第8話 フライング・シャーク
「うわあああああ!」
フカノは空を飛んでいた。いや、落ちていた。真下には海。海面が迫ってくる。
「あああああ!」
物が落ちる速度は決まっている。フカノは一定のスピードで、海に向かって落ちていく。
「……あー」
ただ、そのスピードが、思っていたよりも遅い。悲鳴を上げ続けて、少し疲れた辺りで、フカノの体はゆっくりと海面に叩きつけられた。
「……ぷはっ! 先生、やっぱり遅いわ、これ!」
海中から顔を出したフカノは、船上に向かって叫んだ。船縁から、のっぺらぼうの人形が顔を覗かせた。調査団に同行している本の精霊、ヴィヴィオだ。
「仮説通りか」
フカノが落ちていた理由。それは、この世界の重力を確かめるためであった。
フカノから、重力について高校生レベルの説明を受けたヴィヴィオは、ある仮説を立てた。仮に、この世界の重力が、フカノのいた世界と違うのなら、物が落ちる速さも変わるはずだ。だから、元の世界とこの世界で同じ物を落として、落ちる速さを比べれば、重力の違いがわかる。
そこで、リンネルにフカノを掴んで飛ばせ、空から海へ落とした。結果、フカノが落ちる速さは、フカノが元の世界で感じていたものよりも遅いということがわかった。
「つまり、この世界の重力は、君が元いた世界よりも軽いということだな」
ヴィヴィオが結論をまとめた。転生先の世界の重力が軽ければ、フカノは相対的に力持ちになる。日本では一般的な男子高校生であるフカノも、異世界なら金メダリスト並みの超人だ。
「よくわかりました。ありがとうございます、先生」
「感謝してるなら体を拭いてくれ。巻物が濡れる」
海から上がったフカノに、ヴィヴィオはタオルを渡した。
「……重力が弱いってことは、ジャンプしたら高く跳べるってことですかね?」
「そうだろうな。……おい、やめろ、ここで跳ぼうとするな、船が沈む!」
早速ジャンプしようとしたフカノだったが、ヴィヴィオに止められた。確かに、ジャンプした反動で船が沈んでは元も子もない。
「イーリスが見えたぞーっ!」
フカノが体を拭いていると、船首の見張りが進行方向を指差した。遠くの岸に街が見える。あの街が、目的地のイーリスだ。フカノたちサメ調査隊の目的は、サメの驚異を街に伝える事と、近くに流れ着いた海賊船を調査することにある。
「お前ら、もう一息だ! 気合い入れろよー!」
クトニオスの掛け声に合わせ、船のオールが力強く漕がれる。船は加速し、一路イーリスを目指した。
――
「旦那ァ! 本当に大丈夫なんですかね!?」
一隻のガレー船が洋上を進んでいた。船には、王都のとある商人と、彼に雇われた船員たちが乗っている。
「大丈夫だ! 港の兵士には話をつけてある!」
「それよりも、魚ですよ、魚! 襲われたらどうするんです?」
水夫が怯えている理由は、先日、王都から出されたお触れのせいだった。なんでも、人を襲う怪物が海に出没しているらしい。それを重く見た王宮の命令で、漁船や商船の出港は制限されていた。
しかし、この商人は秘密裏に船を雇い、見張りの兵士に賄賂を渡して、船を出港させた。その理由は2つ。
「ハッ! 何が人を襲う魚だ! そんなモノ、いるわけがない!」
1つは、そもそも商人が怪物の存在を信じていないこと。
「それよりもこの小麦だ! せっかく仕入れたのに、このままでは大損だぞ!」
そしてもう1つは、このままでは損をするということだった。
「それに万一を考えて、水先案内人も雇っているだろうが!」
商人は空を指差した。船の上空を、1人のハーピーが旋回している。ハーピーは海上に怪しいものがないか、目を光らせている。大空からの監視だ。不審な物体が近付いてきたとしても、すぐに警告できる。
「はあ……」
「わかったら黙って船を進めるのだ!」
その時、上空のハーピーに動きがあった。先程までのように、船の周りを旋回するのではなく、その場で2つの円を描くように飛び始めた。
「あれは……ええと、確か、前に浅瀬がある時の合図だ! おい船長、避けろ!」
しかし、商人が警告したにも関わらず、船長は眉間にシワを寄せて前方の海を見ている。
「何をしておる!?」
「ここの海はよく知ってる。あんなところに浅瀬はなかったはずだ……」
だが、前方の水面下には、確かに巨大な何かがある。船長がそれを見極めようとした矢先、突如、巨大な水柱が吹き上がった。
「うおおっ!?」
「なんだぁ!?」
大量の水と共に飛び上がったのは、商人も船長も見たことがない、巨大な魚だった。青白い体、三角形の背ビレ、鋭い牙。それは、紛れもなくサメであった。
異世界の低重力は、サメにも味方していた。サメのジャンプは、はるか高空を飛行しているハーピーに届いた。ハーピーは驚く間もなく、サメの牙の餌食になった。
尋常ではないハイジャンプを決めたサメだが、空を飛んだわけではない。当然、重力に引かれて落ちてくる。サメの放物線が描く終点には、不幸な商船があった。
「まずい、こっちに落ちてくるぞーっ!」
「避けろ、避けろーっ!」
船員たちが必死にオールを漕ぐが、既に手遅れだ。サメの落下により、商船は一撃で破壊されてしまった。
――
イーリスは、サルオルより南にある港町だ。この街の特徴は、木製の建物が多いということだ。コボルトとエルフの領地に近いこの街は、魚と交換することで、彼らから木材を得ている。また、サルオルに比べると蒸し暑いので、熱がこもらない木製の家が好まれるという事情もあった。
フカノたち調査団が通された庁舎も木造だった。木の家だが、日本出身のフカノには馴染みのない造りだ。むしろ、昔、テレビで見た東南アジアの家に似ていた。
「それで、監察官殿。本日は一体どのような御用で?」
フカノたちの前に座るのは、この街の領主だ。このイーリスの街を中心に、辺り一帯を治めているらしい。相当な権力者のはずだが、フカノたちの来訪に恐縮しきっている。より正確に言えば、ケイトに気を使っている。どうやら、監察官とは、恐れられる職業らしい。
「書簡です。陛下からの」
領主はケイトから渡された巻物に目を通す。その表情が、みるみるうちに固くなった。
「これは……」
何かの間違いではないか、と領主は言おうとしたのだろう。しかし、彼の返答を、ケイトは無慈悲に断ち切った。
「すべての船の出港を制限しなさい。漁船の出港は現在の3割まで制限、交易船は週に1隻、軍船は中央からの命令が下るまで港内で待機。パトロールも当面は禁止。書簡の内容は、すべて事実よ」
フカノの隣にいるクトニオスは、表情を強張らせていた。フカノにはよくわからないが、どうやら厳しい措置らしい。
「お待ちください! 軍船はともかく、漁船も交易船も、その数ではやっていけません!」
「やっていけるはずよ。それだけ豊かな街だもの、ここは」
「いえ、しかし、民が飢えます! 漁の成果が今の3割になれば、とても市民全員に食料を行き渡らせるなど……」
「魚がないなら小麦を食べればいいじゃない」
「なっ!?」
「エルフやコボルトから、小麦を買い付ければいいでしょう? ……ああ、エルフは小麦ではなく、別のものを食べるのでしたっけ。とにかく、それを買って、民に与えなさい」
「ですが、金が……」
「その金庫の中にあるクルキア金貨は、何のためにあるのかしら?」
ケイトは領主の後ろにある金庫を指差した。大きな金庫だ。相当な量の金が入っているのだろう。
「これは」
「税金は貯めておくものではないわ。使うものよ。それとも……」
ケイトの瞳が、領主を睨み据える。
「横領して、中身がない、とでも言うつもりかしら?」
「め、滅相もない! しかし……」
「しかし?」
「そもそも、人を襲う魚とは何なのですか!? そんな話、聞いたことがない!」
この世界に人を襲う魚はいないと、フカノは聞いていた。サメはもちろん、タコやクラゲといった魚もいない。どうやら、女神マイアがそうなるように海を作っているらしい。そんな世界では、人を襲う魚の存在は、RPGのドラゴンのように思えるのだろう。想像はできるが、実在するとは思えない。
そこで、ケイトは説明した。
「サメよ」
「……サメ?」
「ええ、サメ。100人漕ぎのガレー船に匹敵する大きさで、ハーピーが飛ぶよりも速く泳ぎ、ドラゴンの胴体を簡単に食い千切る、異世界の海の怪物よ」
「そ……そんな怪物が、実在すると?」
「女神様が言っているのだから、そうなんじゃない?」
「女神様?」
「あ、はい、私です」
今まで黙って話を聞いていたマイアだったが、自分が話題に上がって手を挙げた。
「え、女神様?」
「はい、そうです。ええと、王都以外の街に来るのは初めてですから……とりあえず、お近づきの印にお魚をどうぞ」
マイアは魔法でブリを作り、領主に手渡した。
「え、あ……?」
ブリは領主の手の中でビチビチと跳ねている。活きが良い。
「とにかくサメなんです。サメが人も魚も区別なく、どんどん襲っているので、なるべく家から出ないようにして、気をつけてください」
「はあ……」
「……女神様の言う通りよ。サメを退治するまで、船は出さないように。いいわね?」
ケイトは立ち上がり、部屋を出た。話は終わり、ということだ。フカノたちも後に続く。フカノは聞きたいことがあり、先を歩くケイトに走り寄った。
「なあ、ケイトさん」
「なに?」
「さっきの話、どういうことだ? サメ映画じゃないんだし、さっきの話みたいに大きくも、速くも、強くもないぞ?」
「知ってるわよ」
「なに?」
「わざとよ。それぐらい大げさに言わないと、危機感を持たないでしょう?」
ケイトはフカノを置いて先を行く。その背中を見送るフカノに、クトニオスが追いついた。
「おっかねえ……ケイト監察官には血も涙もねえって話は、本当みたいだな」
「そんなに有名なのか、アイツは?」
「ああ。そもそも監察官ってのは、王様の代理人として各地を見て回って、税の徴収や統治がちゃんと行われているかどうか観る役割だ。
だから、監察官様のご機嫌を悪くしたら、代官だろうが領主だろうがクビになっちまう。そうならないために、必死に賄賂を送りまくるんだよ。
だけど、ケイト監察官だけは違う。どうしてだと思う?」
「……どうして?」
フカノはクトニオスに続きを促した。
「賄賂が通じないからさ! なんだかんだ言っても王族だ、金ならいくらでもある。そんな人が大真面目に監察官をやってるんだ、行く先々で告発、告発、また告発だよ。
この2年間で解任された代官は3人、横領が見つかって罰金を払った領主は10人、納めるものをきっちり納めないと心臓まで持ってかれるって噂だ。本当におっかねえ……!」
「仕事をこなしているだけよ」
冷たい声が後ろから聞こえた。振り返ると、ケイトがそこにいた。
「うわぁっ!?」
「なんで後ろに!?」
「貴方たちが話しながら追い抜いていったからよ。あと、声が大きい。丸聞こえよ」
どうやら、今までの会話は筒抜けだったらしい。
「すまねえ、監察官様。悪く言うつもりは無かったんだ、ただ、ちょっとわかりやすくしようとしたら、大げさになっちまっただけで……」
「謝る必要は無いわ。事実だもの。ただ、心臓を持っていくのは間違いね。家財の差し押さえはするけど、人の体はお金にならないもの」
ケイトはフカノとクトニオスを追い越し、先を行こうとする。しかし、2人が立ったままなのに気付き、振り返った。
「ボーッとしていないで。次は難破船の調査よ。明日の夜明け前に出港するから、今のうちに準備しておきなさい」
「あの」
フカノは訊いた。
「怒ってます?」
「怒ってないわよ」
その声は完全に怒っていた。
――
領主は金庫の中を見ながら、ため息を付いていた。中には、クルキア金貨が詰まった袋が、1つだけポツンと置かれている。金庫の大きさに対して、余りにも少ない。それもそのはず、本来、この中に入っているはずの税金は、ほとんどすべて彼が私的に使い込んでいた。
「こんなに早く監察官が、しかも、あのケイトが来るとは聞いていないぞ……!」
このままでは横領罪で領主を解任されてしまうだろう。どうしたものかと考えていると、副官が書類の束を手にしてやってきた。
「あの、領主様。明日の祭りの件ですが、いかが致しますか?」
「何がだ!」
「ですから、祭りを開催するかどうかです」
明日はイーリスの海祭りの日だ。市民のほぼ全員が参加する、イーリスの街の一大イベントである。海の女神マイアを称えるダンスショーや、小型船による海上レースが、領主主催で行われる。それだけでなく、市民によるイベントも企画されているし、沢山の出店が立ち並ぶ予定になっている。
「人を襲う魚が現れるというのなら、海祭りは行わないほうが良いのでは?」
「そんなことできるわけがないだろう! 市民はどいつも祭りを楽しみにしている、いまさら中止など言えるか!」
それに、領主にとって祭りは重要な資金源でもある。横領した分の税金を穴埋めするには、なんとしてもここで稼いでおかなければならなかった。
「大体、人を襲う魚などいるものか! 船と同じ大きさで、ドラゴンよりも強いだと? いかにも子供が考えそうな怪物だな!」
「だとしても、船の出港は制限されていますが……」
「言われたのは漁船、交易船、軍船だけだ。祭りの船については何も言われておらん。祭りは予定通り決行するぞ、いいな?」
「あっはい……」
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