第26話 インタビュー・ウィズ・ジョーズ

 医者が言うには、フカノのめまいの原因は貧血だということだった。確かに、あれだけ血を流したのだから、血が足りないのは当然だ。そこでフカノは、とにかく安静にして、栄養たっぷりの食事を摂って体力を取り戻すことになった。

 幸い、サメ退治の準備は着々と進んでいた。対サメ用魔法ボウガンは完成間近だが、船団を組むための乗組員が足りないので、各地から傭兵を集めているらしい。人数が集まり次第、サメ狩りを始めるのだろう。


「だから、もう貴方が戦う必要はないのよ」


 面会に来たケイトは、最後にそう言った。


「サメとの決着は、この世界の人間が着けるわ。……今まで、本当にありがとう」


 もう、フカノが冒険をする必要はなくなった。しかし、人間とは贅沢なもので、やることが無くなると途端に退屈を感じるものだ。転生者であるフカノも例外ではなく、毎日3食、麦と豆のごった煮粥を食べる生活に飽き飽きしていた。


「暇だ……」


 フカノがそう呟いたのも、何度目になるかわからない。王宮は今日も平和で、フカノの部屋にニュースなど一つも入ってこなかった。

 彼の手元には巻物がある。王宮の書庫から借りてきたもので、伝説の勇者が船で各地を巡る冒険物語だ。残念ながら、それほど面白くはなかった。1つひとつの要素は面白いのだが、伏線も何もなしに話が展開していくため、いまいち話に乗り切れない。あと、途中まではモンスターと戦う話だったのに、後半から鉄製の自動人形、日本風に言えばロボット同士の対決に路線変更したのもまずかった。まるで出来がイマイチのB級映画だ。

 巻物をサイドテーブルに置いて、フカノはベッドに寝転がった。眠くはない。さっき、昼寝から起きたばかりだ。この時間が一番退屈だ。どうしたものかと退屈を持て余していると、ドアがノックされた。誰か来たようだ。


「どうぞー」


 呼びかける。しかし、ドアが開かない。不思議に思っていると、大分遅れてからドアが開いた。入ってきたのはマイアだった。


「お、お久しぶりです、フカノさん」

「……久しぶり」


 言われてみれば、目を覚まして、ケイトとドタバタ騒ぎを起こした時以来会っていなかったことに気付いた。あの時も、最後に来た医者が他の人間を追い払う頃には、マイアの姿は消えていた。だから、こうして言葉を交わすのは、目を覚ます前以来、ということになる。


「あの、近くに行ってもいいですか?」

「いいけど?」


 マイアがぎこちない動きで近付いてくる。なんだか妙に緊張しているようだ。フカノは自分の体について問いただしたかったのだが、どうにも様子がおかしいので、まずはマイアの出方を伺うことにした。


「あの、その、えーと」


 話す前からマイアはしどろもどろになっている。一体何があったのだろうか。


「……ごめんなさい」


 自分で沈黙に耐えきれなくなったのか、マイアはとうとう謝り始めた。


「いや、謝られても困るんだが……そもそも何の話なんだ?」

「ですから、ごめんなさい」

「そうじゃなくて、何か話があって来たんだろ? なんでもいいから、話してみてくれよ」

「はい、ごめんなさい」

「うーん?」


 何か話が食い違っている気がする。


「わかった、落ち着こう。リテイクだ」

「りていく?」

「もう1回、初めからやり直す、って意味だ。落ち着いて、深呼吸してもう1回最初から話してみてくれ」

「わ、わかりました」


 マイアは頷くと、ベッドの側から離れて部屋を出ていった。そこからやり直すのか、とフカノは思ったが、指摘するとまた話がややこしくなりそうなので、黙っていた。

 ドアがノックされる。


「どうぞ」


 すると、ドアが勢いよく開かれて、マイアがベッドの側に駆け寄ってきた。


「フカノさん! 勝手にお魚で体を作って、ごめんなさいっ!」

「お、おうっ!?」


 やることは変わらず、マイアはフカノに謝った。ただ今回は、何故謝るのかという理由がついてきた。そしてそれは、フカノが問い質したいことでもあった。


「……そうだよ、なんで俺をサメ人間なんかにしたんだよ」

「そうしないとフカノさんを転生させられなかったからです。ほら、私、海とお魚にしか、力を使えないでしょう?」

「だからってあのサメの死体を使う必要は無かったんじゃないのか?」

「……すみません。その右腕なんです」

「右腕?」


 フカノは右腕を掲げる。サメに食い千切られた、エラが付いている方の腕だ。


「覚えていますか? 貴方が転生した時、サメが貴方の右腕を、魂ごと食い千切ったと言ったことを」

「ああ、そういえばそんな話だったな。それで新しく腕を作って……」


 そこでフカノも、サメ肉を使わなければいけなかった理由に気付いた。


「まさか、腕に?」

「はい。どうしても、腕を食べたサメの肉を使わないと、フカノさんの体を再生できなかったんです。だから、フカノさんをサメ人間にするしかなかったんです」

「そうだったのか……」


 食べるという行為は、相手を自分に取り込むということである。それは魂の視点から見ても同様だ。あの海で、サメがフカノの腕を食い千切った時、フカノの腕はフカノから離れ、サメに取り込まれてしまったのだ。


「だったら、最初からそう言ってくれればよかったのに」

「それはその、本当にごめんなさい。その時は悪いことだって思ってなかったんです」

「思おうよ!?」


 人間とは思えない倫理観だ。いや、そういえば神様だった、とフカノは思い直す。


「でも、この前、フカノさんの両腕を直した時、ケイトさんに怒られて、とってもとっても怒られて、それで初めて気付いたんです。私は、悪いことをしてたんだって」


 あのケイトが人を叱るとは意外だとフカノには思った。女神の所業に嫌悪感を抱いたりするならともかく、罪悪感を持たせるまで叱るようには思えない。ましてや嫌いなはずのマイアにそこまでするとは。あるいは、ケイトがいつもの調子で嫌味を言ったのを、マイアが勘違いしただけだろうか。何にせよ、マイアが反省していることは確かだった。


「だから今日、謝りに来たんです。……本当にごめんなさい」


 マイアの声は震えている。今にも泣き出してしまいそうだ。


「いや……まあ、悪いって気付いてくれたなら……本当にそれしか方法がなかったんだよな?」

「はい」

「ならしょうがねえよ、うん」

「許してくれるんですか?」

「ああ」

「よかったあ……! 私、人に謝るのは初めてだから、心配だったんです!」

「初めてだったの!?」


 とんでもない発言が飛び出してきた。だが確かに、女神として敬われているのだから、他人に謝ったことが無いのもおかしくはないのかもしれない。何度か「すみません」と言っていたような気もするが、あれは本人には謝ったつもりはなかったのだろう。


「今日も、部屋に入る前から、許されなかったらどうしようって不安で、ドキドキして、緊張してたんです。でも許してもらえてホッとしました!」

「ああ、うん、そう……誰でも許してもらえるわけじゃないから、そこんとこは気をつけろよ?」

「はい!」


 それでマイアの用事は終わりかと思いきや、彼女はすぐにはベッドから離れなかった。まだ何か言いたげに、視線を彷徨わせている。


「……まだ何かあるのか?」

「えっ、ええと、ちょっと言い辛いんですけど……」

「言っちまえ、言っちまえ。気になることがあるなら何でも聞くぞ」


 今のフカノとマイアの間には勢いがある。言いづらい事を話すのなら、今しかないだろう。マイアもそれを肌で感じとったのか、話し始めた。


「私、ケイトさんに怒られてから、今までの自分の事を色々振り返ってみたんです。そうしたら、謝らなくちゃいけないことがいっぱいあるような気がして、怖くなってきたんです」

「ああ、そりゃあなあ……」


 自分の行動が他人に迷惑をかけてしまったかもしれない。そういう後悔は、人間にはよくあることだ。


「例えば、どんなことがあった?」

「ええ、4000年前に封印した妹のことなんですけど」

「えっ」


 いきなり話が大きくなった。4000年はスケールが大きすぎるし、封印なんて魔術的な話はわからないし、妹がいたなんて話も初耳だった。


「……妹がいたのか?」 

「はい。私が創造神様からこの世界の管理を仰せつかったことは、話しましたよね?」

「ああ」

「その時、妹と一緒にこの世界を管理するように言われていたんです。

 妹も海の女神でした。私は潮の流れや美味しいお魚などの"恩恵"を司っているのですが、妹は嵐や人を襲う魚などの"驚異"を司っていたんです」

「人を襲う魚って……まさか、サメ?」

「はい。転生してきたサメみたいな、大きなものではありませんでしたが。それに、あのうねうねしたタコとか、毒を持ってるクラゲやフグ、殺人マグロも、妹の領分でした」


 殺人マグロとは、と聞きかけたフカノだったが、辛うじてその疑問を飲み込んだ。本題はそこではない。


「でも私、そういう魚が嫌いだったんです。海は人を豊かにするためにあるって思ってましたから、海のせいで人が傷ついたり、死んだりすることが嫌だったんです。でも、妹は、甘やかすだけじゃダメだ、厳しさも必要なんだって言ってばかりで。私たち、ケンカばっかりでした」


 確かに、マイアには厳しさが足りない。会う人間に無限にアジを渡すように、優しくしてばかりだ。妹の言うことが正しいかどうかはともかく、そういう厳しい妹と、マイアの反りが合わない事は容易に想像できた。


「それで、4000年前……いや、3000年前? 5000年前まで古くはないと思うんですけど、4500年前……?」

「すっごい昔」

「はい。すっごい昔に、妹と大ゲンカして、その時に妹を封印してしまったんです。それで、この世界の海からは、嵐も、サメも、フグも、殺人マグロもいなくなりました」


 だから殺人マグロとは、と聞きかけたフカノだったが、辛うじてその疑問を飲み込んだ。本題はそこではない。


「その時は、これで豊かで優しい海になるって思ったんです。でも、フカノさんの体のことを反省してから、妹の事を思い出したら、とっても悪いことをしてしまったように思えてきて……」


 そこで、マイアは顔を上げ、フカノをすがるように見つめた。


「フカノさん、私は妹に、悪いことをしてしまったんでしょうか?」


 そう言われて、フカノは考え込んだ。何しろ神様同士の話だ。どちらが悪いかなど簡単に言えることではない。ただ、1人の普通の高校生としての感覚で答えるならば。


「悪い、んじゃねえかなあ……」


 やはり、封印という手段は乱暴なように思えた。


「やっぱり、そうですか……」

「嵐とかサメは怖いから、気持ちはわからなくもないけどさ。それごと妹を封じ込めるってのはさ、やっぱ良くないと思うよ」

「そうですよね。サメが転生してきて、海には怖い面もあるっていうことを思い出しました。

 船から落ちれば普通の人間は溺れますし、波にさらわれることもあります。大きな魚が船や人とぶつかって、怪我をしたり死んだりしてしまうこともあります。嵐やサメ、殺人マグロは、そうした海の危険を教えてくれるものなのかもしれません」


 しかし、そこでマイアは顔を上げた。その瞳には、今までにない決意が漲っていた。


「でも、一緒に思い出しました。人の笑顔の尊さを。私は、人に笑顔でいてほしいから、海を豊かにしたんだって」


 その言葉には、嘘も驕りもなかった。長い間一緒にいたおかげで、フカノは彼女が優しい神様だということを理解していた。


「だから、私も今度のサメ退治に参加します。大したことはできないけど、それでも、自分にできることをしたいんです」


 マイアは自分の足で立ち上がった。


「お話を聞いてくれて、ありがとうございました、フカノさん。……ゆっくり休んでください」


 深々と一礼すると、彼女はフカノに背を向けて部屋を出ていった。後には、ベッドの上のフカノだけが残された。

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