第6話 ギガ・シャークvsロード・マジシャン
ディオメテウスの船は、オークの大船と相対していた。彼が乗るガレー船には100人程度が乗っている。対して、オークの大船は200人以上が乗り込んでいる。接舷され、白兵戦となってしまえば、勝ち目はない。幸い、オークの大船は小回りが利かない。ガレー船が逃げ回る余地は十分にある。
「弓、構えーい!」
接舷できなければ、次に始まるのは射撃戦だ。舷側に並んだオークたちが、短弓に弓を番えた。
「放てぇーい!」
船長の号令と共に、大量の矢がガレー船に降り注いだ。大半は盾に防がれるが、その隙間を縫った矢が甲板に、あるいは不運な兵士の足に突き刺さった。
「ぐあっ!」
「隊長! まだですか!?」
ガレー船は、すでにこの斉射を5度も受けている。兵士たちの防御も長くは保たない。
「……十分だ、よくやった」
しかし、その間に、時間稼ぎは十分にできていた。船の中央、盾兵に厳重に守られていた男が立ち上がる。藍色のマントを羽織った男は、手にした杖を空高く掲げた。すると、さっきまで晴れていた空がにわかに曇り始めた。
「さて。一発だけ、反撃させてもらおうか」
サルオル三騎士が一、"魔術百般"ディオメテウス。その魔法は、万象を操る。
「ゼウスの怒りを思い知れ! ケラウノス!」
それは、はるか高空から、稲妻を落とす魔法。閃光は、寸分違わずオークの大船を貫いた。雷に打たれて無事なものなどあるはずがない。大船は一撃で黒焦げになり、真っ二つに割れた。その衝撃で、オークたちは海に投げ出された。船を失ったオークたちは、慌てて海岸へと泳いでいく。そこに、ディオメテウスの兵士たちが、矢を射掛ける。
「随分とまあ、大きな船をこしらえたものだ。山の連中にしちゃ、上出来だな」
大船の残骸を見上げながら、ディオメテウスは感心している。魔の山の麓に住んでいるオークたちは、サルオル人ほど海に詳しくない。この船も、乗っ取った港でせっせと作り上げた戦闘艦だろう。
「よし。戻って陛下に報告するぞ。面舵一杯、王都に向かえ」
「了解!」
漕ぎ手たちがオールを漕ぎ、船が旋回する。その途中で異変が起こった。
「……うん、あれは?」
波間に黒い三角形の物体が、姿を表していた。それは、岸に向かって泳ぐオークの群れに近付いていく。ディオメテウスが見る前で、それは姿を表した。黒い巨体の、鋭利な刃物を思わせるような形の、巨大な魚。それが水中から大きく飛び上がり、オークの群れの中に飛び込んだ。
泳ぐオークの群れの真ん中に、真っ赤な穴が空いた。
「何が……っ!?」
「なんだあのバカでかい魚は!?」
うろたえる兵士たちの中で、ディオメテウスだけが事態を把握していた。
あの魚が、オークを丸ごと喰った。
「全速前進、漕ぐ手を緩めるな! 少しでもあの魚から離れろ!」
兵士に指示を出してから、ディオメテウスは瞑想に入る。魔法を放つには、少しの間、精神集中が必要だ。
ディオメテウスが魔法の準備を整えている間に、200人以上いたはずのオークは、あっという間に食い尽くされてしまった。それでもまだ足りないのか、巨大な魚はディオメテウスの船へと向かってくる。
「こ、こっちに来ます!」
「わかってる」
オークたちが食われている間に、瞑想は終わった。ディオメテウスは杖を海上の背ビレに向ける。
「クリュスタロス!」
ディオメテウスの周囲に氷の槍が作り出された。石壁をも貫く、氷点下の一撃が、巨大魚に降り注ぐ。
「貫け!」
氷の槍は水面下の魚に命中し、そして呆気なく砕け散った。
「――なっ!?」
魚は無傷。速さを増して、ディオメテウスの船に向かってくる。
「ま、待て待て待て! そんなことがあってたまるか!?」
自分の魔法が通用しない。それは、ディオメテウスにとって最も信じられない出来事だった。次の魔法を放つために、必死に精神を集中させようとするが、動揺して瞑想が出来ない。
「漕げ! もっと速く!」
しかし、巨大魚は無情にもガレー船に追いつき、その巨体を宙に踊らせてガレー船に乗り込んできた。落下地点にいた兵士が、運悪く魚に押し潰された。
「ぎゃああああっ!?」
更に運が悪いのは、ディオメテウスだった。乗船してきた魚が、彼の足に噛み付いたのだ。船上で魚は体を左右に振って暴れ、その度にディオメテウスの足に激痛が走り、船が壊れていく。
「やめろ、やめてくれっ! 足を……あああっ!?」
咀嚼が始まる。ディオメテウスの体が引き込まれ、太腿に鋭い牙が突き刺さる。
「やめ、やめて……」
更に、彼の体が引き込まれ、腹が食い破られる。
肋骨を噛み砕かれた時、既に彼は事切れていた。動かなくなった彼の死体を、魚は丸ごと飲み込んだ。
――
「とんでもない化物でした。ディオメテウス様は丸呑みに、船も粉々に破壊されて……」
奇跡的に生き残った漕ぎ手の話は、その場にいた全員を青ざめさせるには十分だった。
「あのディオメテウスが、そんなにあっさりと……?」
「信じられん……」
特に、ディオメテウスをよく知っているであろう、クリュウ王とゲイルの驚きは尋常ではなかった。王国筆頭の魔法使いが、為す術もなく食われてしまったのだ。並の相手では敵わないと、思い知らされた。
「フカノさん、なんとかなりそうですか?」
「無理だ」
マイアの問いに、フカノは即答した。転生したサメは完全に人智を超えている。多少力が強くなった程度で、太刀打ちできる気がしない。
「そもそも魔法が効かないサメってなんだよ……」
「私もわかりません。フカノさんと同じように、重力、とかのお陰で強靭になっているんでしょうか?」
「そういう問題じゃねえよ……」
チート、という言葉が思い浮かんだ。ずるいという意味だ。全くもってその通りだ。魔法が効かないなんて、ずるいにも程がある。
「……フカノさん。これだけの怪物を、前はどうやって倒したんですか?」
「いや、ガスボンベを抱えて自爆して道連れに……」
「ガス……自爆……?」
マイアは首をかしげる。自分で言いながら、よくあんな方法でよくサメを巻き添えにしたものだ、と呆れた。あの時は頭に血が昇っていたのと、腕を食われてパニック状態だったせいで、細かいことを考えていなかった。今、もう一度やろうとしても、ガスが上手く引火するか、そもそもサメが上手くガスボンベを噛み砕いてくれるかわからない。今更になって、フカノは身震いしてしまった。
「ゲイルよ。これは、一大事だな……」
「ええ。魔法が効かないとなると、戦法を考えなければいけません。相手の力がどれぐらいなのか計るために、調査隊を派遣するべきだと思います」
「そうだな……」
どうやら王とゲイルは、本腰を入れて取り組むつもりのようだ。王が軍隊を使って調査するというのなら、出番はないだろう。フカノはホッと安堵のため息をつく。
「フカノ殿」
「はい?」
王がフカノに声をかけた。
「サメ退治の勇者である貴方の経験を、貸していただきたい。調査隊に参加していただけませんか?」
「ちょ、ま、いやいや!?」
フカノの声が裏返るのも当然だった。サメ退治の出番がないどころが、最前線に送り込まそうになっている。
「待ってください、意味がないでしょ! サメのことなんて何もわかりませんよ!?」
「それでも、人を襲う魚に会ったことがあるのはあなただけです」
慌てるフカノに対し、王は言葉を続ける。
「このエリュテイアでは、すべての魚は食べられますし、人を襲うこともありません。溺れることさえ気にしなければ、陸よりも海の方が安全です。ですから、我々は海からの驚異にどう立ち向かえばよいのかわからないのです。しかし、今、ここにはサメを知る貴方がいる」
王とフカノの目が合った。王の瞳は、暗闇の中で一筋の光を見つけたかのように、輝いていた。
「サメと戦ってくれ、というわけではありません。力ではなく、異世界でサメと戦った知恵と経験を貸して欲しいのです」
サメと戦うのは怖い。それがフカノの正直な気持ちだ。しかし、自分より年齢も地位も遥かに上の老人に、こうも真摯に頼まれては、断るのに気が引ける。
考えてみれば、サメと戦え、と言われているわけではない。サメについて調べろと言われているだけだ。多分、サメの弱点がわかれば、後はゲイルたちが何とかしてくれる。それなら、フカノにもできる。
「……わかりました。調べるだけなら。ええ、やりましょう」
フカノが頷くのを見て、サルオル王はホッとしたように微笑んだ。
――
フカノは、王宮の侍女に連れられて、廊下を歩いている。王もゲイルも、マイアもいない。男2人はこれからの作戦を相談するために別室に移動し、女神は魚を配りに街に出た。
「なんでだ……なんでだ……」
そしてフカノは、王宮の廊下を歩きながら、ブツブツと呟いていた。謁見の間を出てから30秒後、彼は早くも自分の選択を後悔していた。
「あ、あの、お客様。お疲れですか……?」
「いや、そうじゃないんだ。すまない……」
先を行く侍女が困っていたので、フカノは口を閉じた。それでも、心の中の後悔は止まらない。
その場の勢いで、迂闊にもサメ調査隊に参加してしまった。調査隊となれば最前線だ。サメに出会わないわけがない。そしてサメは、戦う気がない人間を見逃すような知性など持ち合わせていないのだ。どう考えても、この先サメに襲われる展開しか思い浮かばない。いっそのこと逃げようかとも考えたが、逃げてからどうするかが思いつかなかった。
そういうわけで、今、フカノは大人しく来客用の部屋に案内されている。
石畳が敷かれた廊下を歩く。廊下は窓から差し込む陽の光のお陰で明るく照らされているが、フカノにとってはサメ殺刑を待つための牢獄につながる道筋でしかない。必然、足取りは重くなる。
だがその時、いきなり視界に割り込むものが現れた。突然開いたドア、そして、部屋の中から出てきた女性の顔だ。
「うわっ」
「ッ!?」
フカノと女性は、ぶつかる前に互いに後ろへ飛び退いた。
「……誰!?」
金髪の女性は、フカノが目を白黒させている間に、腰の短剣を抜き放ってフカノに突きつけてきた。フカノは更に一歩下がり、刃から距離を取ってから両手を上げた。
「待ってくれ! なんだいきなり!?」
「貴方こそ何者かしら? 一般人は立入禁止よ、ここは」
女性、というには少し顔立ちが幼かった。少女と呼んだほうがいいだろう。フカノを不審げに見る少女の瞳は緑色だ。ナイフを持った腕はあまり日に焼けておらず、白く、すらりと伸びている。肩の辺りまで伸びたブロンドの髪には、ふんわりとウェーブがかかっている。彼女は、上半身は袖なしのブラウスのような服を着て、下半身には裾がほとんどないズボンを履いていた。見たところ、ナイフ以外に物騒な武器を持っている様子はない。
フカノは相手を刺激しないように、努めて冷静な声で少女に話しかけた。
「案内されて来たんだよ」
「案内?」
「あの、ケイト様」
ドアの影から、侍女がおそるおそる顔を出し、ブロンドの少女に話しかけた。
「本当です。陛下のお客様です。女神様がお連れになった、戦士様です」
「女神の、戦士?」
緑色の瞳がフカノを捉える。その視線を受けた途端、フカノの背筋がゾクリと震えた。女性の視線には、ただならぬ感情が篭っていた。ただの驚きや困惑だけではない。怒り、憎しみ、そういうものが見えたような気がした。
「……そう。貴方が噂の」
ケイトと呼ばれた少女は、短剣を下ろした。同時に、視線から感じていた威圧感も消える。あるいは、フカノの気のせいだったのかもしれない。なにしろ初対面だ、恨まれる理由が何もない。
「魔物を倒すのでしょう? まあ、精々がんばりなさい」
そう言うと、ケイトはフカノの横を通り過ぎて歩いていった。フカノは、その背中が見えなくなるまで見送ると、深い溜め息をついて両手を下ろした。
「なんだあいつ……勘弁してくれよ……」
ナイフを突きつけられた時は、刺されると思った。サメに食われて死ぬ前に、ナイフで刺されて死ぬなどたまったものではない。いや、サメに食われて死ぬのも御免だだ。とにかく、心の整理が付く前に死にたくないと思う、フカノであった。
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