第20話 ロード・オブ・ザ・ジョーズ
キルケオー。エリュテイアの北部にある港街。王都同様、河口で発達した港街で、内陸から川を使って運んだ鉱石を、沿岸航海で全島に行き渡らせる、心臓のような役割を持っていた。過去形なのは、今、この街が魔王軍の前線基地となっているからだ。
それでも、人や物の流れが途切れているわけではない。むしろ、戦地で物はよく売れる。今日も、2人の商人が、儲けを求めてキルケオーの門にやってきた。
「止まれ」
リザードマンの門番が、商人たちの乗った馬車を止める。すると、手綱を握った商人が軽快に話し始めた。
「ああ、どうも旦那。お勤めご苦労さまです。こんなに暑いのに嫌な顔ひとつしないで門番とは、まったく真面目なお方だ」
「なんの用だ?」
リザードマンは商人の話に取り合わず、自分の要件だけを言う。
「商売ですよ、商売。キルケオーに魔王軍が集まってるって言うから、小麦を売りに来たんですよ。腹が減っては戦は出来ぬ! 食べ物だったら、いくらでも買い手があるでしょう?」
「……肉は無いのか?」
リザードマンは肉食だ。食べ物といえば肉、という認識なのだろう。
「ああ、いや、肉はねえ……海路が使えればそれも運べたんですけど、何しろ海は戦争中だ。こうして陸路で運べるものとなると、小麦とか豆とか、日持ちするものしかないんですよ」
「むう……1袋、空けるぞ」
荷物検査だ。リザードマンは小麦の袋を1袋空け、中身を確かめる。普通の小麦だ。怪しいものは何もない。
「ふむ、怪しいものは無さそうだが……」
リザードマンは商人に意味ありげな目配せをした。すると商人は、懐から数枚の銀貨を出して、リザードマンに握らせた。リザードマンは何も言わず、ニンマリと笑うと、銀貨を懐にしまった。
「よし、門を開けろ!」
門が開く。馬車は無事に街の中に入ることができた。
「……お前、なんか凄い似合ってるな」
喋らなかったもう1人の商人が口を開いた。それは、商人の格好に扮したフカノだった。
「へへっ、だろう? 15歳になるまで親父の手伝いしてて、その時にいろいろ覚えたんだ」
そして喋っていた商人は、クトニオスだった。潜入したのはこの2人だけではない。傭兵や水夫、旅人などに扮して、30人ほどの兵士が街の中に入っている。彼らが魔石強奪部隊だ。
明日の夜、アウリアが船団を率いてこの街の沖に現れる。しかしそれは陽動だ。魔王軍が洋上に気を取られている隙に、フカノたちが倉庫を強襲し、魔石を奪う。そのまま門を突破して、街の外に隠れているボートに乗って逃げるというのが、今回の作戦だ。
「魔石がある倉庫は、密偵が見つけてる。俺たちは、明日倉庫に押し入って、魔石を頂いてくればいいだけって寸法だ」
「密偵……ああ、スパイか。よく潜入できたな、こんなところに」
「まあ、元々はこっち側の街だからな。協力者も多いんだよ」
フカノは辺りを見回す。街には武装したゴブリンやオーク、リザードマンといった魔王軍の兵士が歩いている。しかし、人間の数も少なくない。彼らの中には、街を占領されて反発している者も多いのだろう。そうした人間たちが、スパイとしてサルオル王国に協力しているようだ。
そして、周りを観察したフカノは、もう1つ気付いたことがあった。
「……なんか、皆、大人しいな?」
魔王軍に占領された街というから、もっと騒々しい、物騒な場所だと思っていた。しかし、魔王軍が市民に乱暴を働くような様子も、犯罪が起きている様子も無い。建物の一部が汚れたり壊れたりしているが、治安は王都と同じぐらい良さそうだ。
「そうだな……変だな? 何か事件でもあったのか?」
クトニオスも不思議がっている。しかし、街の様子を見る限りでは、その原因を見つけることはできなかった。
「しょうがない。予定より慎重にやるしかないか……」
こうなると潜入任務がやり辛い。しかし、潜入してしまった以上、もうやるしかない。2人は覚悟を決めて、馬車を宿屋へと向かわせた。
――
1日が経ち、夜になった。街が寝静まった頃、突如として鐘の音が鳴り響いた。敵襲を知らせる警報だ。それは同時に、フカノたちが動く合図でもある。
「いくぞっ!」
「おう!」
フカノとクトニオスは宿屋を抜け出し、夜の街を走った。見回りはいない。海からの攻撃に気を取られているのだろう。集合場所の広場に着くと、既に大半の兵士たちが集まっていた。更に、数人の兵士が広場に入ってくる。
「全員か?」
「はい!」
「よし、やるぞ! 途中ではぐれたり、怪我したら、無理しないで脱出地点に先に行け! そこで合流する!」
クトニオスを先頭に、魔石強奪部隊は倉庫に向かって走り出した。30人もの軍勢となれば本来は相当目立つはずだが、魔王軍は沖合のアウリア船団に気を取られている。そのため、気付かれずに倉庫まで辿り着くことができた。運がいいことに、倉庫には守衛がいなかった。クトニオスたちは扉をこじ開け、中に侵入する。倉庫の中には沢山の木箱が並んでいた。
「……どれが魔石だ?」
「なんでもいい、開けてみればわかるだろ! 急げ!」
クトニオスたちは手分けして箱を開け始めた。
「これは!?」
「鉄鉱石だ! 違う、次!」
「これは!?」
「ガラスだ! 違う、次!」
「これは!?」
「カキだ! 違う、次!」
「これは!?」
「……待った、なんでカキがあるんだ!?」
1つ前の木箱に戻って、クトニオスは中を覗き込む。箱いっぱいにカキやホタテ、ハマグリなどの貝類が詰まっていた。生臭い。
「ここ、鉱石倉庫だよな?」
「運ぶ場所間違えたんじゃねえの?」
「……いいや、急ごう。次!」
「はい、これ!」
「軽石だ! 真面目に探せ! 次!」
「はい!」
「ダイヤモンドだ! ……貰っておこう。次!」
「はい!」
「……えっ、何これ?」
「えっ? うわっ、なんだこれ?」
「何!? 何なのぉ!? 怖い!」
「元に戻しておけ! なんなんだよそれ……」
なんだかよくわからないものは兵士に任せ、フカノとクトニオスは更に倉庫の中を探す。しかし、いくら探しても魔石は見つからなかった。
「どうなってんだ? ここにあるって聞いてたのに……」
すると突然、倉庫の入り口から松明を持ったオークたちが乱入してきた。
「動くな、盗人ども!」
「何っ!?」
「貴様たちは完全に包囲されている! 大人しくしろ!」
倉庫の外から、ざわめきや武器がぶつかりあう音が聞こえてくる。いつの間にか、フカノたちは完全に囲まれていた。
「バレた!?」
「嘘だろ、どうして……」
「貴様らの企みなど、余には全て見えておる」
入り口のオークたちの後ろから、厳かな女の声が響いた。すると、オークたちは姿勢を正し、後ろから歩いてくるその人物のために道を開けた。
「たかだか魔石を奪うために、これだけ大掛かりに動くとは、呆れたものよ」
現れたのは、青白い肌の女だった。競泳水着のような服の上から、何かの骨でできた鎧を身に纏っている。彼女が歩く度に、銀色の長い髪と、紺色のマントが揺れる。赤い瞳に射竦められて、クトニオスの兵士たちはピクリとも動けなくなった。
その中で、クトニオスは辛うじて声を絞り出した。
「魔王……!?」
「魔王!?」
フカノは魔王と呼ばれた女性をもう一度見た。禍々しい雰囲気がある。威厳もある。魔王、と言われれば確かにそう見える。だが、そんな存在が、なぜこんな港街の倉庫に現れたのか、まるで理解できなかった。
「なぜ、余がここにいるか、と思っているようだな、フカノよ」
フカノの心を見透かしたように、魔王が言った。
「なんで俺の名前を!?」
「当然よ。巷で噂の、海の女神が作り上げた戦士。余の耳にも届いておる」
「作り上げた? いや違う。俺は異世界から転生してきただけだ」
「ほう? ……だが、この世界で貴様の体を作ったのは、女神であろう?」
「まあ、そう言われれば……そうですけど」
「認めよ。それとも、余の見立てに間違いがあるとでも?」
有無を言わせない圧が、フカノに浴びせられる。
「じゃあ、そういうことで」
「うむ、うむ。それでな、女神の戦士となれば、並の者では相手は務まらぬ。そこで――」
魔王の後ろに控えていた女悪魔が、彼女に剣を差し出した。松明の火を受けて、白刃が煌めく。
「余が、直々に相手をしてやろうというわけよ」
剣を突きつけられ、フカノはたじろいだ。そして、しばらく考えた後、おそるおそる両手を上げた。
「……何の真似だ?」
「降参します」
戦うまでもなく、実力差はハッキリしていた。剣を構えた魔王には、見るからに隙がない。素手のフカノがどうこうできる相手ではなかった。
「貴様……それでも女神の戦士か?」
「俺はサメ退治に転生させられたんだよ! 魔王と戦うのは専門外だ!」
「サメ?」
その言葉に、魔王が反応した。
「なんだ、貴様、あんなものと戦うために、わざわざ作られたのか?」
「何? サメを知ってるのか?」
「ああ。サメはな、余の配下よ」
「なん……だと……!?」
どういうことだ、とフカノは問い詰めようとする。しかし、その前に、魔王の横に現れたワーウルフによって、会話は遮られた。
「陛下、大変です!」
「なんだ」
その報告は、魔王だけでなく、フカノたちも驚かせるものだった。
「海上の囮船団が、防衛網を突破! 沿岸部に接舷して……町に放火を始めましたっ!」
「何ィ!?」
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