第2話 サメ新生 SHARK & REBIRTH
「金目の物はこれで全部かぁ!?」
洋上に2隻の船があった。1隻には商人と、彼に雇われた数十人の漕ぎ手たちが乗っている。もう1隻には棍棒や刃物で武装した男たちが乗っている。海賊である。この哀れな商船は、不幸にも海賊船に捕捉され、積み荷を根こそぎ奪われている最中であった。
「は、はい! どうか、命だけはご勘弁を……」
「おう。これからこの海を通る時は、俺に話を通してからにするんだな! ヒャーッハッハッハッ!」
商船は命だけを乗せて、海賊船から離れていく。一方の海賊船は、奪った積み荷の重みで喫水を下げながら、アジトに向かって漕ぎ始めた。上空では、彼らの略奪を祝うかのように、海鳥が旋回飛行していた。
「……ありゃ?」
海賊の子分が声を上げた。
「どうした?」
「兄貴、あれはなんですかい?」
子分が指差した先には、波間から突き出た、黒い三角形の物体があった。
「なんだありゃ?」
海賊たちは顔を見合わせるが、誰も見たことがないようだ。三角形の物体は、まっすぐ商船に向かっていく。ぶつかる、そう思った瞬間、突然、商船が砕け散った。
「ええっ!?」
「なんだぁ!?」
斧で叩き切られたかのように、破壊された商船。当然、乗組員は海に投げ出される。彼らは泳いで岸に向かおうとするが、三角形の物体が近付くと、その姿が次々と海中に消えていった。
「おい、なんかやべーぞ」
「逃げろ! 漕げ! どんどん漕げ!」
異常を察知した海賊たちは、一目散に逃げだそうとする。しかし、波間に突き立つ三角形の物体は、彼らを追ってきた。異常に速い。20人漕ぎのガレー船だというのに、海中を泳ぐ何かのほうが速い。
「もっと早く漕げ!」
「無理です、これ以上は……!」
そしてそれが、海賊船に追いついた。
「うわあああああっ!?」
海賊船を襲う振動。岸壁に真正面から叩きつけられたような衝撃が、海賊船を一撃で破壊した。船の残骸も、略奪した積荷も、乗っていた海賊も、すべて海に沈んだ。
――
「冗談だろ、おい?」
サメが異世界で暴れている。そんな与太話を、フカノはすぐに受け入れることができなかった。死後の世界や神様の存在の方が、まだ信じられる。
「冗談なわけないでしょう! サメのせいで、何人死んだと思ってるんですか!?」
しかし、女神マイアの表情は真剣そのものだった。信じようとしないフカノに、怒っているようですらあった。
「もう、頼れるのはあなたしかいないんです。どうか、私の世界を救ってください……!」
「……いや、いや、ちょっと待ってください。神様なんですよね、あなた」
「はい、女神です」
「神様だったらサメ1匹ぐらいどうにかなるでしょう?」
神といえば、世界を作り出すような全知全能の存在のはずだ。それがたかだかサメ1匹に音を上げるなど、フカノには信じられない。しかし、女神は言った。
「いえ、駄目なんです」
「なんでですか」
「あのサメは、私の世界の生き物じゃありません。だから、私の力が全然通じないんです」
「マジかよ……」
神は全知全能ではない。常識を覆されたフカノは、ただ呆然とするしかなかった。
「ですからフカノさん、あなただけが頼りなんです。あのサメを一度倒したことがある貴方が、希望なんです。どうか、どうかよろしくお願いします!」
マイアは胸の前で両手を組み、フカノへ懇願する。サメを倒し、世界を救ってくれるように。しかし、フカノは。
「……いや、正直勘弁してほしいんですけど」
その願いを、断った。
「どうしてですか!? もう一度、同じことをやるだけですよ!?」
「それなんですよ! もう一度、あのサメと戦うんでしょう!?」
フカノの脳裏に、あの時の記憶が蘇る。激痛。悲鳴。灼熱。恐怖。爆散。そして、死。思い出すだけで、身が縮こまる。あんな思いは、2度としたくない。
「考えてみてくださいよ、ただの男子高校生ですよ、俺。アクション映画のヒーローじゃないんですから。もっとちゃんとした人を呼べばいいじゃないですか」
世界には、フカノより逞しい人間などいくらでもいる。わざわざフカノが蘇ってサメを退治する必要はない。そのはずだった。
「そうは言っても、もう蘇らせちゃいましたし……」
「あれ、俺もう転生してるの!?」
「それはまあ。そうしないと、喋れないじゃないですか」
どうやら、目を覚ました時点で、フカノは生き返っていたらしい。納得と同時に、新たな疑問が湧いてきた。
「うん、あれ? それじゃあ、ここ、海の中ですよね?」
「はい」
フカノの体は、海の中を逆さに沈んでいる。海の中。水中だ。口から、ごぽ、と気泡が漏れた。
「ぎゃーっ! 息、息ができねえーっ!」
フカノは四肢をばたつかせ、体勢を逆転させ、海面を目指す。しかしあまりにも遠い。それまでに息が持つとは思えない。
「落ち着いてください! 息ならちゃんとできてます、大丈夫です」
「あ、あれ?」
言われてフカノは気付いた。口から空気は出ているが、息苦しくない。
「なんで?」
「右腕のお陰です!」
「右腕?」
フカノは右腕を見た。剥き出しの二の腕、そこに、生前はなかった切れ込みが多数入り、口を開くようにパクパクと動いていた。
「エラ呼吸です」
「うっぎゃあ!? 気持ち悪い!」
フカノは右腕から離れようとするが、これは彼の腕だ。当然、彼の体に引っ張られてついてくる。それでますますフカノはパニックに陥り、ジタバタする。
「落ち着いて」
「落ち着いてられるかバカヤロウ! なんてことしてくれたんだ! 元に戻してくれ!」
「いやそれは……えーと、とにかく落ち着きましょう! ほら、一旦海から上がって、それからお話しましょう!」
――
海から上がったフカノとマイアは、砂浜に座り込んでいた。ここはフカノがよく知る日本の砂浜ではない。砂浜の先には、見たこともない木々が並んで、森を形作っている。コンクリートの波止場も、道路も、ビルもない。まるで、別世界のような光景だ。まるで、ではなく別世界そのものなのだが。
「あ、あの」
マイアが、おそるおそろ、といった様子でフカノに声をかける。
「落ち着きましたか?」
その一言で、フカノの意識は現実に引き戻された。つまり、異形と化した自分の右腕のことを思い出した。
「そうだ、右腕! どうなってんだこれ!?」
「ひゃっ!」
マイアは後ずさった。その様子に、フカノは気を悪くし、それでようやく落ち着いた。
「……わかった、わかった。やっと落ち着いた。すまん」
「そ、そうですか……」
「でも、どうしてこんな風にしたんだ? 普通に蘇らせてくれればよかったじゃねえか」
フカノは右腕を掲げた。水から出たからか、腕のエラは閉じていた。
「ええ。最初はそうしようとしました。でも、魂からフカノさんを形作ったとき、右腕が食い千切られていたんです」
フカノの背筋に悪寒が走る。右腕を失った時の、あの激痛を思い出した。
「それで」
「ですから、新しく腕を作って、取り付けました。その、お魚の要素が入ってしまいましたが」
「入ってしまいましたが、じゃねえんだよ。普通の人間の腕にできなかったのか?」
「私、海の女神ですから、人の体は作れないんです」
「いや、神様だったらそれぐらいなんとかならないの?」
「神様だって万能じゃないんですよ!」
「ええ……」
神とはなんだったのか、と思うフカノであった。
「でもエラ呼吸、便利ですよ? 水の中でも呼吸できますし。サメと戦うなら、あったほうがいいでしょう?」
「だから、それは無理だってば。あんな思いはもう勘弁だよ」
「そこをなんとか! せっかく生き返ったんですし、ね?」
「せっかくで2度も死んだらたまるか!」
「そこをなんとか!」
「断る!」
こうなってしまっては押し問答だ。永遠に続きそうな話し合いだったが、新たな声が割って入ることで中断された。
「女神様!? 女神様じゃないですか!」
フカノが振り返ると、砂浜を、数人の男たちが走ってくるところだった。全員、剣や槍で武装している。思わず、フカノは身構えた。
「な、何だ、こいつら?」
フカノはマイアに問いかける。
「ええと、王都の人たちですね、多分。騎士船団の方ですか?」
マイアが訊くと、先頭にいる、金髪で浅黒の肌の青年が答えた。
「はい! ゲイル船団6番艦の乗員です! 俺は、船長のクトニオスです!」
彼らの後ろには、オールが何十本もついた、木造の大型船があった。あれの乗組員なのだろう、とフカノは推測した。
「どうもどうも、お疲れ様です」
「女神様、こんなところで何してるんですか?危ないっすよ」
「フカノさんとお話してました」
「フカノ? そっちの人で? 何者なんです?」
クトニオスは、フカノの顔を訝しげに覗き込む。フカノは挨拶をしようとしたが、その前にマイアが口を開いた。
「喜んでください、サメ退治の戦士ですよ!」
「いや、まだ認めてねーぞ!?」
そこを譲るつもりはない。
「サメ……?」
クトニオスは、『サメ』という単語に首を傾げている。後ろの兵士たちも同様だ。どうやら彼らは、サメを知らないようだった。そんな彼らに、マイアが説明を始める。
「あちこちの船や村を襲ってる大きな魚です。噂にもなってるでしょう?」
「あー、ひょっとして、12番艦を真っ二つにしたっていう?」
「真っ二つ? それ本当にサメか?」
船を壊すサメは知っているが、船を切ったサメというのは聞いたことがない。それとも、異世界独特の比喩表現なのだろうか。フカノにはわからない。
「魚が人に襲いかかってくるなんて聞いたことないからな。その、サメ、って奴に違いないだろう。いやしかし、アンタがサメを何とかしてくれるっていうなら、ありがてえ。あの化物のせいで軍も商人もてんてこ舞いなんだ。化け物退治、よろしく頼む」
「いや、決まったわけじゃ……」
フカノがサメ退治の話を否定しようとした、その時だった。
「いたぞおおおおお! いたぞおおおおお!」
野太い声が、海岸に響き渡った。
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