第16話 田んぼ・シャーク ~デッドマンズ・チェスト~
のどかな田園風景が広がる、エルフの村に、朝一番の悲鳴が響き渡った。
「サメだああああ!?」
朝日が照らすあぜ道を、フカノは必死の形相で走る。その後ろを、サメの背ビレがイネの間をかき分けながら追っている。つまり、サメが田んぼの中を泳いでいる。
「バカか!?」
走りながらフカノは叫んだ。サメが田んぼを泳げるわけがない。いくらなんでも水深が浅すぎる。つまり、あのサメは、土の中を泳いでいる。
「フザけんなあっ! サメ映画じゃないんだぞ!?」
フカノの叫びも虚しく、サメはあぜ道を飛び越えながら、猛然とフカノを追いかけてくる。フカノは全力疾走し、橋を渡る。サメは大ジャンプし、橋を噛み砕く。田んぼはなおも続いている。サメからは逃げられない。いや、それどころか。
「なんだなんだ?」
「まったく、朝から何の騒ぎだ……」
フカノの叫びと、橋が壊れる音を聞きつけ、エルフたちが家の中から出てきた。このままでは彼らも餌になってしまう。
「サメだーっ! 戻れ、家の中に隠れろーっ!」
走るフカノと追うサメを目の当たりにして、エルフたちは慌てて家に戻った。
走るうちに、フカノは村長の家まで辿り着いていた。しかし、このまま家の中に飛び込むわけにはいかない。そうしたら、追いかけてきたサメが家を破壊するだろう。辺りを見回す。家の裏には切り出した丸太がある。その奥に、高い見張り台があった。この上に逃げるしかない。はしごを使って登るのは遅い。意を決して、全力で地面を蹴った。
異世界の低重力は、ここでもフカノに味方した。フカノの体は羽根のように宙に浮き、見張り台の頂上に着地した。頂上には半鐘があった。フカノは迷わず、近くにあった金槌を掴み、半鐘を打ち鳴らす。金属音が、エルフの村中に響き渡る。
「頼むからみんな起きてくれ、逃げてくれ!」
半鐘の音に気付いたエルフたちが、家の中から出てきた。何事かと辺りを見回し、サメに気付いて泡を食っている。
「うわぁっ、サメだあっ!」
マイアやクトニオスも起き出してきて、見張り台の根本を泳ぐサメに気付いた。
「おい! 早く逃げろ!」
眼下の仲間たちにフカノは逃げるように促す。そこに、サメが大ジャンプをして飛びかかってきた。
「うおおおおっ!?」
フカノはとっさに、見張り台から飛び降りた。地上に転がりながら着地する。直後、サメが見張り台に激突した。木材が砕け、半鐘が飛んでいく。
「フカノッ!」
「フカノさん、大丈夫ですか!?」
マイアとケイト、それにエルフの村長が駆け寄ってきた。フカノは体を確かめる。あれだけの高さから落ちたが、特に怪我はない。
「無事だ!」
「あれ、何……え、サメ!?」
「ほう。あれがサメかい」
エルフの村長は、田んぼを泳ぎ、家を体当たりで破壊するサメを眺めている。その手には長弓が握られていた。
「大した化物じゃのう。250年前に襲ってきた、ドラゴンよりでかい」
「村長! 早くみんなに逃げるように言ってください!」
「阿呆ッ!」
突然怒鳴られた。フカノは目を白黒させる。
「え……?」
「敵に背を向けるのは、エルフの恥じゃろうがい!」
そして村長は長弓に矢をつがえた。
「ましてや……あれだけの大物ならなぁっ!」
引き絞られた弓から、矢が放たれた。矢は命中するが、サメの肌に弾かれた。しかし村長は、そんな事を気にも留めずに叫んだ。
「者共ォッ! 化物相手の
「ウオオオォォォッ!」
村のそこら中から、背筋が凍るような雄叫びが上がった。辺りを見回すと、長弓や刀、大槍で完全武装したエルフたちが、四方八方からサメに向かって走っていた。さっき、サメに気付いて家の中に避難したはずのエルフたちも、刀や斧を振りかざしてサメに向かっていく。
サメに向かってエルフの矢が放たれた。しかし、木の矢程度では、頑丈なサメの肌は、貫けない。それがわかると、エルフたちは弓を投げ捨て腰の刀を抜き放ち、突撃を始めた。先頭のエルフが、土中のサメに向かって槍を突き立てた。当然槍は、土に阻まれサメまで届かない。逆に、土の中から顔を出したサメにエルフは噛みちぎられてしまった。
「誰がやられた!?」
あぜ道を走るエルフが叫ぶ。
「菖蒲花のバンブザキだ!」
「よおっし、一番槍、見事! ワシらも遅れを取るな! チェストオオオォォォッ!」
「チェストオオオォォォッ!」
エルフたちは仲間の死に怯えるどころが、意味不明な雄叫びを上げて嬉々としてサメに突撃していく。刀が、槍が、斧が、サメの体を滅多打ちにしては、反撃で食べられていく。しかし、エルフたちの勢いは止まらない。
「なんて言ってるんだ、あいつら……?」
女神の力では翻訳されない雄叫びに、フカノは困惑する。すると、ケイトが答えた。
「チェスト……エルフの言葉で、ブチ殺せって意味よ」
「え、えっ?」
ケイトの顔は真っ青だった。
「エルフは名誉ある死を好むって聞いてたけど……本当だなんて、信じられない……」
エルフとは、長命不老の種族である。その気になれば1000年でも2000年でも生きていられる。そのため、彼らの間では特殊な信仰が根付いている。すなわち、『いかに名誉ある死に方をするか』というものだ。1人でも多く敵を屠り、名のある大将の首を狩り、強大な敵に立ち向かって死ぬために、ほとんどのエルフは生きている。
幸い、その狂信的な勇猛さが外部に向けられることは滅多にない。数百年に及ぶ部族間抗争が、エルフたちを森に繋ぎ留めているからだ。例外は、森そのものが侵略された時である。例えば、250年前にエルフの村に攻め込んだオークのある部族は、一致団結したエルフに逆襲され、半年で一族丸ごと皆殺しにされた上に、関係のない部族の村も3つほど焼かれた。
ケイトはそうした伝説を知っていたが、まさかそんな筈がないと信じていなかった。現実は、伝説よりも凶悪だったわけだが。
「いや……名誉ある死って……マトモに傷つけられてないぞ! 無駄死にじゃないのかこれ!?」
フカノの指摘どおり、サメの肌は刃物を通していない。このまま無謀な突撃を続けても意味がないことは明らかだ。
「おお、そうじゃのう……おどれらぁっ! 腰が引けてるぞ! 恥晒す気かぁ!?」
村長に止める気はない。むしろ煽り立てている。常軌を逸した鼓舞に、フカノもケイトもドン引きしていた。
その叫び声が気に障ったのだろうか。サメは突如方向転換すると、フカノたちに向かってきた。
「……あっ、ヤバい!」
エルフたちの狂気に中てられて呆然としていたが、考えてみればサメである。こちらも十分危険だった。フカノは壊れた見張り台から木材を拾い、サメに向かって構えた。土の中から顔を出したサメの鼻先を、木材で叩く。
「このっ、この野郎! 近づくな!」
何回か叩きつけると、木材は折れてしまった。当然、サメはノーダメージだ。飛びかかってきたサメの牙を、フカノは地面を転がって避ける。
「チクショウ、もっと頑丈な棒があれば……」
起き上がったフカノの視線が、ある一点で止まった。村長の家の裏。思い切ってそれに近づき、手を伸ばした。低重力で相対的に強化されたフカノの腕力は、一抱えもあるそれを軽々と持ち上げた。
それは、棒と呼ぶには太すぎた。枝と呼ぶには長すぎた。木材と呼ぶには大雑把だった。それに相応しい呼び方は、丸太だった。
「よっしゃ来い!」
再び向かってきたサメの鼻先に、フカノは半ばヤケクソになりながら丸太を突き出した。化物サメといえども、質量を持った存在である。大質量の丸太に頭からぶつかることとなり、動きを止めた。土の中は潜れるようだが、丸太はそうもいかないようだ。
「……いける!」
立ち向かえるなら、勇気が生まれる。ここぞとばかりに、フカノは丸太を振り下ろす。しかしサメは、地面に潜ってこれを避けた。丸太を叩きつけた衝撃が、地面を揺らす。フカノは舌打ちし、丸太を抱えて飛び上がった。直後、彼の足元からサメが顔を出した。間一髪、噛みつかれるところだった。
着地したフカノは、すかさず丸太でサメの横面を殴りつけた。棒や角材と違い、丸太は折れない。衝撃がサメに伝わる。サメは、怯んだように見えた。鎧を着た騎士がメイスで殴られて怯むように、打撃力がサメの体に浸透しているのだ!
もう1回、丸太で殴りつけようとしたが、サメは地中に潜って避けた。背ビレはフカノの横を通り過ぎ、その後ろ、マイアとケイトへ泳いでいく。
「まずい、逃げろ!」
狙われていることに気付いたマイアとケイトは、踵を返して逃げ出す。しかし、サメの方が速い。このままでは追いつかれる。フカノがそう思った時、突如サメの背ビレを何かが撃ち抜いた。
目にも留まらぬ速さでサメを貫き、地面に刺さったのは、鋼鉄の銛だった。銛が飛んできた方向は、村長の家の屋根の上。そちらに目を向けると、ヘレネが膝立ちになってボウガンを構えていた。
「大丈夫!?」
ヘレネが叫ぶ。サメを見ると、背ビレを撃ち抜かれて混乱しているのか、マイアたちを追うのを止めて、その場でグルグルと旋回していた。彼女の武器なら、サメを貫ける。それなら。
「ヘレネさん!」
「何!?」
「サメの動きを止めます、撃ち抜いてください!」
返事を待たずに、フカノはサメが潜る地面を丸太で叩いた。振動が伝わったのか、サメはフカノに向かってきた。背ビレが沈む。丸太を構える。サメが飛び込んでくる。丸太を、振り抜く!
「でえええあああぁぁぁっ!」
渾身の力で振るわれた丸太は、飛び込んでくるサメを芯で捉え、最大級の打撃を叩きつけた。異世界でも有効な作用反作用の法則は、突撃するサメのエネルギーではなく、丸太を振ったフカノを選んだ。丸太に打ち返されたサメは、斜め上方45度、理想的な角度で宙を舞う! ホームラン間違い無しの当たりだ!
「ヘレネさん!」
だが、フカノの狙いはホームランでも、ましてや代打逆転満塁サヨナラホームランでもない。サメを殺すことだ! いかにサメといえども、映画でもない限り空は飛べない。その無防備な状態を、ヘレネのボウガンが、穿った!
空中で銛を受けたサメは、重力に従って、遥か遠くの田んぼに落ちていった。向かってくる気配はない。その様子を見て、フカノは呟く。
「……やったか?」
静かな朝の風が、青々と茂る稲を揺らしていった。
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