第4話 ゴブリン・ジョーズ
「よし、5人目、行くぞ? 大丈夫だよな、本当に大丈夫だよな?」
「ああ、やってくれ……!」
フカノが頷くと、兵士の1人がゆっくりと彼の腕にぶら下がった。
「んぐっ……!」
「おお、耐えたー!」
「マジかー!?」
フカノの右腕に2人の兵士がぶら下がっている。更に左腕に1人、背中に1人、肩にも1人乗っている。合計5人分の体重を、フカノは1人で支えている。普通の人間なら、まず支えられない重量だ。
「6人目! 6人目いけるか?」
クトニオスの問いかけに、フカノは首を横に振った。
「いや……もう、ギブ、ギブ」
「ギブ?」
「ああ、もう無理、降参って意味だ。だから早く降りてくれ!」
「無理ですか。んじゃ、降りまーす」
ぶら下がっていた兵士たちがフカノから離れた。フカノは大きくため息をつくと、自分の体をまじまじと見た。死ぬ前と比べて、特に筋肉がついたわけでもないのに、力が異様に強くなっている。転生する前は、人ひとりを支えるのが精一杯だったのに、今では両手に1人ずつ人を抱えて、全力疾走もできそうだ。
「なあ、女神様。本当に一体何をしたんだ?」
原因は、フカノを転生させた女神にあるはずだ。
「いえ、普通に復活させただけです。何もしてません」
しかし、マイアにも心当たりはないようだ。
「何もしてないわけないでしょ。筋力を3倍ぐらいにして蘇らせたとか、強化魔法をかけたとか、そういうことやったんでしょ?」
「してないです。いや、できないです。お魚を早く泳がせる魔法なら使えますけど」
「なんでそんな地味な魔法が使えるんだよ……」
「海の女神ですから!」
えっへん、とマイアは胸を張る。威張ることではない。
「……いや、問題はそこじゃなくて、なんで俺の力がこんなに強くなってるかってことだ。本当に、俺の体に何もしてないのか?」
「ええ。でも、それぐらいの力がないと、あちらの世界では生きていけないのではないでしょうか?」
「え、なんで?」
フカノがいたのはごく普通の日本だ。マイアが心配するほど物騒な要素はない。だが、マイアが言っているのは、治安の問題ではなかった。
「フカノさんの魂を導くときに、一瞬だけ向こうの世界に行きましたけど、とても重い世界でした」
「重い……?」
「はい。水がまとわりつくように重くて、泳いでいる魚も、大きさは同じなのに、私が知ってる魚よりもずっと重かったんです」
「あー……」
重い世界。その言葉で、フカノの頭にある考えが思い浮かんだ。
「なあ、クトニオス」
「なんだ?」
「体重何キロ?」
「キロ……? えっと、それって重さの単位か?」
聞いたことのない単語に、クトニオスは困惑している。
「あ、そうか、ごめん。なんでもない。そうだよ、異世界だもんな」
フカノが使い慣れている単位は、この世界では通じない。
「フカノさん? どうしたんですか?」
「いや、この世界は俺の世界と重力が違うんじゃないかな、って思って」
「重力?」
マイアとクトニオスの声が重なった。
「俺も先生じゃねえからわからねえけど、それで物の重さが決まるらしいんだ。俺の世界はこの世界よりも重力が強いから、俺はこの世界で力持ちになってるのかも」
「ほーん。よくわかんねえけど、科学って奴か」
クトニオスは、わかったような、わかっていないような声を出す。マイアはまったくわかっていないようで、首をかしげている。
「王都の学者さんなら何か知ってるかもな。後で聞いてみたらいいんじゃないか?」
王都。その言葉を聞いて、フカノは初めて、この船の目的地を知った。
「王都。この船、その王都ってところに向かってるのか?」
「ん? ああ、そういや言ってなかったか。そうそう、王都にこれから帰るんだよ。本当だったら、もう少し北のほうまで出て、キルケオーの偵察をするはずだったんだけど……船が座礁した上に、魔王軍に見つかってこのザマだからな。さっさと撤退だ」
「魔王軍!?」
「うん? 魔王軍だぞ、それがどうした?」
「いや、この世界、魔王がいるのか!?」
魔王など、ゲームでしか聞いたことのない存在だ。異世界とはいえ、そんなものが実在するとは、驚くしかなかった。
「ああ。まあ、つっても、そんな驚くような奴じゃないぞ。ゴブリン、オーク、リザードマンとかの、魔の山の部族をまとめた奴が、魔王って名乗ってるだけだから」
「魔の山?」
「ほら、あの山だよ」
クトニオスは、島の中央に聳え立つ山を指差した。頂上には分厚い雲がかかっていて、まったく見えない。
「あれが魔の山だ。頂上にいっつも雲がかかってて薄気味悪いんだよ。魔王はあの頂上に登ったとかなんとか言ってるけど、まー嘘だろうなー。あんな高いところ、登っていけるわけがねえ」
クトニオスは冗談めかしてヘラヘラと笑う。その直後、ガレー船の横腹から、何かがこすれる音がした。
「どうした!?」
「櫂が何かにぶつかりました!」
漕ぎ手の1人が焦った声をあげた。
「やべえ、また浅瀬か!? 一旦止まれ!」
ガレー船が停まった。クトニオスは船首に立ち、海の中に目を凝らしている。浅瀬が無いかどうかを見極めているのだろう。
フカノは後方を見た。さっきまで戦っていた砂浜は、もう遥か遠くになっている。だが、そこが気になる。あのゴブリンたちが諦めたとは思えない。ひょっとしたら、船を繰り出して追いかけてくるかもしれない。そうなったら、いちいち浅瀬を確認して止まっているこちらの船は、すぐに追いつかれる。それはまずい。
なら、今、自分にできることは何か。船。海。浅瀬。海中。しばらく考えてから、フカノはマイアに問いかけた。
「なあ女神様。俺って、海の中で息ができるんだよな?」
「はい? はい、できますけど」
「……よし」
フカノはシャツを脱ぎ、上半身裸になった。二の腕のエラが露わになる。そして、船首のクトニオスに呼びかけた。
「クトニオス」
「あん?」
「俺が海の中の様子を見てくる。浅瀬があったら合図を出すから、それについてきてくれ」
「いいのか?」
「ああ、やれることがあれば、やっておきたい」
「……頼む!」
フカノはクトニオスに向かって親指を立て、それから海に飛び込んだ。海の中は、驚くほど透き通っている。思った以上に遠くまで見渡せる。
念のため、息を大きく吸い込んでみる。息苦しくない。普通に呼吸ができる。これなら大丈夫だ、と思ったフカノは、海中を見渡した。
オールの近くに、小さな岩がある。さっきぶつかったのはアレだろう。かすっただけで、航行の邪魔になるような大きさではないから、問題ない。
それよりも恐いのは正面だ。急に海底が盛り上がり、浅瀬になっている。このままガレー船が進んだら、また座礁してしまうかもしれない。そう判断したフカノは、海面に上がった。
「どうだー?」
クトニオスが呼びかけてくる。フカノは腕で大きくバツ印を作った。
「ここから先は浅くなってる。もっと沖に出た方がいい!」
「おおう……ありがとう、助かったぜ! みんなー!沖に向かって漕いでくれー!」
ガレー船が方向転換する。このまましばらく、水先案内人を続ける必要がありそうだ。フカノはしばらくそうやって、ガレー船の道案内をすることにした。
――
一方、援軍を引き連れて戻ってきたアルゴロスは、ガレー船が無くなっていることを知ると、すぐに自分の船で追いかけ始めた。
「おい、奴らの船は見えたか!?」
「いえ、まだです!」
船首の見張りゴブリンが叫ぶ。
「隊長、奴ら、本当にこっちに逃げたんですか? ひょっとしたら逆方向かも……」
「それはねえ。一度座礁してるんだ、王都に帰ろうとするに決まってる!」
アルゴロスは斧の背を指で叩きながら、水平線を見据える。
「このままじゃ俺らのメンツが立たねえ……追いついたら、細切れにして鳥の餌にしてやる……!」
「あれえ?」
船首の見張りが声を上げた。
「いたか!?」
「いえ、あの……なんか、変なものがあります」
「なんだ、はっきり言え!」
「黒い三角形です。右の、斜め前の方に」
アルゴロスは、見張りが指差す方向に目を凝らす。よく見ると、確かに、波間に突き立った三角形の物体があった。それは、波をかき分けながら、こちらに向かって一直線に進んでくる。
「なんだ、ありゃあ?」
「こっちに来てないですか?」
言われてみれば、確かに三角形のものはこちらに向かってきていた。更に、よく目を凝らすと、水面下に巨大な影が見えた。
「魚、か?」
「でも、魚にしちゃでかすぎませんか?」
ゴブリンたちは山育ちだ。魚には詳しくない。だが、1つわかることがある。
「あの大きさ、ぶつかったらやべえぞ。右に曲がれ!」
アルゴロスの号令で、ゴブリンの漕ぎ手たちがオールを動かす。船が右へと曲がって、魚を避けようとする。
だが、魚は船に向かって方向転換してきた。
「だめです、避けられません!」
「ええい、ぶつかるぞ、頭下げろぉ!」
直後、大きな衝撃がアルゴロスたちを襲った。思った以上の振動に、転ぶゴブリンもいた。
「おい、大丈……!?」
顔を上げたアルゴロスは絶句した。船の右半分が無くなっていた。大きな物にぶつかって壊れた、などという生ぬるいものではない。まるで、狼の顎に挟まれたかのように食い千切られていた。
船が揺れた。アルゴロスの足に、何かがぶつかった。それは、さっきまで彼の横でオールを漕いでいた、ゴブリンの首だった。
「う、うおおおおおっ!?」
胴体の半分を失った船は、あっけなくひっくり返った。乗船していたゴブリンたちは海に投げ出される。
「なんじゃこりゃあああ!?」
「助けてくれーっ!」
「ぎゃあああっ!」
武装したゴブリンたちは、まともに泳げずもがくことしかできない。アルゴロスも同様だ。しかし、奇跡的に樽が浮いていたので、それにしがみつくことができた。
「助か」
巨大な牙が波間から現れ、アルゴロスを一呑みにした。
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