第13話 ウォーキング・シャーク2
森の中はフカノの想像以上に入り組んでいた。ヘレネの案内無しでは確実に迷っていただろう。フカノは心の底から、ヘレネに出会ったことに感謝した。それでも、森を抜けるまでには時間がかかってしまい、フカノとヘレネが街につく頃にはすっかり日が傾いていた。
イーリスの街は騒然としていた。無理もない。サメに襲われたのだ。そこら中から怪我人の呻き声が聞こえてくるし、水上住宅街の方からは、まだ煙が上がっている。
「なんだこれは。祭りではなかったのか?」
ヘレネは事情を知らなかったようで、街の様子に驚いていた。
「その最中に怪物が襲ってきたんですよ」
「なんという……」
フカノとエルフは街を歩きつつ、マイアたちを探した。これだけの混乱の中、マイアたちを探すのは難しいかと思ったが、意外と早く見つかった。マイアがまた魚を配っていたからだ。
「女神様!」
「あ、フカノさん!」
フカノの帰還に気付き、マイアが駆け寄ってきた。
「フカノさん、大丈……手、どうしたんですか!?」
火傷したフカノの手を見て、マイアが驚いた。
「火傷した」
「すぐ手当てします!」
マイアは両手でフカノの手を包み込み、自分の胸に押し当てた。
「え、おい」
すると、マイアの両手が輝き出した。魚を出す時と同じ光だ。光に包まれたフカノの手から、痛みが引いていく。凄い治癒魔法だ。
治されている最中、フカノはマイアの腕に巻かれた包帯に気付いた。
「お前、その腕、どうしたんだ?」
「サメに襲われた時、牙がかすったみたいで……でも、痛くないから大丈夫ですよ」
血が滲んでいるわけでもないので、本当にかすり傷のようだ。
「はい、治りました!」
1分も経たないうちに、フカノの手は解放された。あれだけ酷い火傷になっていたフカノの手のひらは、痕一つ無く綺麗に治っていた。
「すげえ」
「女神ですから!」
えっへん、とマイアは胸を張る。その、張られた胸にさっきの感触を思い出して、フカノは耳の後ろが少し熱くなった。
「フカノ! 無事だったか!」
クトニオスが駆け寄ってきた。
「ん? あ、ああ。なんとか」
「心配したんだぞ。リンネルに探させても見つからないし」
「ああ、森の中を歩いてたからな……」
空からフカノを見つけられなかったのも当然だろう。
「だけど、ヘレネさんが案内してくれたお陰で、なんとか戻ってこれたよ」
「ヘレネ?」
「そう。この、エルフの人」
エルフ、と聞いてクトニオスが驚いた。ヘレネは少し居心地が悪そうに会釈をする。
「……本当に、この人が?」
「ああ、そうだけど……?」
「……ありがとうございます。仲間が、お世話になりました」
クトニオスが礼を言うまでに、妙な間があった。なぜ、そうなったのかは、フカノにはわからなかった。
「俺は無事だったからいいけど、皆はどうなっちまったんだ? それに、街も」
「……3人死んだ。船に突っ込んできた時、サメにやられた」
フカノは何も言えず、クトニオスの目から視線を逸らした。
「それに2人、巻き添えで怪我してる。しばらくは動けそうにない。
街の方は……酷い、としか言えねえな。50人とか、100人死んだとか、数がハッキリしねえ。なにしろ領主が死んじまったんだ。誰も状況を把握できてねえんだよ。今は、監察官殿と領主の副官が協力して、街をまとめてる」
「……そうだ、アイツ! じゃなかった、ケイトさん! 無事だったか!?」
「ああ。あっちにいる」
見ると、ケイトが巻物を見ながら、領主の副官らしき青年と何事かを話しているところだった。
「ケイトさん!」
「……フカノ!?」
ケイトはフカノの顔を見て、心底驚いたようだった。
「生きてたの!?」
「なんとか。それより、あの子は無事だったか?」
「無事よ。母親の所に、ちゃんと帰したわ」
火事の中から助け出した子は、どうやら無事に母親に会えたらしい。
「それならよかった」
「それと」
何か言おうとしたケイトだったが、不意にうつむいて黙ってしまった。喋らないケイトにフカノは不安を覚える。何か気に障ることをしてしまっただろうか。思い返してみれば、火事の中から彼女達を助け出す時にかなり乱暴な言葉遣いだった。育ちのいい王女様だから、そういう言葉遣いに怒っているのかもしれない。
あの時、フカノは頭に血が上っていた。悪いとしたらこちらの方だ。フカノは何を言われても我慢しようと身構えた。
「ありがとう」
小さな、聞き逃してしまいそうなぐらい、本当に小さな声だった。
「……え?」
フカノは一瞬、言われた言葉を理解できなかった。
「な、何よ。異世界じゃ、お礼の言葉は違うっていうの?」
「いや、え、お礼?」
「助けられたのだから、お礼を言うのは当然でしょう? ……何かおかしいことしてる、私?」
「い、いや、おかしくない。ただ、言われるとは思ってなかっただけで……」
本当に予想していなかった。理由もなく嫌われていたから、礼を言われるわけがないと思っていた。
「そう。わかったのなら、いいの。それだけよ」
そう言うと、ケイトは副官との会話に戻った。他に言うことは無いらしい。フカノは首を傾げながらその場を離れた。
「どうした、フカノ殿。そんな首を傾げて」
そんなフカノに声を掛ける人物があった。いや、人ではない、人形だ。本の精霊、ヴィヴィオが箱に座って巻物を読んでいた。
「ヴィヴィオさん、無事だったんですか?」
「ああ。最初に避難民を降ろした時に、船を降りて正解だった。あのまま船に残っていたらと思うと、ゾッとする」
表情の見えないのっぺらぼうではあるが、なんとなく身震いしているような口調だった。
「そういえば、船、壊されちゃいましたね……」
「そうだな。クトニオスの船だけでなく、港の他の船も壊されてしまった。残っているのは小型のボートしかない」
「ってことは、帰りは歩きですか?」
フカノ達は、海賊船の残骸調査の結果と、今回の事件を王様に伝えるために、王都に帰る必要がある。船が無いなら徒歩になるだろう。
「ああ。街を出て、北に向かって、エルフの森を通るのが最短ルートなんだが……」
そこで、ヴィヴィオは言葉を濁した。
「何かあったんですか?」
「いや、エルフの森は危険でな。迂回したほうがいい、という話が出ているんだ」
フカノは無言で頷く。普通の森でさえ、フカノ1人なら迷いかねない複雑さだ。エルフの森ともなれば、素人お断り、超絶難易度の森の迷宮が待ち構えているのだろう。
だが、フカノは既に攻略法を知っている。
「だったら、あの人に道案内を頼みましょうよ」
「何?」
フカノが指差す先には、女神から無限にアジを受け取り困惑しているヘレネがいた。
――
深い森の中。木々が僅かに開けた場所で、焚き火が赤々と燃えていた。焚き火を囲むのは、シワだらけの服を着た、髭面の荒くれ者たちだ。海賊である。彼らは海で巨大な魚に襲われ、船を失い、森へ逃げ込んだのだ。しかし、逃げ込んだ先の森は予想以上に深く、彼らは先の見えない森をさまよう羽目になってしまった。
「おい、これだけしかねえのか」
野ウサギの骨をかじりながら、5人いる海賊のうち1人がぼやく。
「しょうがねえだろ。肉があっただけマシだ」
「ナイフを投げたらウサギに当たったんだぜ。俺の腕、大したもんだろ」
「バカヤロウ、どうせなら鹿でも獲ってこいってんだ」
「ならお前がやってみろや。まあ、お前じゃトロ臭くて豚も捕まえられないだろうがな」
「……やんのか、コラ」
煽られた男が曲刀を手にして立ち上がる。
「やめとけ、やめとけ! こんなところでケンカしてもしょうがねえだろ!」
「うるせえ! どいつもこいつも俺をバカにしやがって!」
「だったら食い物の1つでも見つけてみろってんだ。使えねえ奴」
「あぁ!?」
遭難から3日間。出口の見えない逃避行は、海賊たちを苛立たせるには十分だった。
「いい加減にしやがれこの野郎! てめーらに着いていけば助かると思ってここまで来たが、このザマだ! やってられっか、俺は抜けるぞ!」
「おう、勝手にしやがれ馬鹿野郎! クマの餌にでもなってやがれ!」
「てめえらこそ、毒キノコでも食って死んじまえ!」
曲刀を持った海賊は、焚き火にツバを吐きかけ、その場から離れていく。他の海賊たちは、止めることもなく、その背中を見送った。
次の瞬間、その海賊の体が射抜かれ、木に縫い付けられた。
「え?」
続いて、座り込んでいた海賊の頭に矢が突き刺さる。脳を射抜かれた海賊は、奇妙な呻き声を上げながらその場に倒れ込んだ。
「なんだぁ!?」
「襲撃だ!」
残り3人は、ようやく攻撃されていることに気付き、身をかがめながら武器を抱き寄せた。周りに目を向け、敵の姿を探すが、藪だらけで何も見えない。
更に一射、矢が海賊の肩に刺さり――否、強力すぎる矢は、肩を貫通し、腕を吹き飛ばしていった。
「ぎゃああああっ!?」
腕がもげた海賊が、悲鳴を上げながらのたうち回る。残り2人は真っ青になった。彼らが知る弓矢の威力ではない。とてつもない怪物が、この森に潜んでいる。
突如、地鳴りのような咆哮が藪の中から響いた。それに答えるかのように、別の咆哮からも雄叫びが聞こえてきた。咆哮は連鎖し、四方から迫ってくる。
「な、なんだチクショウ!?」
「ひいぃっ!」
海賊の1人が、頭を抱えて逃げ出した。藪の中に飛び込み、姿が見えなくなる。
「ギャッ!?」
直後、悲鳴が聞こえて、それきり物音がしなくなった。
「おいっ……!」
最後の1人が立ち上がる。その直後、周りの藪がガサガサと鳴り、そこから人影が飛び出してきた。海賊が身構える間もなく、白刃が煌めいた。胴体から切り離された彼の首は、焚き火の中に落ちた。熱を感じる前に、既に彼は事切れていた。
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