サメ転生

劉度

第1話 ジョーズ ~28秒後…~

 右腕が、熱い。目を覚ましたフカノが、最初に感じたのはそれだった。何かと思って目を向けると、赤く濁った視界の向こうに、千切れた右腕が見えた。

 痛みを自覚する。叫ぶ。口からゴボゴボと泡が漏れる。水の中にいる。息ができない。慌てて、足をバタつかせて水上に出た。


「うあっ! ……あああああっ!?」


 洋上に出たフカノは、右肩から先を失った激痛に悲鳴を上げた。痛い。それしか考えられない。血を撒き散らしながら、四肢、いや、三肢をバタつかせてもがく。

 振り回した左手が何かにぶつかった。ガスボンベだ。波間に浮かぶそれにフカノはすがりついた。溺れる心配は無くなったが、肩から流れる血は止まらない。


「なん……なん、でっ……!?」


 引きつった声で問うが、この海に答える者はいない。その答えを求めようと、フカノは辺りを見回す。最初に目に入ったのは、炎上するクルーザーだった。次に、そのクルーザーから投げ出された荷物の数々。フカノがしがみついているガスボンベもそのうちの1つだ。そして、投げ出されたのは荷物だけではない。


「助けてくれーっ!誰か、誰かーっ!」


 人が、海に浮かんでいる。フカノと同じように、クルーザーから投げ出されたようだ。どうしてこんなことになっているんだ、と考えていると、フカノは更に別のものを見つけた。


 波間に突き立った、黒い背ビレ。

 それは海を割るように泳ぎ、叫ぶ人に向かっていく。


「やめろっ! 来るな、来るなーっ! やめてくれーっ!」


 溺れる男は腕を振り回して必死に泳ぐが、背ビレの方が速い。背ビレはすぐに男に追いついた。


「やめ」


 叫び声は、水面下に引き込まれた。

 その光景を見て、フカノはようやく思い出した。


 サメだ。


 彼らの船はサメに襲われたのだ。船は転覆し、フカノの右腕もまた、サメに食い千切られた。


「ぐうっ……!」


 状況を思い出すと、忘れていた痛みも一緒に戻ってきた。フカノはボンベにしがみつき、痛みを堪える。


「あの野郎……俺の腕を……!」


 あちこちから悲鳴が聞こえてくる。一緒に清掃ボランティアに参加していた友人たちの声だ。このままだと、彼らも、自分も、全員食われる。自分に、何かできることはないかと思って参加したボランティアが、こんな地獄になるなんて思わなかった。


「何ができる」


 フカノは呟く。


「何ができる……」


 フカノは考える。その間にも、腕から血が流れ、海面を赤く染めていく。

 自問自答の答えを探すため、もう一度周りを見る。波間に浮かぶ友人。浮かんでいる雑多な荷物。残骸。燃える船。炎。

 自分を見る。欠けた右腕。ボンベにしがみつく左腕。腕は塞がっているが、両足は動く。激痛さえ忘れれば。


「何ができる?」


 できることは、ある。それを始めるためには、覚悟を決めなければいけない。できるかどうか。問いを自分自身にかけ、自分自身で答える。


「……ぶっ殺してやる」


 肚は決まった。


「あああああっ!」


 腹の底から叫んで、足をばたつかせる。水を蹴って、体が前に進む。塩水が食い千切られた痕に被る。激痛が脳を灼く。


「ぎ、い、あああっ! チクショウ、来いよ、サメ野郎!」


 痛みを雄叫びで誤魔化す。激痛のあまり、声が裏返ってしまったが、それは問題ではない。サメがこちらを向けばいい。


「来いよクソサメ! 美味い餌がこっちにあるぞ! 俺を、食ってみろ!」


 声が聞こえたのか、それとも溢れる血の匂いに釣られたのか。とにかく、背ビレはフカノの方に向かって泳ぎ始めた。

 フカノと背ビレの間の距離は、みるみるうちに縮まっていく。しかし、フカノは必死に足をばたつかせて前へ進む。逃げ切れるとは思っていない。元々、そんなことは考えていない。

 サメに追いつかれる前に、フカノは船に辿り着いた。船は激しく燃えている。炎に触れることができる距離まで近付いて、フカノは振り返った。

 背ビレが目の前にあった。次の瞬間、水面が盛り上がり、大きな牙が現れ、フカノの全身を噛み砕いた。


 ――同時に、フカノが抱えていたガスボンベが破裂した。中から吹き出したガスは、炎に引火し、大爆発を起こした。

 爆音が海上に轟く。海水を吹き飛ばし、火の玉が生み出される。フカノも、サメも、諸共に吹き飛んだ。残ったのは、空から降り注ぐ黒く焼け焦げた肉片だけだった。


――


「フカノさん……フカノさん……」


 フカノが目を覚ますと、逆さになって海を落ちているところだった。

 ぼんやりとした頭で、どうしてこうなっているのかを考える。わからない。ガスボンベの爆発に飲み込まれたのは覚えている。それなら死んだに違いない。なら、ここが死後の世界だろうか。天国か地獄かはわからないが。


「フカノさん……フカノさん……聞こえてますか……無視しないでください……」


 誰かがフカノを呼んでいた。日本語ではない、聞き覚えのない言語。しかし、意味はわかる。わからないのは、誰がフカノを呼んでいるか、だ。

 首を動かそうとすると、生前と同じように、視界が動いた。声がした方に視線を向けると、人影が見つかった。


 そこにいたのは、海のように透き通った水色の髪の少女だった。フカノを見つめる濃い青の瞳には、優しさが満ち溢れている。着ている水着は、肩と腹を大きく出しつつも、レースで飾り付けられて、羽衣のような上品さを醸し出していた。


「……誰ですか?」


 フカノの口が動いた。声と一緒に、こぽ、と口から気泡が漏れる。海の中なのに声が出る。やはり自分は死んでいるのだろうか、とフカノは思った。


「はじめまして。私、女神マイアといいます」


 神。神様。その言葉と意味は、フカノの頭の中にすんなりと入ってきた。


「失礼しました。はじめまして、フカノです」

「驚かないんですね」

「まあ、死にましたから」


 死後の世界なら、海の中で喋れることも、神様がいることも納得がいく。


「流石です。あのですね、あなたの力を見込んでお願いしたいことがあります」

「俺の?」


 その言葉を、フカノは不思議に思った。彼はただの高校生だ。神様に頼み事をされるような、特別な人間じゃない。

 マイアと名乗った女神は話し出す。


「私の世界に、大変な怪物が転生してきました。それを退治してほしいんです」

「怪物? 一体何なんですか?」


 聞きながら、フカノは予想する。ドラゴン、巨人、デーモン。フカノが思いついた怪物の名前は、この辺りだ。

 しかし、彼の予想は全くの外れだった。


「サメです」

「……なんです?」

「サメです。あなたの倒したサメが、私の世界に転生してきて、暴れてるんです!」

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