5scene:成り行きは計算高く
*
ベッドに寝かせてやると、ヴァスクは、
「いてて」
と、うめいた。
シャツをめくって腹を見てみれば、薄く白い皮が、醜い痣に蝕まれている。殴られでもしたのか、はたまた、倒されて腹を蹴られたのか。
「痛そうだな」
「痛いよ」
ヴァスクは力尽きた笑声を溢す。
暖炉に薪を入れてやり、温めた布をかけてやると、アンドレはベッドの傍に椅子を置いて、腰を下ろした。
ヴァスクの了承を得たとはいえ、得た情報を流したことで、ヴァスクの首を絞めることとなった以上、アンドレの胸中も穏やかでなかった。
「すまない。お前から聞いた話は、流すべきではなかったな」
「良いんだよ、俺が良いって言ったんだから」
ヴァスクとて、秘密を洩らせば、人間の世にそれが出回る危険性を、考えなかったことはないだろう。将来的に、自分も狩られるリスクを背負ってまで、アンドレに少しずつ秘密を教える理由が分からない。
「今でも、お前は私に狩られるのが怖いのか?」
怖いから、秘密を教えることで、一日でも多く生き延びようとするのか。
アンドレの問いかけに、暫時、口を閉ざした。
「―――ううん。でもまあ」
「まあ」
「あんたが、時折辛そうな顔したり、めんどくさそうな顔するの、あれが可愛くってさ。だって、秘密を教え終わったら、もう会わなくなるだろ」
ヴァスクの言うことに、あながち間違いはない。
すべてを話し終えれば、もう、ヴァスクに会う必要はなくなる。逃がすも、殺すも勝手だった。
しかし、ヴァスクを利用して殺す気なら、もう殺している。
“会いに来てよ、待ってるから”
そうかけられた言葉が、ずっと、頭の片隅にこびりついたまま、忘れられない。秘密を知るためというよりも、求められていると思ったから、飽きもせず会いに行けたのだろうか。
「いいや、もう必要ない」
アンドレはおもむろに、しかし柔らかい語調で、そう告げた。
「お前が、私を必要だと思うなら」
言いつのるよりも早く、ヴァスクがその身を起こした。
アンドレの胸元のシャツを掴み、そっと口づける。
「ほら、その―――なにか思い出したような、さ。辛そうな貌、大好き」
「そんな顔をしているか」
「してる」
ヴァスクはいつものように、意地の悪い笑みを宿すと、いまいちどキスをした。
アンドレの首に腕を回し、うなじに手を添える。
唇に分け入られ、わずかに、肩が跳ね上がった。それでも一切の抵抗はせず、アンドレはそれを受け入れる。
「抱いてよ」
不思議な色香をまとわせたヴァスクが、真摯な表情になって乞うた。
それにこたえて、アンドレが片腕で、華奢な背を抱いた。ベットに寝かせざま、傍らの窓に付いたカーテンを閉め、ヴァスクを押しつぶさぬよう、両肘をベッドに立てる。
その黒髪を結っていた紐が緩み、束ねられていた長い髪が、シーツに広がった。
人の息の根を、止めるのは容易い。
ただがむしゃらに、斬りつけ、殴ればそのうち死ぬ。
しかし、優しく扱うのは苦手だった。
白い首筋に唇を這わせてみると、その痩身が、びくりと震えた。
そのたびに、不手際でもあったかと、心配になる。
「はは、ぎこちな」
慣れない手つきを、ヴァスクが小馬鹿にした。
「男、抱いたことない?」
「ない」
「慣れないわけだ」
「痛かったら、言ってくれ」
伝えて、その痩身に覆いかぶさった。
ヴァスクは、自分よりも背が高い男であるというのに、腕の中にいると、どうにも小さくて弱い生き物に見えてしまう。
シャツのボタンを一つずつ取ってやると、悲壮な痣が顔を出した。
腹にはできるだけ当たらぬよう、注意を払いながら、ジーンズにも手をかけた。ヴァスクは身じろぎをしたものの、抵抗はない。
「早く、早く」
それどころか、堪えたような声で、そう急かすのである。
アンドレはそれでも焦らず、ゆっくりと事を進めた。
「じれったいなあ、もう」
焦らされたヴァスクは、アンドレの腰に付いたベルトを、ナイフもろとも外すや、床に放る。
「良いんだよ、めちゃくちゃにしてくれて。俺はそのほうが好きだよ」
「馬鹿」
アンドレは苦笑した。
抱いてくれとせがむ相手に、痛い思いはさせられない。
夜の深くなるさまを脇に、その身を静かに沈めた。時間をかけて、ゆっくりと交わる中で、ヴァスクの声が艶を増していくのが分かる。
「う、あっ……はあっ……」
すぐ真下にいるその美貌は、快感を味わいつつも、呑まれまいと、堪えたようであった。
この男を買った者は、いつも、こんなに美しい顔を見ていたのか。
それを思うと、少しだけ、これまでの客がうらやましくもなった。
「はっ……お……お兄、さん……」
そのとき、ヴァスクが震える声で、
「な、まえ……呼びたい、教えて……」
そう、懇願した。
言われてみれば、教えていなかった。頬に手を添え、熱をもってより紅くなるその瞳に、己の名を贈った。
「アンドレ。―――アンドレ・ラスチェイニ」
「……“勇敢”か」
その名の持つ意味を唱えると、
「アンドレ……」
再び、首元で抱きしめた。
何度も深く、じっくりと交わるたびに、ヴァスクは名を呼んだ。
欲して、手にして、その腕に閉じ込めるように。
名を呼ばれ続けると、おかしなことに、この男にどこか支配されているような気持になった。
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