第7話 ジョーズ・プリンセス

 サメ調査隊の選抜には数日かかった。その間、フカノはこれからの自分のことについてあれこれ考えてみたが、結局、『自分にできることをやる』という、いつもの考え以外、得られるものはなかった。

 いや、得たものは、正確にいえばもう1つある。


「結構、よく出来てるなぁ」


 新しいパーカーに袖を通し、フカノは満足げに頷いた。そう、得た物とは、服である。王都の腕のいい仕立て屋に頼んで、日本のパーカーと似たようなものを作ってもらったのだ。

 今までフカノが着ていたのは、普通のTシャツとジーンズだったが、何度か海に浸かったせいでダメになりつつあった。そこで、サルオル王が仕立て屋を呼んで、新しい服を作ってもらうことになったのだ。

 そうしてできたのが、今着ている片袖のシャツと、その上から羽織るパーカーだった。シャツの袖を片方切り取ったのは、海に潜った時、右腕のエラを塞がないためだ。しかし、腕にエラが生えていると、流石の異世界でも目立つ。そこで、パーカーも作ってもらった。異世界にはパーカーがなかったので、大体の特徴を仕立て屋に説明すると、大体あってるものができた。腕のいい仕立て屋だ。

 新品の服を纏って、フカノは港へ向かった。今日が調査隊の出発日だ。メンバーは既に決まっている。フカノは迷わず、見覚えのあるガレー船へと歩いていった。


「おーう、フカノ! 来たか!」

「よう、クトニオス」


 調査隊の船として選ばれたのは、クトニオスの船だった。


「まさかお前の船に、もう一度乗ることになるとはな」

「どうやら、女神様を乗っけたご縁があったみたいだ」

「よろしく頼むぜ」

「おうよ!」


 クトニオスとは会って数日しか経っていないが、初対面よりかはずっと親しみやすい。何しろ同い年だ。ひょっとしたら、王様かゲイルがその辺りに気を回してくれたのかもしれない。


「フカノさーん!」


 更に、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。振り向くと、マイアがいた。


「ついてくるのか、お前」

「はい。女神として、今回のサメ退治を見届ける義務がありますから!」

「食われても知らないぞ? いや、ほんとに」


 相手は異世界転生したサメだ。女神だろうとなんだろうと、問答無用で食べかねない。その時、マイアを守りきれるとは、フカノには思えなかった。そもそも、マイアのせいで蘇らされて体を改造され、あまつさえサメと戦わされようとしているのだ。助ける気が起きるかどうかもわからない。


「えーと、後のメンバーは……」


 フカノは周りを見渡す。まず、屈強な漕ぎ手たちが目に入った。この前、海岸で一緒にゴブリンと戦った人々だ。ただ、前よりも数が少ない。この前の戦いで怪我をした人間が抜けたのだろう。

 次に、船尾に止まっている人を見た。いや、人ではない。両腕は無く、代わりに鳥の翼が生えている。足も同様で、鉤爪の生えた鳥の足に置き換わっている。ハーピーの女性だ。


「おやー?」


 ハーピーがフカノに気付いた。フクロウのように首を傾げる。


「なんとも見慣れぬお顔。ひょっとして、噂の、女神の戦士様ッスか?」

「"女神の"はいらないです。フカノです、よろしくお願いします」

「ういッス。アタシはリンネルッス。皆さんを空から先導するッス」

「……リンネルッス、って名前ですか?」

「違うッス。リンネル、が名前ッス」


 なんともややこしい喋り方である。話を聞く時は気をつけたほうがよさそうだ。

 次に見つけたのは、フードで顔を隠した人影だ。手に持った巻物に目を通している。全身を覆い隠すローブを身に纏っているので、男なのか女なのか、そもそも人間かどうかもわからない。


「あのー、すみません」

「なんだ?」


 人影がこちらを向く。その顔には、何もなかった。のっぺらぼうだ。


「おひゃあ!?」


 思わず、フカノは飛び退った。


「な、なんだいきなり。大きな声を出すんじゃない」


 のっぺらぼうは口もないのにどこからか声を出している。ただ、その声に敵意は含まれていない。むしろ、向こうが戸惑っているようだ。


「あ、あの、調査隊の人ですか?」

「ああ、そうだが……貴方は?」

「フカノって言います。始めまして」

「フカノ……ああ、なるほど。貴方が噂の。私は……ヴィヴィオと読んでくれ。今回の調査に同行する学者だ」

「学者……?」

「ああ。図書館が私の居場所だというのに、王の命令で海の上に引きずり出されてしまった。酷い話だろう?」

「いや、すみません、その前に、人間じゃないですよね?」

「ん? ああ、そうだ。今は体があるのだったか」


 自分の両手を確かめて、ヴィヴィオは語り出す。


「私は人間じゃない。わかりやすく言うと、書物の精霊だな」

「書物の精霊?」

「ああ。年を経た書物が魔力を帯び、魂を持った存在が、私だ。この体は蔵書整理用の人形で、本体じゃない」


 フカノは、ヴィヴィオが持っている巻物を見た。書物の精霊ということは、あれが本体なのだろうか。そうなると、気になることが1つある。


「その、本体が濡れたり燃えたりしたら、どうなるんですか?」

「良い質問だ」


 ヴィヴィオは巻物を丸め、勿体つけて咳払いをしてから、答えた。


「死ぬ」

「死ぬ」

「書物が本体だからな。間違いなく死ぬ。なのに、知識があるというだけで、学者として洋上調査に駆り出されたんだ……」

「その……頑張ってください」


 命懸けにもほどがある。フカノは彼を応援することしかできなかった。

 ほかに初対面の人はいないようだ。しかし、ハーピーと本の精霊は別として、怪我をして減った兵士が補充されていない。


「クトニオス、兵士の人たちはこれだけなのか?」

「いや、もう1組来るはずなんだが……あ、来た」


 王宮の方に目を向けると、10人ほどの兵士を引き連れた少女が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。


「……アイツは」


 その少女の顔を、フカノは知っていた。先日、出合い頭にナイフを突きつけられた、ケイトという少女だ。ケイトは居並ぶ面々の前で言った。


「王都監察官ケイト、以下10名。陛下の命を受けて、サメ調査隊に参加するわ。この船の船長は誰?」

「俺、あ、いや、私ですが」


 クトニオスが進み出る。その声はどこか緊張していた。


「もう聞いているとは思うけれど、調査隊の指揮は私が執るわ。貴方は航行に専念しなさい」

「わかってます。……後ろの方々は?」

「私の部下よ。貴方の船は欠員が出ているのでしょう? その補充よ」


 いずれも、屈強な男たちが揃っている。船の漕ぎ手としての役割も、戦士としての役割も、問題なくこなせるだろう。


「荷物は積み込んでいるの?」

「はい」

「そう。なら出発しなさい。時間がもったいないわ」

「……わかりました。お前ら、出発するぞ! 準備しろ!」


 クトニオスの号令を受けて、兵士たちが出発の準備を始める。その最中、フカノはクトニオスにそっと聞いてみた。


「なあ、クトニオス。アイツ、一体なんなんだ?」

「……お前、ちょっと声小さくしろ」


 クトニオスは、フカノの言い方を聞くなり、顔を真っ青にして声を潜めた。


「え、何、なんなの?」

「えーとな、監察官って言ってるけど……ケイト様は王族なんだよ!」

「王族ゥ!?」

「声ェ!」

「すまん」

「……コホン。王族って言っても、今の王様の6人兄妹の末娘の次女だから、次の王様になるとかそういうんじゃないんだが。それでも陛下の孫娘だ。下手なこと言ったら処刑されるぞ」

「わかった、気をつける……。でも、なんでそんな人が、サメ調査に?」

「わかんねえ……監察官だからかもしれないが、自分で立候補したって噂もある」

「監察官?」

「ああ、監察官ってのは……」

「隊長! ちょっと聞いておきたいことがあるんですが!」


 説明しようとするクトニオスだったが、部下の呼び声に遮られた。


「あっ。すまねえ、また今度な!」


 クトニオスは部下に対応するために、フカノから離れていってしまった。仕方なく、フカノは船員の邪魔にならない所に腰掛けた。隣には既にマイアがちょこんと座っていた。


「どうしたんです、フカノさん?」

「いや、別に悪いことはしてないのに嫌われててさ……」


 フカノは視線でケイトを指す。マイアはケイトの顔を見ると、少し表情を暗くした。


「ああ、あの人は……」

「知り合いか?」

「はい。ケイトさんですよね。王宮で何度かお会いしているんですけど、何だか私、嫌われてるみたいで。お会いする度に睨まれるんです」

「お前もか?」


 フカノと同じだ。誰にでもそうなのかと思ったが、少なくともクトニオスと話していた時は、睨みつけるようなことはなかった。ひょっとしたらフカノは、マイアのとばっちりを受けているのかもしれないと思った。


「……女神さん、何かしたんじゃないの?」

「そんなことないです。普通にお会いして、挨拶して、お魚を渡しただけなのに嫌われてるんです」

「それじゃねえかな……」


 もしもケイトが魚嫌いなら、初対面でいきなりブリを突きつけてくる女神を好きになれるはずがないだろう。もっと真面目な理由があるのかもしれないが、フカノにはそれぐらいの理由しか思いつかなかった。


――


 紺色の生地の上に、黄色い剣を描かれた旗が、洋上に翻る。サルオル王国の国旗だ。王国に属する船は、商船だろうと軍船だろうとこの旗を掲げる。

 国旗を掲げながら出港するクトニオスの船。それを見送るのは、サルオル三騎士のうちの1人、ゲイルだ。彼はクトニオスたちがサメ退治のための手がかりを見つけてくることを期待している。だが、それとは別に、騎士船団を預かる者として、備えておかなければならない責務というものがある。


「船団の集結まで、何日かかる?」

「およそ2日です」


 隣に控える副官が答えた。


「よし。銛の調達は?」

「予定通りなら、明日、クラッケから到着します」

「船団が到着次第、全艦に銛を配備する。3日間の訓練の後、特別編成で各海域をパトロールさせる」

「3日間の間に、魔王軍が行動を起こした場合はどうしますか?」

「その場合は魔王軍を優先する。凶暴な魚よりも、魔王軍の方が脅威だ」


 ゲイルは独自の手段で、サメに対抗しようとしていた。調査隊を信じていないわけではないが、その間、何もせずに手をこまねいているわけにはいかない。


「サメと魔王軍、同時に相手にするわけにはいかん。できるだけ早く、サメを退治するぞ」

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