第12話 ウォーキング・シャーク

「あー、くそ……」


 イーリスから少し離れた海岸に、フカノは流れ着いていた。カジキの群れに巻き込まれ、港の外に流された彼は、そこから泳いで近くの海岸に辿り着いたのだ。サメはいつの間にかいなくなっていた。恐らく、カジキの群れを追いかけて、どこかに行ったのだろう。


「づうっ!」


 両手が痛む。大火傷だ。焼け崩れた梁を支えたのだから、そうなって当然だ。しかし、さっきまで痛みは全く感じていなかった。恐怖もだ。今、思い出すと、サメに殴りかかるなんて正気の沙汰ではなかったのに、あの時は進んで、いや、嬉々として暴力を振るいにいった、ように思う。自分でも自分の行動がよくわからない。


「あいつらは、無事かなぁ……」


 サメが船に突っ込んだことは覚えている。人が巻き込まれたかどうかまではわからない。サメにしがみつくのに必死で、細かいところまでは覚えていられなかった。

 フカノの踵を波が洗った。それで、フカノは今、自分が呆然と波打ち際に立ち尽くしていることに気付いた。いつまでもこうしている訳にはいかない。とりあえず、市街地を目指してフカノは歩き始めた。街は少し離れているが、見えるところにある。歩いていれば辿り着けるだろう。


「……ん?」


 しばらく歩いていたフカノだったは、妙なものを見つけた。海岸に岩が数個ある。奇妙だと思ったのは、そのうちの1つが、まるで人のように見えたからだ。近寄ってみると、ボロボロの石像だとわかった。上半身は人のように見える。しかし、下半身はシルエットがわからない。傘のように開いている。服の裾のようにも、タコやイカの足のようにも見える。


「なんだこれ」


 普通の人間の石像では無いことは確かだ。どことなく神秘的なところから、神様の像だろうか。しかし、これがマイアの像だとは思えない。他の神様だろうか。そこまで考えて、フカノはこの世界の神様を、マイア以外知らないことに気付いた。他の神様の助けも借りれば、サメを倒せるかもしれない。

 そんなことを考えていると、後ろで、ザリ、と砂を踏む音がした。


「動くな」


 振り返ろうとしたが、その声にフカノは動けなくなった。昔見た映画のワンシーンを思い出す。こういう時、大体背中には銃かナイフを突きつけられている。フカノは大人しく両手を上げた。


「いや、手は上げなくていいぞ?」


 戸惑う女性の声。そういえば異世界だった。フカノは静かに両手を下ろす。


「よし、それじゃあ、ゆっくりこっちを向け」


 言われた通り、フカノはゆっくりと振り返った。

 海を背にして、緑色の服を着た女性が立っていた。この世界では珍しい、長袖長ズボンだ。驚いたのは、その端正な顔立ちだ。異世界人の顔は、人間、ゴブリン、ハーピーなど、種族ごとにしか見分けられないフカノだったが、それでも彼女が美人だということは一発でわかった。それから、彼女の細く、長い耳に気付いて、彼女の正体を悟った。


「エルフだ……」


 ゲームで見た通りの、エルフの女性が目の前にいた。唯一違うところと言えば、フカノに突きつけているものが、長弓ではなくボウガンで、しかもそのボウガンには矢ではなく鉄の銛が装填されていることだった。


「エルフで、悪いか?」


 女性は、エルフと呼ばれて不快そうな表情を浮かべた。怒らせてしまったのだろうか。フカノは慌てて言い訳する。


「あ、いや、悪いんじゃなくて、会うのが初めてだったんです。すいません」

「……そうか」


 どうにか、機嫌を直してくれたようだ。エルフの女性は、フカノの顔を観察してから尋ねる。


「見かけない顔だな、何者だ?」

「王都の船に乗って、イーリスに来ました」

「なら、どうしてこんなところにいる。イーリスの街はあっちだぞ?」

「……船から落ちた」


 流石に、サメと戦っていたらカジキの群れに巻き込まれて流された、とは言えなかった。


「それは……お気の毒に」


 エルフはボウガンを収めた。どうやら警戒は解いてくれたようだ。


「街までの道はわかるか?」

「えーと、森の向こうに街が見えたから、ここを真っすぐ行けば……着きますよね?」


 自信なさげにフカノが答えると、エルフは残念そうに溜息をついた。


「仕方ない、送っていこう」

「すいません……あ、俺、フカノっていう名前です。よろしくお願いします」

「私はヘレネだ。よろしく頼むぞ」


 挨拶を交わして、2人は歩き出した。海岸から森の中へ入ると、一気に視界が狭くなった。これでは、どちらにイーリスの街があるかわからない。真っすぐ行けば街に着く、という見立ては甘かった。


「こっちだ」


 一方、ヘレネは迷うことなく獣道を進んでいく。


「よくわかりますね」

「まあ、歩き慣れているからな。それに、故郷の森と比べれば、こんなもの、原っぱのようなものだ」

「この森に住んでるんじゃないんですか?」

「ああ。普段は海岸の家に住んでいる。故郷の森はイーリスの北西だ」


 エルフなのに、森に住んでいない。そのイメージの違いが、フカノの興味を引いた。


「どうしてこっちに出てきたんですか?」

「私は発明家だからな」

「発明家?」

「ああ。鉄や魔石、色々な物を使って、役立つものを作るのが好きなんだ。材料を集めるには森の中だと不便だからな、街の近くまで引っ越してきた」

「へえ……なんか、意外ですね」

「よく言われる。……下、ぬかるんでるぞ。気をつけてくれ」


 足元がぬめっとした。フカノは転ばないように、しっかり足を踏みしめて歩く。


「例えば、何を作ってるんですか?」

「そうだな。これだ」


 ヘレネは手に持ったボウガンを掲げてみせた。


「ボウガン?」

「ボウ……? いや、そんな名前じゃないぞ。これはアドリー。銛撃機だ。この銛にロープを結びつけて、魔石を発動させる。すると、銛が飛んでいって、木や岩に突き刺さる。そのロープを伝っていけば、足場の悪いところでも安全に進めるという訳だ」

「あー。スパイ映画のワイヤーフックみたいなやつですね」

「スパイ……エイガ……?」

「あ、いえ。劇みたいなものです」


 まさか、兄に見せられたB級映画の中に出てきた、などと答えるわけにはいかないので、フカノは適当に話をごまかした。

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