「フカノさん……!?」
顔をあげると、マイアが入り口に立っていた。彼女は驚いてしばらく呆然としていたが、やがてパァッと笑顔を浮かべた。
「よかった、フカノさん、目が覚めたんですね!」
「ちょっとお!? 他に言うことがあるんじゃないの!?」
押し倒されたままのケイトが悲鳴を上げた。
「あ、そうですね。目を覚ましたばかりですもんね。すぐに誰か呼んできます!」
そう言うと、マイアは部屋を出ていってしまった。
「え、ちょっと!? どこに行くのよ!?」
しばらくすると、マイアはメイドを連れて戻ってきた。
「呼んできました!」
「お呼びでしょうか、ってきゃあああっ!?」
挨拶しながら部屋の中を覗いたメイドは、フカノがケイトを押し倒している光景を目の当たりにして悲鳴を上げた。
「なっ、これはどういう!?」
「フカノさんが目を覚ましたんですよ!」
マイアの返答は要領を得ていない。天然だ。
「私にどうしろと……別の者を呼んできます!」
「ちょっと!?」
ケイトの悲鳴を背に、メイドは部屋を出ていった。
「呼んできました!」
「姫様、何か……姫様ーッ!?」
次に来たメイドも、挨拶しながら部屋の中を覗いた瞬間、悲鳴を上げた。
「ど、ど、ど、どうしてこんなことに!?」
「わからないわよ! 女神様、なんなんですかこれは!?」
「フカノさんが目を覚ましたんです!」
マイアの返答は要領を得ていない。天然だ。
「……メイド長を呼んできます!」
「また!?」
2人目のメイドも部屋を出ていった。
「呼んできました!」
「まったく騒々しい。王宮に仕えるメイドたるもの、いついかなる時も静かに、上品に務めるものですぅん……」
やってきたメイド長は、自分のモットー通り、静かに上品に卒倒した。
「メイド長ーッ!」
「ちくしょう、このババア、いつもふんぞり返ってやがるくせに、肝心な時に役に立たねえ! 次、呼んできます!」
「たすけて……」
ケイトの呼び声も虚しく、次の目撃者が呼び出された。
「呼んできました!」
「ちくわ大明神」
「駄目ですね、次!」
「誰だ今の」
結局、まともに判断できる人間を引き当てるまで、10人以上が犠牲になった。
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