第5話 すべてがブリになる
この世界には1つの大きな島しかない。人々はこの島を『エリュテイア』と呼んでいる。名前の由来はわからない。クトニオスたちが住んでいる、サルオル王国が築かれるよりもはるか昔から、そう呼ばれていたらしい。
サルオル王国の王都は、東には海、北には川があり、西と南は城壁で守られている。川を使って内陸部との交易もしているが、主な産業は、やはり漁業である。毎日、夜明け前から漁船が出港し、昼前には新鮮な魚を満載して戻ってくるのだ。
そんな漁業都市の顔つきは、街並みにも表れている。都市にある建物の半分が、海の上にあるのだ。漁師にとってはその方が便利なのだろう。住人の大半は、海中に石を積み上げ、その上に家を建てて暮らしている。陸地に住むのは一部の富裕層と、王宮で働く人間ぐらいだ。
「はー、すっげえなあ……」
「だろう?」
クトニオスの説明の半分も理解できていないフカノだったが、この王都が豊かなことはなんとなくわかった。語って聞かせたクトニオスは、フカノの様子を見てなぜか誇らしげだ。
彼らが乗るガレー船は、王都の船着き場に入ると、桟橋に横付けになった。それから、クトニオスは船首に立って叫ぶ。
「ゲイル軍団6番艦! クトニオス、ただいま戻りましたぁーっ!」
その一声に、港の人々が振り返った。
「クトニオスぅ!?」
「無事だったか!」
「軍団長ーッ! クトニオスさんが戻ってきましたよーッ!」
その声に、港で1番大きい船に乗った男が振り返った。クリーム色のマントを羽織った中年の男はクトニオスの船を認めると、船から降りて近付いてきた。
「クトニオス! やっと戻ってきたか!」
「ゲイル軍団長! 遅れて申し訳ありません! 6番艦、クトニオス、ただいま帰還いたしました!」
「ご苦労だった! ……魔王軍に会ったのか?」
クトニオスの船についた傷を見ながら、ゲイルと呼ばれた男は言った。
「はい。申し訳ありません、逃げるのが精一杯で……」
「無理するな。お前の任務は偵察だ、生きて帰ってきたのなら、それでいい」
「……はい!」
「それで、一体何があったんだ?」
「実はですね……」
クトニオスとゲイルが話している間、フカノは港の様子を眺めていた。港に泊まっている船は、どれもクトニオスの船と同じガレー船だ。たくさんのオールがついている。どうやらこの世界には、帆船というものが存在していないらしい。考えてみれば、海上にはほとんど風が吹いていなかった。そんな穏やかな海で、帆に風を受けて船を進めようなど、無謀な話だ。
船から人に視線を移す。男女共に薄着だ。ゲームやアニメのキャラクターのように、露出度が高すぎる。目のやりどころに困る。
「どうして皆、まともな服を着てないんだ……?」
「え、これが普通ですよ? 泳ぐ時に邪魔じゃないですか」
マイアが不思議そうな声で答えた。どうやらこの世界は、泳ぐことが日常的で、そのために人々は水着で生活しているらしい。フカノは改めてマイアの服装を見た。彼女も、肩と腹を出した、ほとんど水着同然の服装だ。目のやりどころに困る。顔立ちはフカノよりも幼く見えるのに、出るところは出てるアンバランスさが、余計にそう感じさせる。
フカノは咳払いしてマイアから視線を外し、港へ目を戻した。港では、様々な人が動き回っている。一番多いのは、積み荷の上げ下ろしをする水夫だ。次に、それらの船の持ち主らしい商人がいる。また、港で事件が起きないように見回りをしている兵士もいる。そんな中に、少し、いや、かなり異様な人影を見つけた。
緑色の肌の人間、いや違う。潰れた鼻に尖った耳。間違いなく、先日砂浜で襲いかかってきたゴブリンだ。大きなバックパックを背負ったゴブリンは、果物屋の店主と何か話し込んでいる。
「あの、ちょっとあの、すみません」
フカノは隣にいた兵士の袖を引っ張った。
「なにか?」
「あそこにゴブリンがいるんですけど、ヤバくないですか。追い払ったほうがいいんじゃないですか?」
「どこに?」
「あの建物の角にある果物売ってるところですよ。ほら、大きな荷物背負ってる奴」
「……あー、本当だ」
兵士もどうやら見つけたらしい。
「魔王軍じゃないんですか、ゴブリンって」
「いやあ。王都に入れるってことは、魔王軍とは関係ないゴブリンなんじゃないですか? 別に珍しくじゃないですよ」
「あっ、そうなの?」
「ええ。種族が違うからって、全員が全員、魔王軍に入るわけないじゃないですか。ほら、あっちの方見てくださいよ」
兵士が指差す方を見ると、二足歩行の狼のようなモンスターが、人間から銀貨や銅貨を受け取り、秤に載せて重さを調べている。
「なんです、あれ?」
「コボルトですよ。エリュテイアの南の方に住んでるんですけど、あいつらが魔王軍に協力してるって話は、聞いたことがないですね」
「どうして?」
「そりゃ、魔王軍はエリュテイアの北が縄張りですから。南に住んでる人間が、わざわざ協力する必要はないでしょう」
「そっかあ……」
どうやらこの世界は、モンスターだからといって全員が魔王軍だというわけではないらしい。兵士や町の人々の反応から推測すると、異種族、というより外国人程度の感覚で接しているようだ。
不思議な気持ちでフカノが街を眺めていると、港で遊んでいる子供がこちらを見ていることに気付いた。
「女神様だ!」
その子供は元気よく叫ぶと、こちらに向かって走ってきた。桟橋の上を渡って、船べりに手をかけると、マイアの顔を見て言った。
「女神様、女神様! この前のお魚、ありがとうございます! お母ちゃん、元気になりました!」
「あら。どういたしまして」
マイアはのほほんと笑っている。
「もう1匹いる?」
「はい!」
「じゃあ、ちょっと待ってね」
そう言うと、マイアは両手を胸元で上に向けて、目を閉じた。すると、両手に淡い光が集まり始めた。光は徐々に大きくなり、やがて、あるものを形作った。
ブリである。
「は?」
無からブリが生み出された。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
少年は笑顔でブリを受け取ると、家へ向かって走っていった。
「え、何、今の?」
「魚です」
「そうじゃなくて、どっからブリを出した?」
「出した、というか、魔法ですけど」
「魔法ォ!?」
「……あ、そうですよね。フカノさんにはまだ説明してませんでした。これが、海を司る女神としての私の権能です。海と魚に関する魔法なら、なんでも使えるんです」
「魔法で……ブリ……?」
確かにマイアは神様だ。魔法が使えてもおかしくない。しかし、魔法を使ってやることがブリを生み出すこととは、色々なものを無駄遣いしているような気がした。
「あのー、すみません」
フカノが呆然としていると、船の漕ぎ手が声をかけてきた。
「はい?」
「俺も、もらっていいですか? 家族への土産にしたいんです」
「いいですよー」
マイアは二つ返事で承諾し、魔法でブリを生み出す。
「あ、じゃあ、俺も……」
「私も」
ほかの乗組員たちも、それに便乗して魚を注文し始めた。
「はい、1人1匹ずつですからね。順番に配りますから、待っててくださいねー」
マイアは嫌な顔ひとつせず、次々と魔法でブリを生み出し、乗組員たちに配っていく。その奇妙な光景を、フカノは何とも言えない表情で見守るしかなかった。
「失礼します、戦士殿」
「ふおっ」
背中から声をかけられ、フカノは変な声を上げながら振り返った。クトニオスの上司であるゲイルが、彼の前に立っていた。
「は、はい。なんですか?」
「お初にお目にかかります。私はゲイル。このサルオルで一船団を預かる者です。この度は、クトニオスを助けていただき、誠にありがとうございました」
「あ、どうも。フカノです」
「話はクトニオスから聞きました。なんでも、異世界からやってきた、人を襲う魚を倒すために、女神様がお呼びになったと」
「あー、いや、それは……」
フカノは言葉に詰まった。サメと戦うつもりはないのだが、ここまでしつこく頼まれるとなんだか断りづらくなってしまう。
「詳しい話をお聞きしたいのですが、ひとまず、王宮へ参りませんか。ここでは、いつまで経っても落ち着けないでしょうし」
「どういう意味です?」
フカノの問いかけに、ゲイルは無言でマイアの方を指差した。
「ありがとうございます」
「1人1匹ですよー」
「2週間ぶりですね、女神様」
「はい、こんにちはー」
いつの間にか、ブリの希望者が長蛇の列を成していた。どうやら、さっきの子供と、船上での会話を聞きつけて、周りの民衆が集まってきてしまったらしい。中にはゴブリンやコボルトといった、異種族の者も混じっている。
「……ええと、じゃあ、王宮までお願いします」
げんなりしながら答えるフカノであった。
――
サルオル王の宮殿は、王都を見下ろせる小高い丘の上にあった。フカノとマイアはゲイルに連れられ、謁見の間に通された。
「どうも、女神様。お元気そうで何よりです」
「王様、こんにちはー」
女神と挨拶を交わしているのが、この国の王、クリュウ16世だ。
「配下から、事件が起こっていると聞きましたが、一体何があったのですか?」
「はい。獰猛な魚が異世界からやってきてしまったので、警告をしに来ました」
「獰猛な魚?」
「ええ。信じられないかもしれませんが、人を襲う魚です」
「ふむ」
しばし考え込んでから、王様は口を開いた。
「先週、商船が巨大な魚にぶつかって座礁したという事件がありました。3日前には、ザンバルバ沖を哨戒していたボートが行方不明になりました。そして今朝、イーリスの街の近くで、海賊の船が真っ二つにされた状態で見つかった、と報告がありました。
私はてっきり、魔王軍に新しく加わった魔物の仕業かと思っていましたが……これは、女神様の言う、人を襲う魚の仕業なのですか?」
「はい、きっとそうだと思います」
マイアは、申し訳無さそうな顔をして頷いた。
「それ、本当にサメか……サメ映画じゃねえんだぞ……?」
一方、話を聞いていたフカノには、予想以上の被害に驚いていた。確かにサメは恐ろしい魚だが、そこまで見境なしに襲いかかってくるものではない。ましてや、この世界の船は、木製とはいえフカノが乗っていたクルーザーよりもずっと大きい。それを転覆させたり、破壊したりするだけの力が、果たしてサメにあるのだろうか。
「でもフカノさん、サメじゃなかったら一体なんなんですか?」
「それは……王様が言ってた通り、その、魔王軍の怪物とか。あと、サメに見せかけて悪人が暴れてるとか?」
サメではないと思っても、他に何があるのかと言われると、それぐらいしか答えが出せない。
「……ところで女神様、そちらの方は?」
王様がフカノを見て尋ねた。
「あ、こちらはフカノさんです」
「はじめまして、フカノです」
「異世界でサメを退治した勇者です」
「やめてくれ、退治したわけじゃないし、勇者でもない」
「ほう、女神様がお選びになった勇者ですか」
しかし王様はマイアの話を信じそうだ。フカノは慌てて弁解する。
「違うんです。確かにサメは殺したんですけど、退治っていうよりも、自爆しただけなんです。それに勇者っていうよりは、カッとなってやっちまっただけで……」
ふと気がつくと、フカノは左手で自分の右肩を押さえていた。慌てて左手を肩から離す。
「とにかく、サメともう一度戦えって言われても困るんですよ」
「ふむ。まあ、ご安心ください。サメ、というのは何かはわかりませんが、今はディオメテウスの船団が海を巡回しています。これ以上の被害は出させませんよ」
「ディオメテウス?」
「ええ。ゲイル、アウリアに並ぶ、サルオル三騎士のうちの1人、魔術百般のディオメテウスです。若干20歳にして、100以上の魔法を修めた、天才魔法使いですよ」
「魔法使い! どんな魔法が使えるんですか?」
「火球に雷撃、氷結、毒霧。一通りの魔術は修めています」
「うん、それなら大丈夫ですね!」
ゲームに出てくるような魔法があれば、たかだかサメごとき恐れることはない。その魔法使いとサメが出くわせば、1分も絶たずにサメはカマボコにされるだろう。サメと戦う必要はないと確信したフカノは、肩の荷が降りたような晴れ晴れとした気分を味わっていた。
「報告、報告ーッ!」
その直後、謁見の間に兵士が駆け込んできた。ただならぬ様相に、サルオル王は身構えた。
「どうした?」
「ディオメテウス様が、海上で魔王軍の怪物と交戦! 討ち死にしましたぁー!」
「な」
その場にいた全員が、声を揃えて叫んだ。
「なんだってー!?」
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