第15話 ドーン・オブ・ザ・シャーク
夕食の後、フカノ一行は分散して、別々の屋敷に泊まった。マイアとフカノは、女神とその戦士ということで、村長の屋敷の一室を借りることになった。同じ屋敷にはケイトとヴィヴィオも泊まっている。やはり、彼らは王様から直接命令を受けているだけあって、別格の扱いらしい。
その夜、フカノは薄い布団の上に寝ていた。布団だ。ベッドではない。ここは王都とはまるで文化が違う。奇妙な感覚だ。田園風景、米、布団。ここは異世界なのに、まるで日本のようだ。そのことを考えると、胸が締め付けられた。
「眠れないんですか?」
女性の声。マイアだ。
「ああ」
フカノは、転生する前の生活を思い出していた。ほんの数週間前まで、フカノは普通の高校生だった。学校に通って、部活をやって、家に帰って、こうして布団で寝る。そんな生活を繰り返していた。兄の趣味に引きずられて入ってしまった映像研究部も、今思い返せば、それなりに良かった。友達と一緒に意味もない馬鹿騒ぎをするのが楽しかった。
だが、あの夏休みでフカノの人生は終わってしまった。夏休みを使った映画の自主制作。撮影で無人島を借りる代わりに、清掃ボランティアをすることになった。そこで、島の持ち主にボートで送ってもらうことになったのだが、その途中でサメが襲ってきた。ボートは転覆し、何人も食べられ、そしてフカノはサメと共に爆死した。
転生した今となっても、あの時のことを思い出すと、未だに身震いがする。それに、イーリスでの戦いも。あの時、どうして自分からサメに向かっていったのかわからない。燃える街と、むせ返るような血の匂いを目の当たりにして、体が勝手に動いて、気がついたらサメに挑んでいた。今になって思い返せば、無謀にも程がある。転生してから、そういう、我を忘れる事が多い。まるで体も心も別物になったかのようだ。そこまで考えて、フカノはある可能性に気付いた。
「なあ、女神様」
「はい?」
「……俺は、ちゃんと転生できてるんだよな?」
まるで、じゃなくて、本当に別物なのか。ひょっとして、自分は深野八尋だと思い込んでいるだけの、別の何かなのか。
「え、大丈夫ですよ? ちゃんと、動けているし、お話もできているじゃないですか」
「そうだけどさ。たまに、自分が自分じゃなくなるみたいなんだ。変だよな?」
「変じゃありませんよ。それもフカノさんの性格なんですよ、きっと」
「そうか?」
そう言われても実感が湧かない。自分には、サメに無謀にも殴りかかるような性格があるのだろうか。
「人は、魚よりもずっと複雑で難しい生き物なんです。私は海の神様ですから、陸の人のことは詳しくありませんけど、それでも、長い間見てきましたから、それぐらいはわかります。
自分でもよくわからないことをするっていうのは、色んな人がしていることですよ」
「……それは、おかしくなってるんじゃないのか?」
「いいえ。転生してても、してなくても、人間誰だって不思議な事をするものです。ですから、フカノさんも安心していいですよ」
「でも、それじゃ怖くないか?」
「ちょっと怖いですけど……でも、それが人間らしい、ってことだと思いますよ?」
そう語るマイアの顔には、不思議な説得力があった。月明かりのせいだろうか、その顔はいつもよりずっと大人びて見えた。
「そうだ」
マイアはいそいそと布団から這い出す。そして、フカノの枕元に正座をした。
「膝枕しましょう」
「なんで」
「眠れない時はこうするといいんですよ」
マイアは有無を言わさず、フカノの頭を持ち上げると、自分の太ももの上に乗せた。柔らかく、温かい感触が、フカノの頭の後ろに伝わる。
「ほら、明日も歩くんですから。今日はゆっくりお休みなさい」
そうされると、不思議とまぶたが重くなった。眠りに落ちる直前、フカノは波の音を聞いた気がした。
――
エルフの村に朝が来た。結局、フカノは妙に早く目を覚ましてしまった。膝枕が心地よすぎて、よく眠りすぎたようだ。膝枕をした当の本人は、いつの間にか向こうの布団で眠っていた。
フカノは台所を覗いてみたが、まだ朝食はできていない。寝直すのもなんだったので、外を散歩してみることにした。空が徐々に白む中、田園風景の中を歩くというのは、新鮮な体験だ。
川に掛かった橋を渡る。橋の先は、ますます民家が少なくなり、一面田んぼ、といった風情だった。見るものはなにもないが、散歩には丁度いい。しばらくのんびりと歩いていると、あぜ道にうずくまる人影があった。見覚えのあるローブ姿だ。
「……ヴィヴィオさん?」
「おお、フカノか」
そこにいたのは、書物の精霊で、王都の学者でもあるヴィヴィオだった。
「何してるんですか?」
「あれを見ろ」
ヴィヴィオは田んぼを指差す。
「なんです?」
「魚が泳いでいる」
言われてみると、田んぼに張った水の中には、確かに小さな魚が泳いでいた。元・日本人だが、田んぼにはあまり馴染みのないフカノには、驚きの光景だった。
「本当だ……こんな所に住めるんですね。餌なんてなさそうなのに」
「恐らく、イネにつく虫を食べているのだろう。いやはや、驚きだ……麦畑ではこんな光景は見られんぞ。ほら、ここを見てみろ」
ヴィヴィオの人形の指が田んぼの縁を指差す。見てみると、貝がへばりついていた。
「昔見たエルフの書物に載っていた貝だ。タニシ、という奴だな」
「へえ、これが……」
「エルフは森の中に住んでいるにも関わらず、魚や貝を食べると書かれていた。学会では川で釣っているというのが定説だったが、実際には田んぼで取っていたんだ。何しろこれは、湖の中に住んでいるようなものだ。川まで出ていく必要がない!」
ヴィヴィオの語り口は静かだが、声色は興奮していた。
「なんか楽しそうですね」
「当然だ! エルフの生活を間近で観察できるなど、初めてだからな! それにここなら、海に落ちたり、燃えたりすることも無い」
「あー、そうですね」
イーリスでは炎と水に襲われ、いつ本体が失われてしまうか、気が気でなかったのだろう。あの時と比べると、ヴィヴィオは随分とイキイキしていた。
「でも、田んぼに落ちたら大変ですよ。気をつけてくださいね」
「大丈夫だ、サメでも襲ってこない限りは。とはいってもここは森の中だから、サメも追ってはこれないがな!」
ヴィヴィオがそう言った瞬間、巨大な牙が彼の下半身を噛み砕いた。
フカノは何が起こったのか理解できなかった。田んぼからサメが現れた。眼前の光景は、それを現している。だが、あまりにも現実離れした情景を、脳が理解することを拒んでいた。
バキバキと、木が割れる音が響く。田んぼから現れたサメは、ヴィヴィオの下半身を引きちぎった。残った上半身が、あぜ道に力なく横たわる。
「サ」
それでようやく、フカノは叫んだ。
「サメだあああああっ!?」
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