第24話 イート ~ひれが見えたら、終わり~
キルケオーが、炎上している。
「聞いてないわよ、こんなの……」
燃え上がる街を遠目に見ながら、ケイトは呆然と呟いた。ここは、クトニオスたちとの合流地点である。ケイトにマイア、それと見張りの兵士たちは、船を用意して魔石強奪部隊の到着を待っていた。すると、キルケオーから煙が上がり、みるみるうちに街が燃え始めたのだ。アウリアが火を付けたからであるが、当然、誰もそんな話は聞いていない。何が起こっているのか、ケイトにはわからなかった。
「大丈夫、なんですかね、隊長は……?」
「さあ。この調子だと、失敗して捕まってるかもしれないわね」
「そんなことありません!」
ケイトの言葉をすぐさま否定したのは、マイアだった。
「フカノさんならきっと乗り越えてくれます!」
「……随分とフカノを信頼してるみたいだけど」
「それはもちろん、フカノさんは異世界のサメ退治の英雄ですから! 身を挺して凶悪なサメを倒したんです! そんな勇敢な人なら、きっと今回も大丈夫です!」
「サメ退治と戦争は関係ないわよ。頭沸いてるんじゃないの?」
ケイトは辛辣に応答する。あまりの現場の空気の悪さに、兵士はいたたまれず海の方に目を向けた。すると、こちらに向かってくるオークの大船が見えた。
「まずいっ! 女神様、ケイト様、隠れてください! 敵が来ます!」
一同は小船の影に隠れた。オークの大船はみるみるうちに近付いてくる。それに合わせて、乗員の声が聞こえてきた。何かを叫んでいるようだった。
「あれ、隊長の声じゃないか?」
「クトニオスの……?」
ケイトは船からの声に耳を傾ける。
「おーい、女神様! ケイトさん! 誰かいないのか!? 手を貸してくれ!」
確かにクトニオスの声だ。ケイトは船の陰から出て、甲板に目を向ける。船の上のクトニオスが、手を振っているのが見えた。
「貴方……どうしてオークの船に乗ってるの!?」
「説明は後だ! なんとかしてくれ、フカノが死にそうなんだ!」
その一言で、マイアとケイトの顔色が一変した。
「すぐにボートを出して! あの船に寄せて!」
「は、はいっ!」
ケイトたちがボートからオークの大船に乗り移ると、そこには惨状が広がっていた。甲板には血溜まりが広がり、その中心部には両腕を失ったフカノが倒れていた。
「フカノ!? どうしてこんな……魔王にやられたの!?」
「違う、別のやつだ。そんなことより! 女神様、なんとかならねえのか!?」
ケイトはフカノの様子を確かめた。両腕とも肘から先が食い千切られている。魔法であっても治せる傷ではない。ましてやここは海の上だ。治癒魔法を使える魔術師も、止血を行える医者もいない。
「フカノさん、大丈夫ですか!?」
マイアが手をかざすと、フカノの両腕の傷口が淡い光を帯び、血が止まった。しかし、フカノは目を覚まさない。失血が相当酷いようだ。顔が青を通り越して白くなっている。
「すぐに直しますからね! 少し待っててください!」
そう言うと、マイアは胸の前で両手を組み、祈るように目を閉じた。すると、彼女の体から青い光が放たれ、辺り一帯を包み込んだ。
「なんだ?」
クトニオスは海を見た。船の外から騒がしい水音が聞こえてきた。彼が海を覗き込むと、その顔に向かって魚が飛び出してきた!
「うわっ!?」
後ろに転げたクトニオスの顔の上を掠めて魚が飛んでいき、甲板に落ちた。周りを見ると、同じように魚が次々と甲板に飛び込んできている。
「な、なんなんだ一体……?」
マイアは甲板の魚を拾い集めて、フカノの腕の傷口に押し当てた。すると、フカノの体と魚たちが強い光を放ち始めた。光の中で魚が脈打ち、形を変えていく。骨と神経、筋肉がまず作られ、それらを覆うように皮が作られる。出来上がったのは人間の手だった。魚の群れはフカノの両腕となり、傷口に癒着した。光が収まると、そこには両腕が元通りになったフカノが横たわっていた。
「これで大丈夫、です」
マイアは顔に少し疲れを浮かべつつも安堵した。
「何よ、今の……」
一方、ケイトの顔には戦慄が浮かんでいた。
「貴方、今、何をしたの……!?」
魚で失った腕を治すなど、聞いたことがない。魔法でも医術でも失った腕を生やすことなどできない。そもそもマイアは海の女神で、海に関すること以外は何も出来ないはずだ。吐き気すらもよおす不可思議な力を目の当たりにして、ケイトの声は震えていた。
一方、マイアはキョトンとした顔で、ケイトの問いに答えた。
「フカノさんの腕を、魚で作り直しました」
――
手痛い打撃だった。キルケオーの街は市庁舎のある中心部まで炎上、多くの建物と物資が灰になった。人的被害も少なくない。敵の多くは返り討ちにできたものの、アウリアは炎に邪魔されて取り逃した。その上、魔石を奪いに来た女神の戦士も、船を奪って逃げているという。
不甲斐ない。敵の作戦をあらかじめ知っておきながら、あまりにも不甲斐ない結果だ。それもこれも、待ち伏せをしておいて何ら戦果を挙げられなかった海軍が悪い。司令官の解任と、さらなる訓練を行わなければならない。だが、まずはこの結果に対する報復だ。女神の戦士だけでも捕らえなければ、魔王軍の威信は地に落ちる。
既に夜は明け、日が昇っていた。魔王は海軍を再出撃させ、女神の戦士の捜索に加わった。アウリアの船団は完全に姿を消してしまい、追う手がかりも見当たらないが、女神の戦士が逃げていった方向は把握していた。リザードマン部隊の隊長、スコスからの報告だ。勇敢にも敵船に乗り込んで、女神の戦士と一戦交えたらしい。帰ったら褒美をくれてやらねばならない、と魔王は考えていた。
「見えたか、ヘリ?」
「いや、まだだ」
1人と1匹が海の上を飛んでいた。1人は、水着のような服の上から骨の鎧を身に纏った美女、魔王だ。そして彼女が乗っているのは、赤い鱗のドラゴンである。名を、ヘリという。魔王が魔王と呼ばれる由縁、魔の山の頂に登った者のみが出会うことができる、伝説の種族だ。
「ふむ……」
魔王は懐から水晶玉を取り出し、覗き込む。何も写っていない。
「海の魔女め、こういう時に限ってつながらんとは」
海の魔女。サルオル王国に潜入している、魔王軍の協力者だ。彼女からは今まで何度も役に立つ情報を得ている。それだけでなく、彼女はサメという巨大な魚を操り、サルオルの船を何隻も沈めてきた。今となっては手放し難い、魔王軍の重要戦力だ。事実、女神の戦士が魔石を盗みに来るという話も、彼女から聞いたものだ。彼女なら、女神の戦士の居場所がわかると思ったが、そこまで都合よくは行かないようだ。
「サルオルの方向に逃げたのは間違いないのだろう? なら、焦らなくても、このまま進めばいつかは見つかる」
魔王の不安を察したのか、ヘリが軽い声で言った。
「そうだな。オークの船は奴らの人数で動かすには大きすぎる。速く進むことはできないはずだ」
「まあ、人数が揃っていても、我々の方が速いがな」
ヘリが飛ぶ速さは船よりも圧倒的に速い。事実、魔王たちと同時に出発した海軍ははるか後方になってしまい、見えなくなっている。この調子なら、女神の戦士を見つけ出すのも時間の問題だろう。
「見つけたらすぐに仕掛けるぞ。奴らはスコスを倒すほどの手練だ。油断せず、一気に行く」
「承知した。魔王と竜の無敵の力、奴らに見せつけてやろう」
直後、ヘリが大きく揺れた。
「おい、どうし」
「ガアアアアッ!?」
魔王の疑問の声は、ヘリの悲鳴によって掻き消された。翼が止まり、ヘリは魔王を乗せたまま、真っ逆さまに落ちていく。魔王は振り落とされないよう、ヘリの背にしっかりとしがみついた。
「どうした、ヘリ! しっかりしろ!」
「何かが……何かが腹に噛み付いて……っ!」
「腹!?」
魔王はヘリの腹を覗き込もうとするが、落下の勢いが急すぎて思うように動けない。そうしているうちに、海面が迫ってくる。もはや着水は免れない。間もなく、魔王もろともヘリは墜落した。
ゴボゴボと耳元で泡が鳴る。水中で魔王は目を開けた。眼下に見えるのは、沈みつつあるヘリの体、そしてその腹に噛み付いたもの。その姿を認めた時、魔王は目を疑った。サメだ。サメがヘリを噛み砕いたのだ。ヘリの腹を食いちぎったサメは、魔王の方に顔を向けた。次はこちらに狙いを定めたようだ。猛スピードで泳いでくる。
魔王は意識を集中させ、魔力を解き放つ。彼女ほどの強者になれば、詠唱無しで魔法を展開できる。魔力推進を得た魔王は急速浮上、海面に出ると剣を抜いてサメを待ち構える。
「サメめ……まさか、裏切ったのか!?」
直後、水柱が吹き上がった。そこから高々と飛び上がったのは、サメだ。白日の下にさらされたサメの姿は、魔王が知るサメの姿とは異なっていた。灰色の肌、腹には銛が刺さっている。2匹目のサメ。魔王はすぐそう判断する。海の魔女も、度々言及していた。
サメは空中で姿勢を変え、魔王に向かって落下してきた。大きく開いた口で、魔王を一呑みにしようという魂胆だろう。魔王は左手をサメに向かってかざした。手のひらに紫色の魔力球が生成される。
「捻じ曲がれ!」
魔力球が発射され、サメに当たった。鋼鉄すらひしゃげる威力の魔法だったが、サメの体には傷一つ付いていない。
「魔法が効かないのか!?」
やむを得ず魔王は剣を構えた。サメはもう目の前だ。牙が届く直前に横へ飛び、横腹へ刃を突き立てる! 並の刃ではサメ肌に弾き返されていただろう。しかし、これは魔王の剣だ。ドワーフたちが精魂込めて鋳造した剣と、魔王の卓越した剣技は、サメの巨体を切り裂くことができた。
臓器をえぐった手応えを感じ、魔王は剣を引き抜いた。サメは水飛沫を上げて海に落ちた。
「サメ……恐ろしい猛獣だった……」
突然の驚異だった。盟友は抵抗することもできないまま海に沈んだ。魔王も、判断を間違えていれば同じ目に遭っていただろう。それでも撃退することはできた。安堵のため息を付いて、魔王は剣についた血を拭おうとした。
その動きが止まった。剣に血がついていない。僅かに腐肉がこびりついているだけだ。生き物を切ったのなら、例えどこを切ろうと血がつくはずだ。
「まさか、あのサメは」
直後、魔王の首から下が、浮上してきたサメの口に食いちぎられた。魔王の体は飲み込まれ、首は少し跳ね上がった後、海に落ちて沈んでいった。
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