第9話 ビーチ・ジョーズ
「見えました、難破船です!」
「よーし、船を寄せろ。ゆっくりとな」
イーリスから少し離れた海岸に、その難破船はあった。魔王軍の侵攻に便乗して、近海で無法を働いていた海賊の船だ。今は乗り手を失い、浜辺に乗り上げている。
「まだサメが近くにいるかもしれない。ティノス、海をしっかり見張っておけ」
「了解」
「リンネルは空から周りを見張っていてくれ。海だけじゃなくて、陸も頼む。海賊の生き残りが襲ってくるかもしれない」
「ういッス」
クトニオスの指示を受けて、各々が仕事に取り掛かる。そして最後に、フカノたち調査隊が浜辺に降り立った。
「サメはいないよな?」
フカノは不安げに海の方を振り返る。
「出たら合図させる。安心しろ、ウチの船員は優秀だからな」
「サメよりも海賊に気をつけなさい。船に潜んでいるかもしれないわ」
ケイトは難破船を見ながら、腰のナイフを抜き放った。クトニオスと周りの兵士たちも、それに応じて武器を準備する。フカノも、いつでも戦えるように拳を握りしめた。マイアは特に戦えないので、そっとフカノの後ろに隠れた。
一行は警戒しながら難破船に近付いた。中から誰かが飛び出して、襲ってくる様子はない。どうやら船は無人のようだ。難破船の胴体には大穴が空いていた。恐らく、サメに食い破られてできた穴だろう。
「おいおいおい、これを魚がやったっていうのか? 信じられねえ! 船を一口か? どんだけでかい魚なんだよ!」
クトニオスは大穴を見ながら、興奮した様子でまくしたてる。あるいは、未知の魚に対する恐怖をごまかそうとしているのだろうか。
「なあフカノ、サメってとんでもないんだな! 俺はもっとこう、両手で抱えられるぐらいの大きさだと思ってたから、驚いたぜ!」
「いや……こんなに大きくない」
「え?」
フカノは呆然と、船の大穴を見上げていた。サメの牙の痕は、彼の背丈を超えていた。あの時、死ぬ直前に噛み付いてきたサメの顎よりも、遥かに大きかった。
「こんなでかいサメ、俺は知らねえ……」
「フカノ。ちょっと、来なさい」
ケイトの呼び声。フカノは船から離れてそちらに行った。
「どうした? ……うわっ」
ケイトの足元には、下半身を失った死体が転がっていた。恐らく、この船に乗っていた海賊の成れの果てだろう。無惨な死体にフカノは顔をしかめる。兄が見せてきた数々のB級映画で、死体や内臓に対する耐性をつけていなかったら、その場で吐いていたかもしれない。
「こいつはひでえ……」
「そう……あっちにもあるわ」
浜辺から陸地に向かって、死体が点々と続いていた。恐らく海賊は、サメに襲われながらこの浜辺を逃げたのだろう。
ケイトは兵士と共に、死体の跡を辿る。右足。武器を持った右手。下半身のみ。まるでホラー映画の一場面のようだ。更に死体は続く。左半身。首無し死体。最後の死体は、左肩を失って、木にもたれかかっていた。その死体を見て、フカノは違和感を感じた。何かがおかしい。
「随分、食欲旺盛みたいね」
ケイトは、死体の列の先に視線を向けていた。死体が逃げ込んだ林の木々は、何か巨大な物が通ったかのように、ズタズタに薙ぎ倒されていた。
その光景を見て、フカノは気付いた。
「おかしいだろ」
「何が?」
「ここは陸地だ」
フカノは海を指差す。海は今いる場所から百歩以上離れていた。間違っても魚がやってくる場所ではない。
「……そういえばそうね。サメって、魚よね?」
「ああ。陸に上がるサメってなんだよ……サメ映画じゃないんだぞ」
「映画?」
「ん? あ、えーと、映画っていうのは、演劇みたいなもので……」
倒れた木々の奥で、ガサ、と葉が擦れる音がした。フカノとケイトは口を噤み、林の奥を見た。何かがいる。
「ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!」
フカノは後ずさった。死体は林の中へと続いていた。つまり、林の中にまだ、それがいるということだ。フカノが十分な距離を取る間もなく、それは林の中から姿を現した。黒い体。三角形の耳。四足歩行。
「にゃあ」
それは一鳴きすると、2人の前をトコトコと横切っていった。
「なんだ、ネコか……」
肩透かしを食らったフカノは、力なく拳を降ろした。
「うおおおーいっ!?」
次は、空から声が降ってきた。何事かと見上げると、上空で見張りについていたリンネルの声だった。
「どうしたぁ!?」
「大変ッス、大変ッス! イーリスで大火事ッス!」
「なんだとぅ!?」
イーリスの方を見ると、黒い煙が上がっていた。確かに、相当な勢いの火事だ。だが、ここからでは岬が邪魔で、何が起きているかよく見えない。
フカノはケイトを見た。さっきまでの冷静さは消え失せ、真っ青な顔で困惑している。
「何が起こってるの!?」
「わかりません。でも、とにかく戻りましょう!」
フカノとケイトはガレー船へと走り出した。途中、難破船の残骸から飛び出してきたクトニオスたちと合流した。
「どうなってる、クトニオス!」
「わからねえ! でも、とにかく戻ったほうがいい、と思う!」
「同感だ!」
フカノたちが乗り込んだガレー船は、すぐに錨を上げて、イーリスに向けて出発した。
――
イーリスの街は、いつもとは違う活気に満ち溢れていた。今日は、年に一度の海祭りの日だ。誰も彼もが浮かれきっている。
「さあさあ、買った買った! この日のために仕入れた最高級のオレンジだ!」
「うちの鳥の串焼きは世界一だよ! 味見したい人はこっちにおいで!」
「王都から仕入れた髪飾りを売ってまーす! どうぞ、見るだけでもいいから、寄っていってくださーい!」
出店が所狭しと並んでいる。陸地だけでなく、海上の家を結ぶ桟橋の上にも立っている。
「さあ次は、6人目の踊り子! エンザ地区のメイリアちゃん! 張り切っていってみよう!」
海に浮かんだ船の上では、扇情的な衣装に身を包んだ女性が踊っている。イーリスの各地から集まった踊り子たちが己の技を競い合う、ダンスコンテストだ。踊り子たちを少しでも近くで見ようと、船の周りの桟橋には、大勢の客が詰めかけている。
「親父ー! 酒だー! 今日はじゃんじゃん飲むぞ、酒持ってこーい!」
各地の酒場には、漁師たちが詰めかけている。祭りを口実にして、潰れるまで飲み続ける気なのだろう。
「おい待てよ。そこは俺の席だぞ?」
「はぁ!? 何いってんだ、俺が先に座ったんだから俺の席だ!」
「俺を誰だと思ってやがる? この店の常連だぞ?」
「何が常連だ、金を払ったのは俺だ! 貧乏人はとっとと帰れや!」
「誰が貧乏人だこの野郎!」
中にはくだらないことで喧嘩を始めている所もある。喧嘩は祭りの華だということで、止めようとする市民はいない。
「騒がしいな、まったく。これだから祭りというものは……」
そんな喧騒の中を、ブツブツと呟きながら歩く、1人のエルフがいた。白衣を纏っているので、この祭りの中では妙に浮いている。エルフは、とある店の前まで来ると、ドアを開けて中に入った。
「いらっしゃい。……おや、ヘレネさん」
「ガルムが切れた。1壺欲しい。あと、ローリエと、オリーブも」
「あいよ。ヘレネさんは祭りを見ていかないのかい?」
店主は頼まれたものを棚から取り出しながら質問する。
「騒がしいのは苦手だ。海岸のように静かなところの方がいい」
「なら、森に住めばいいのに」
「あちらはあちらで、やかましいんだ」
「そうか。ほい、頼まれたもん、全部まとめたよ」
「ありがとう」
ヘレネは銀貨をカウンターに置き、商品を手持ちのカゴに詰めていく。最後に、お釣りの銅貨を受け取ると、店を出た。
「毎度ありー」
ヘロンは祭りの喧騒には目もくれず、街から少し離れたところにある自宅へと帰っていった。
一方、祭りの熱狂はいよいよ最高潮に達していた。
「さあ、海祭りにお越しの皆さん! お待たせいたしましたぁ! 毎年恒例、海神杯のお時間です!」
「おい、海神杯が始まるぞ!」
「っしゃあー! きたきたぁーっ!」
海神杯。それは、イーリス最速を決める、海の男達の戦い。コースは港の端から端まで一直線。小細工一切無し、ボートに乗る5人の腕力とチームワークがモノを言う。
「イーリス最速は誰かッ! この海で一番の漢は誰かッ! 今年もやってまいりました海神杯! 全選手紹介ですッ!」
見張り台の上で司会が声を張り上げている。その側では、この祭りを企画した領主が、優勝カップを撫でながらほくそ笑んでいた。祭りは大盛況だ。これで、監察官をごまかせるだけの臨時収入は手に入る。
「俺たちより魚を獲った奴はいるか? いや、いない! 本年度漁獲量ナンバー1! ステック地区のアルザス船長だ!」
髭面の男が、舳先に立って右手を掲げる。船員は上腕二頭筋を剥き出しにした、屈強な男たちだ。オールを漕ぐパワーは全チーム1だろう。
「船長ーッ!」
「頼むぜーッ! 今年こそアンタが最速だーッ!」
「浅瀬がないならスピードを落とす必要は無いッ! 今日は無事故無座礁に加えて無減速だッ! ザンバルバ連絡船・水先案内人のヘリッジ!」
次に紹介されたのは、青い帽子とマントに身を包んだ男だ。浅瀬が多い海域を一度の事故もなく先導した男たちが、速さを求めた時どうなるか、人々はまだ誰も知らない。
「水先案内人と速さは関係ないんじゃないのか?」
「バカ言え、何の障害物も無い所に来たら、普段の倍以上は速くなるだろ! 俺はアイツらに賭けるぜ!」
「マグロスレイヤーのエントリーだッ! ノコノコとイーリスに来るマグロたちよ、よほど無惨にコイツに釣られたいと見える! 一本釣りのエルマイザー!」
船の舳先に直立不動で腕組みをする男がいる。首のマフラーが潮風を受け、しめやかにたなびいていた。
「あんな小さい船でマグロを釣り上げたっていうのか?」
「普通なら引っ張られる勢いで船がひっくり返るというのに……大した奴だ」
「メンザ自治区川下り選手権の覇者がまさかの参戦だ! リザードマンのドルトーン、一家を引き連れ、堂・々・参・戦!」
参戦するのは人間だけではない。最近引っ越してきたリザードマンが、厳しい予選を勝ち抜いてこの決勝に上がってきた。
「変わった形のボートだな」
「川じゃ、あの形のほうが扱いやすいらしい。だが海ならどうかな?」
「そしてぇッ! 今年も来てくれたッ! 昨年度、一昨年度覇者! 前人未到の三連覇なるか!? ゴライアスが来てくれたァァァッ!」
その男の名前が呼ばれた時、群衆は今日一番の盛り上がりを見せた。
「キャー、ゴライアスさーん!」
「うおおおおっ!」
主役は出揃った。後は、スタートの合図が切られるだけである。
「この中で、海神様の栄誉を受け取るのは一体誰なのかッ! 第68回海神杯、いよいよ……あれっ」
その時、港に新たな船が1艘、入り込んできた。レース用のボートではない。小型の漁船だ。漁船は港を横切り、コースに入り込んでしまう。
「おい、どこのバカだ、こんな日に漁に出てたのは」
「邪魔だぞー!」
「引っ込めバカ者!」
観客達は野次を飛ばす。すると、船長らしき男が叫んだ。
「みんなぁぁぁっ!」
すると、漁船の真下の水が盛り上がった。
「逃げろぉぉぉっ!」
その直後、水面下から巨大な顎が現れ、船長ごと漁船を噛み砕いた。
「……え?」
「何、あれ……?」
港の中を悠然と泳ぐのは、三角形の背ビレを生やした魚。桟橋に満載された市民たちも、海岸でレースを見守っていた観客達も、船の上に居た人々も、その魚を見たことがなかった。故に、誰一人として、サメの危険がわからない。
この瞬間、イーリス海祭りは、サメの謝肉祭と化した!
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