第3話 ゴブリン・シャーク

「いたぞおおおおお! いたぞおおおおお!」


 野太い叫び声が海岸に響いた。フカノたちが声のした方を見ると、緑色の肌の、奇妙な人型の生き物が、こちらを見て叫び声を上げていた。人間ではない。かといって、サルやゴリラでもないことはわかる。鎧と棍棒で武装したサルなど、見たことも聞いたこともないからだ。


「なんだあいつ!?」

「しまった、見つかった!」


 戸惑うフカノの横で、クトニオスと兵士たちは身構えた。

「だからなんなんだよ!?」

「敵だ! クソッタレ、アンタ、こっちに来てくれ! 女神様もお願いします!」


 クトニオスに引っ張られるように、フカノとマイアは船の側まで走った。そこには、クトニオスたちと同じような格好をした人間が、40人程度集まっていた。


「盾兵前へ! ゴブリンに見つかった、ここを防御するぞ!」

「はいっ!」


 駆けつけたクトニオスの号令を受け、円盾を持った兵士たちが前に出た。海を背にして、陸に向かって円盾で壁を作る。事情がわからないフカノとマイアは、クトニオスと一緒に壁の後ろに隠れた。


「船長、そっちの2人は誰ですか?」


 兵士の1人が、クトニオスに問いかける。


「女神様と、なんかの戦士だ!」

「女神様!?」


 周りの兵士たちが、一斉にマイアの方を見た。


「女神様って、あの女神様!?」

「初めて見た!」

「握手してください!」

「後にしてくれーっ!」


 どうやら女神は人気なようで、兵士たちが持ち場を離れてマイアの周りに集まってくる。しかし、今は非常時だ。兵士たちはクトニオスに追い払われた。

 そうこうしているうちに、緑色の人型生物が、銛の中から続々と姿を表した。背格好は人間に似ているが、鼻が潰れ、額が出ており、頭が禿げている。お世辞にも美形とは言えない外見だ。


「何だあいつら。人間じゃなさそうだが」


 フカノはマイアに尋ねた。


「ゴブリンですね」

「ゴブリン。ああ、ゲームに出てくる」


 言われてみれば、イメージ通りのゴブリンだ。どうやらここは本当に異世界らしい。ようやくフカノは確信することができた。

 ゴブリンたちは60人ほど集まっている。そのうちの数十人が、布を取り出して振り回し始めた。布は石を包んでいるようで、ヒュンヒュンと音を立てて高速回転している。


「頭下げろ、頭! 来るぞ!」


 クトニオスはフカノの頭を押さえつけた。マイアはすでに頭を抱えてうずくまっている。

 勢いがついたところで、ゴブリンたちは、回していたタオルごと石を放り投げた。遠心力の乗った石が猛スピードで放たれ、兵士たちの盾に、あるいは後ろのガレー船にぶつかった。けたたましい音が響く。人間に当たれば大ケガは間違いないだろう。


「お前ら、大丈夫かぁ!?」


 クトニオスは兵士たちに呼びかける。


「大丈夫です! でも……」


 石を投げたゴブリンは、武器と盾を手に取った。後ろのゴブリンたちも身構える。その中で、一際大きな体格の、背中に金色の羽飾りをつけたゴブリンが怒号を上げた。


「敵は少数、ビビることはねぇ! この金羽飾りのアルゴロスに続けっ!」

「オオオオオッ!」


 ゴブリンたちが武器と盾を構えて突撃してくる。


「金羽飾りのアルゴロス!?」

「ソンカを攻め落としたっていう、あの!?」


 兵士たちは動揺している。フカノにはよくわからないが、どうやらあのゴブリンは大物のようだ。


「怯むなっ! 俺らに逃げ場はねえんだ! 迎え撃つぞ!」

 クトニオスが叫んだ。兵士たちもそれぞれの武器を構え、突撃に備えた。

 ゴブリン軍団と盾兵が衝突する。金属と金属がぶつかり合う、凄まじい音が海岸に鳴り響いた。


「わあっ!」

「うおっ!?」


 勢いはゴブリンたちが勝ったようだ。盾兵が何人か倒された。乱れた隊列の隙間から、ゴブリンが内側に雪崩れ込んでくる。


「死ねやぁ!」

「やらせるかっ!」


 ゴブリンが兵士に棍棒を振り下ろす。その前に、横の兵士がゴブリンの腹を槍で突く。


「おああああっ!?」

「俺らは家に帰るんだよ! 邪魔すんな!」


 別の場所では、地面に倒れたゴブリンと兵士が鍔迫り合いを行っている。


「おい、おいおい、ヤバいんじゃねえのか、これ……!?」


 突如、目の前で展開された戦場に、フカノはただ戸惑うことしかできなかった。人間とゴブリンとはいえ、紛れもない、武器を使った殺し合いだ。ついさっきまで日本にいたフカノにとっては、理解しがたい光景だった。


「なあ、神様なんだろ、なんとかできねえのか?」


 すがるような思いで、フカノはマイアに声をかけるが、無情にもマイアは首を横に振った。


「ごめんなさい、私もこういうのはさっぱりで……」

「そっち行ったぞー、女神様!」


 クトニオスの叫び声。フカノが顔を上げると、こちらに向かって猛進してくるゴブリンを見つけた。金の羽飾りを背負った、隊長格のゴブリン。アルゴロスだ。


「おい、おいっ、ちょっと待ってくれ!」


 フカノが止めようとするが、アルゴロスは構わず、フカノに向かって斧を振り下ろす!


「ひゃあっ!?」


 フカノは横に飛び退って、辛くもこれを避けた。


「何すん」


 その言葉は、青銅の盾によって塞がれた。立て続けに振るわれたアルゴロスの盾が、フカノの顔に叩きつけられたのだ。顔面に金属の塊を叩きつけられたフカノは、数歩よろめき、後ろに尻餅をついた。

 フカノは顔を手で押さえた。手が赤く染まる。鼻血が出ている。むせ返るような血の匂いが、口の中に広がる。

まるで壁がぶつかってきたかのような衝撃だった。それほどの打撃だったのに、

 いや、そんなことは、今のフカノにとってはどうでも良い。


「てめえ、ちょっと待てよ……こっちは素手だぞ、オイ」


 フカノはゆっくりと立ち上がる。鼻から流れる血をぬぐいもせずに。


「だってのに、いきなり殴りかかるってのは、どういうつもりだこの野郎……」


 アルゴロスを睨み付ける。その目には、怒りが満ちていた。


「何をごちゃごちゃとっ!」


 アルゴロスは踏み込んだ。大上段に振りかぶった斧を、全力で振り下ろす。盾による打撃が通じないのなら、斧で切り殺そうというつもりだろう。

 だが、フカノは斧を避けるどころが、更に一歩前に踏み込んだ。アルゴロスの想定よりも一瞬早く、間合いが詰まる。アルゴロスは斧を振り下ろそうとしたが、その前に、フカノの拳が、彼の顔面に突き刺さった。


「っらあ!」


 フカノの右ストレートが、アルゴロスの体をピンボールのように吹き飛ばした。不運にもその先にいたゴブリンと兵士が数人、巻き添えを食って倒れた。


「なっ……!?」

「ええっ!?」


 兵士もゴブリンも、その光景に驚いていた。パンチ1発でゴブリンを吹き飛ばす人間など、見たことも聞いたこともなかった。


「ふざけてんじゃねぞてめえらアアアッ!」


 フカノが、吼えた。理性も何もない、怒りに身を任せた獣の絶叫だった。


「……や、やれっ! みんなでやっちまえ!」

「全員でかかるんだ! まずはあいつだ!」


 ゴブリンたちがフカノに殺到する。フカノは、1番近いゴブリンの頭にチョップを食らわせた。それだけでゴブリンは気絶し、その場に倒れこむ。フカノはそのゴブリンの手から、盾を奪った。

 次のゴブリンが剣で切りかかってきた。フカノは盾で剣を叩き返す。がら空きになったゴブリンの胴に、拳を叩き込む。ヒラ兵士のゴブリンは、アルゴロスよりも遠くに吹き飛ばされた。

 後ろから襲い掛かろうとしたゴブリンは、あまりの怪力に身を竦ませた。するとフカノはそのゴブリンの首根っこを掴み上げた。ゴブリンの体を、片手で宙に吊り上げる。


「ひいいっ!」

「ふんっ!」


 そのまま、投げた。その先にいたのは、ゴブリンの集団が、ボウリングのように薙ぎ倒される!


「うわあっ!」

「なんだこいつは!?」


 思わぬ狂戦士の出現に、ゴブリンたちは戦意を完全に喪失していた。


「お前ら! 逃げ、ゴフッ、逃げるぞ!」


 目を覚ましたアルゴロスが、血を吐きながら撤退命令を出した。


「はいぃ!」


 ゴブリンたちは猛烈な勢いで逃げ出した。あっという間に砂浜を駆け抜け、森に飛び込み、見えなくなった。


「すっげえ……」


 クトニオスと兵士たちは、呆然と突っ立っている。一方、勝利の立役者であるフカノは、イラついた様子で砂を蹴り上げていた。


「あー、くそっ、チクショウ。何だってんだ一体……おいお前!」


 フカノはクトニオスを指差した。


「はいっ!?」

「これからどうすんだ!? あいつら、戻ってくるのか、それとも逃げっぱなしか? 俺らはいつまでここに残ってりゃいい?」

「あ……いや、そうだな。確かにあいつら、戻ってくるな」


 蹴散らしたといっても、アルゴロスは健在だ。今度はもっと多くの部下を引き連れて戻ってくるだろう。


「だったら、さっさと逃げるぞ!」

「いや、でもよ、船が駄目なんだ」

「ああん?」


 ガレー船は砂浜に乗り上げている。どうやら、船が座礁していたせいで、クトニオスたちはこの場から動けなかったらしい。


「だったら歩けばいいだろ!」

「歩きで帰れる距離じゃねえよ! 地図もないし!」

「……だったら」


 フカノはガレー船に近付くと、おもむろに、海に向かって押し始めた。


「ぐ、む、おおお……」

「いや、いやちょっと待て、そりゃ無理だって」


 数十人を乗せるガレー船だ。人ひとりの腕力で動かせるはずがない。クトニオスはそう考えていた。しかし、現実は。


「お、お、おおおおおっ!」


 船が僅かに傾いた。


「マジかよ!?」

 だが、それ以上は動かない。それでも、可能性は見えた。


「おい、みんな押せ! あの女神の戦士に続くんだ!」

「はいっ!」


 動ける兵士たちが、フカノの横に並んで船を押す。


「みなさーん! 頑張ってくださーい!」


 マイアも声を張り上げて応援する。

 すると、船が少しずつ動き始めた。


「うおおっ!? よっしゃ、みんな、せーのっ!」

「せーのっ!」

「せーのっ!」

「せーっ、のっ!」


 渾身の力で押したガレー船は、遂に砂浜を抜け出し、海に戻った。


「よっしゃあ、これで帰れるぞー!」

「いやったあーっ!」


 兵士たちは喜び勇んで船に乗り込んでいく。

 その様子を見ながら、フカノは肩を上下させて荒く息をしていた。そこにクトニオスが声をかける。


「助かったぜ。さっきもそうだけど、とんでもない馬鹿力だな、お前! びっくりしたぜ」

「いや……俺もびっくりしてる……」


 フカノは自分の両手をまじまじと見つめる。ゴブリンを投げ飛ばしたことといい、船を押して動かしたことといい、こんな力は身に覚えがない。なら、その原因は。思い当たる節に向かって、フカノは振り返った。


「女神様、俺に一体何をしたのか、ちょっと話してもらおうか」


 しかし、女神もまた、何が起こったのかさっぱりわからない様子で、首をかしげている有様だった。

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