第19話 沈黙のサメ
「あんた、あたしと勝負しなさい」
アウリアからの挑戦。その言葉に対して、返事をする者はいなかった。
「返事は?」
「おい、フカノ」
「え、なにこれ、俺が戦う流れ?」
「当然よ。適当に叩きのめして、あの女の鼻を明かしてやりなさい」
ケイトは止めるどころか勧めてきた。アウリアは既に立ち上がり、手首と足首を振って準備体操をしている。フカノの腕を試す、ということなのだろうか。しかし、フカノには女性を殴る心構えなどできていない。
「クトニオス、代わってくれないか?」
「いや、無理。俺じゃ勝てねえよ」
「マジか……」
半ば押し出されるように、フカノはアウリアの前に立った。気乗りがしない。アウリアが強いと言っても、一般人の範疇だろう。一方、フカノは異世界から転生してきた影響で、人間離れした怪力を得ている。相手が言いだした腕試しとは言え、怪我をさせるのはまずい。
「三本勝負、背中がついたら一本ね。それでいい?」
「あ、ああ……」
それなら殴らなくていい。上手く投げ飛ばせばいいだけだ。さて、どう手加減して、穏便に済ませるか。フカノが考えをまとめる前に、アウリアが動いた。
「ほんじゃあ行くよ。この戦い――海神に奉る」
アウリアの体が淡く光ったように見えた。次の瞬間、アウリアは一瞬でフカノとの間合いを詰めていた。驚く間もなく、アウリアの掌底がフカノの鳩尾に突き刺さる。
「がっ……!?」
思わぬ一撃に、フカノは2、3歩後ろへよろめいた。続いてアウリアは、フカノの顎めがけて手のひらを振り上げる。
「このっ!」
反射的に突き出した手がアウリアを突き飛ばした。腕が空を切ったアウリアは、バランスを取って構えを取る。
「おいっ! コイツ、一体なんだ!? 普通じゃないぞ!?」
フカノは狼狽している。アウリアの身体能力は尋常ではない。フカノでなかったら、最初の一撃で昏倒していただろう。
「気をつけなさい! その女、体を魔法で強化してるのよ!」
「そういうこと」
アウリアはシャツの胸元をはだけてみせる。確かに、彼女の体には青白く光る紋様のような物が見えた。だが、フカノは紋様よりも、露わになった彼女の胸の谷間に釘付けになってしまった。
「そらあっ!」
隙を見せたフカノの側頭部に、回し蹴りが叩き込まれた。無防備に蹴りを受けたフカノは、無様に床に叩きつけられた。
「まずは一本、と」
「何やってるのよ! フカノ、しっかりしなさい!」
「なんでこんなことになってんだ、話し合いじゃ駄目なのか……?」
ケイトの文句に対して、フカノは倒れたまま呻く。ノーガードで受けた一撃は相当重く、すぐには立ち上がれなかった。
「駄目よー。それなりに戦えることを、見せてくれなきゃ」
アウリアは軽くステップを踏みながら、余裕の笑みを浮かべている。しかし、その目は笑っていない。恐らく、フカノが弱いとわかれば、本気で作戦に協力しないつもりだ。そうなると、潜入作戦ができず魔石も手に入らない。サメ退治ができなくなってしまう。
「仕方ないか……!」
こう考えると、フカノは戦わないわけにはいかなかった。ゆっくりと体を起こしながら、どう戦うかを考える。攻撃を2発受けてわかったが、筋力自体は転生した影響があるフカノの方が上だ。ちゃんと防御すればアウリアの攻撃は耐えられる。
フカノは膝立ちになって、アウリアを見る。問題は、フカノに格闘技の経験が無いということだ。様々な動きを想像してみるが、攻撃が当たる気がしない。
その、想像の中に、ノイズが走った。
「……そうだ」
立ち上がったフカノは、手足を前後に大きく開くと、アウリアに向けた左手を上に向ける。そして指先で、自分に向けてかかってくるような仕草を出した。
「へーえ? 上等ッ!」
アウリアが踏み込む。放たれた拳を、フカノは突き出した左手で弾いた。同時に右手を繰り出し、アウリアの肩に拳を叩き込んだ。アウリアはよろめいた。その表情には、驚きが満ちていた。
フカノは格闘技を習ったことがない。だが、知っている。
アウリアが再び踏み込んだ。間合いのギリギリから、小刻みなパンチを3発。1発は左手で受け、2発は頬をかすめる。避けきれないが、それでいい。直撃さえしなければ十分耐えられる。続いて、脛へのローキック。足を引いて避ける。それを追って、アウリアが前に出る。同時にフカノも前に出た。肩からの体当たりで、アウリアを吹き飛ばす!
アウリアは大きくよろめいたが、ダウンはしなかった。先程までの余裕の表情は消え、真剣にフカノを見定めている。
「あんた……その戦い方、誰から教わった?」
「教える必要はないね」
教えたとしても、アウリアには理解できないだろう。フカノの格闘術は、兄から散々オススメされた、アクション映画の真似だからだ。もちろん、すべてを完璧に真似しているわけではない。足りない技量は筋力で強引に補っている。
今度はフカノが前に出た。両手を前後左右に動かしながら、アウリアに詰め寄っていく。戦い慣れているアウリアは、その動きから何が繰り出されるか警戒してしまう。だが、それこそが罠だった。映画の動きを真似ているだけのフカノのこの動きには、何の意味もない。だから、唐突に繰り出された手刀を、アウリアはもろに受けてしまった。
「ぐうっ!?」
怯んだアウリアを投げ飛ばそうと、フカノは手を伸ばす。しかし、アウリアは素早く身を翻し、フカノの頬に裏拳を叩き込んだ。フカノがよろめく隙にアウリアは飛び下がる。手刀を受けた肩を確かめるように回す。
「なんつー馬鹿力してんのよ……」
「大丈夫か?」
「ったり前でしょうが!」
アウリアが放った回し蹴りを、フカノは腕で防ぐ。すると、アウリアは逆回転し、今度は下段へ回し蹴りを放つ! これにはフカノも対応できず、脛に痛烈なローキックを受けた。怯んだフカノに、アウリアは猛烈なラッシュを仕掛ける。無数とも思える拳が、次々とフカノに叩き込まれる。
「こ……のぉっ!」
フカノは痛みに耐え、アウリアの拳を払い除けた。体勢が崩れる。その隙に、アウリアの腕を掴み、思い切り投げ飛ばした。
「あっ、やべっ!」
気付いた時には、アウリアは物凄い勢いで壁に投げ飛ばされていた。このままでは怪我は免れない、と思いきや、アウリアは空中で体を回転させ、両足から壁に着地した。
「だらっしゃあ!」
そして、壁を蹴って跳躍、再度体を反転させ、フカノに空中回し蹴りを放つ!フカノはとっさに掲げた腕で、これを防いだ。衝撃がフカノの体を伝わり地面に到達、床板が音を立てて割れる!
フカノは受け止めた足を掴む。そして、彼女の体を抱え込むようにして投げた。とうとう、彼女の体は背中から床に落ちた。
「……どうだ! 一本返したぞ!」
フカノはガッツポーズを取る。アウリアは一瞬呆然としていたが、すぐに気を取り直して立ち上がった。
「けっこーやるじゃない。でも、手加減は良くないなあ」
そう言うと、アウリアは腰のナイフを抜いた。
「え、ちょっと本気!?」
「ナメられたままだとこっちもイラつくからねえ」
刃物を向けられては、流石に手加減など考えていられない。フカノは覚悟を決め、拳を握りしめた。アウリアも、それまでの飄々とした雰囲気を収め、ナイフを振りやすい前傾姿勢をとる。
互いに一本は取った。次が最後の勝負になる。否応に緊張が高まる。じりじりと、2人は間合いを詰める。拳と刃の距離が重なる、その時だった。
「こらーっ!」
叫び声と共に、2人の頭上に巨大な何かが降ってきた。
「うわっ!?」
「おうっ!?」
2人はとっさにそれを腕で支える。頭上に降ってきたのは、板状の巨大な魚だった。
「マンボウ!?」
「お、重い……!」
平均的なマンボウの体重は、大人の男5、6人に匹敵する。フカノとアウリアでも、支えるのがやっとの重さだ。そんな魚を地上に呼び出せるのは1人しかいない。
「フカノさん、アウリアさん、何してるんですか! 駄目でしょう、ケンカしたら?」
いつの間にか側にきていたマイアが、腰に手を当てて怒っていた。
「あれぇ、女神様!?いらっしゃってたんですか!?」
「マイアぁ!俺は悪いこと何もしてないぞ!?」
2人は口々に叫ぶが、マイアは聞く耳を持たない。
「言い訳は聞きません! 仲間同士でケンカは駄目です! 謝るまでマンボウを持って反省しなさい!」
「待って、マンボウめっちゃ重い!」
「なんかヌメヌメするぅ!」
それから、マイアの頭が冷えるまで、2人はマンボウを支え続ける羽目になった。
――
頭が冷えた後。
「そうね、そういうことね。事情はわかったわ」
ソファに座り直したアウリアは、改めてケイトから作戦を聞いていた。
「キルケオーにちょっかいを出すなら協力するわ。ましてや、女神様のお願いっていうのなら、そりゃもう喜んで船を出しますとも」
最初の不機嫌さはどこへ行ったのか、アウリアはあっさりと協力した。そのため、フカノたちは何事もなく酒場を出ることができた。
「なんか、ずいぶんスッキリしてたな……?」
「女神様が出てきたからよ」
フカノの疑問に答えたのはケイトだった。
「あいつら、海で生活してるから、海の女神への信仰が強いのよ。だから、女神様にお願いされたら、断れないってわけ」
「……それで機嫌が悪かったのか?」
「何よ」
「別に」
ケイトの女神嫌いも筋金入りだな、と改めて感じるフカノであった。
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