5scene:成り行きは計算高く



 ベッドに寝かせてやると、ヴァスクは、


「いてて」


 と、うめいた。

 シャツをめくって腹を見てみれば、薄く白い皮が、醜い痣に蝕まれている。殴られでもしたのか、はたまた、倒されて腹を蹴られたのか。


「痛そうだな」

「痛いよ」


 ヴァスクは力尽きた笑声を溢す。

 暖炉に薪を入れてやり、温めた布をかけてやると、アンドレはベッドの傍に椅子を置いて、腰を下ろした。

 ヴァスクの了承を得たとはいえ、得た情報を流したことで、ヴァスクの首を絞めることとなった以上、アンドレの胸中も穏やかでなかった。


「すまない。お前から聞いた話は、流すべきではなかったな」

「良いんだよ、俺が良いって言ったんだから」


 ヴァスクとて、秘密を洩らせば、人間の世にそれが出回る危険性を、考えなかったことはないだろう。将来的に、自分も狩られるリスクを背負ってまで、アンドレに少しずつ秘密を教える理由が分からない。


「今でも、お前は私に狩られるのが怖いのか?」

 

 怖いから、秘密を教えることで、一日でも多く生き延びようとするのか。

 アンドレの問いかけに、暫時、口を閉ざした。


「―――ううん。でもまあ」

「まあ」

「あんたが、時折辛そうな顔したり、めんどくさそうな顔するの、あれが可愛くってさ。だって、秘密を教え終わったら、もう会わなくなるだろ」


 ヴァスクの言うことに、あながち間違いはない。

 すべてを話し終えれば、もう、ヴァスクに会う必要はなくなる。逃がすも、殺すも勝手だった。

 しかし、ヴァスクを利用して殺す気なら、もう殺している。


“会いに来てよ、待ってるから”


 そうかけられた言葉が、ずっと、頭の片隅にこびりついたまま、忘れられない。秘密を知るためというよりも、求められていると思ったから、飽きもせず会いに行けたのだろうか。


「いいや、もう必要ない」


 アンドレはおもむろに、しかし柔らかい語調で、そう告げた。

 

「お前が、私を必要だと思うなら」


 言いつのるよりも早く、ヴァスクがその身を起こした。

 アンドレの胸元のシャツを掴み、そっと口づける。


「ほら、その―――なにか思い出したような、さ。辛そうな貌、大好き」

「そんな顔をしているか」

「してる」


 ヴァスクはいつものように、意地の悪い笑みを宿すと、いまいちどキスをした。

 アンドレの首に腕を回し、うなじに手を添える。

 唇に分け入られ、わずかに、肩が跳ね上がった。それでも一切の抵抗はせず、アンドレはそれを受け入れる。

 

「抱いてよ」


 不思議な色香をまとわせたヴァスクが、真摯な表情になって乞うた。

 それにこたえて、アンドレが片腕で、華奢な背を抱いた。ベットに寝かせざま、傍らの窓に付いたカーテンを閉め、ヴァスクを押しつぶさぬよう、両肘をベッドに立てる。

その黒髪を結っていた紐が緩み、束ねられていた長い髪が、シーツに広がった。

 人の息の根を、止めるのは容易い。

 ただがむしゃらに、斬りつけ、殴ればそのうち死ぬ。

 しかし、優しく扱うのは苦手だった。


 白い首筋に唇を這わせてみると、その痩身が、びくりと震えた。

 そのたびに、不手際でもあったかと、心配になる。


「はは、ぎこちな」


 慣れない手つきを、ヴァスクが小馬鹿にした。

 

「男、抱いたことない?」

「ない」

「慣れないわけだ」

「痛かったら、言ってくれ」


 伝えて、その痩身に覆いかぶさった。

 ヴァスクは、自分よりも背が高い男であるというのに、腕の中にいると、どうにも小さくて弱い生き物に見えてしまう。

 シャツのボタンを一つずつ取ってやると、悲壮な痣が顔を出した。

 腹にはできるだけ当たらぬよう、注意を払いながら、ジーンズにも手をかけた。ヴァスクは身じろぎをしたものの、抵抗はない。


「早く、早く」


 それどころか、堪えたような声で、そう急かすのである。

 アンドレはそれでも焦らず、ゆっくりと事を進めた。

 

「じれったいなあ、もう」


 焦らされたヴァスクは、アンドレの腰に付いたベルトを、ナイフもろとも外すや、床に放る。


「良いんだよ、めちゃくちゃにしてくれて。俺はそのほうが好きだよ」

「馬鹿」


 アンドレは苦笑した。

 抱いてくれとせがむ相手に、痛い思いはさせられない。

 夜の深くなるさまを脇に、その身を静かに沈めた。時間をかけて、ゆっくりと交わる中で、ヴァスクの声が艶を増していくのが分かる。


「う、あっ……はあっ……」


 すぐ真下にいるその美貌は、快感を味わいつつも、呑まれまいと、堪えたようであった。

 この男を買った者は、いつも、こんなに美しい顔を見ていたのか。

 それを思うと、少しだけ、これまでの客がうらやましくもなった。


「はっ……お……お兄、さん……」


 そのとき、ヴァスクが震える声で、


「な、まえ……呼びたい、教えて……」


 そう、懇願した。

 言われてみれば、教えていなかった。頬に手を添え、熱をもってより紅くなるその瞳に、己の名を贈った。


「アンドレ。―――アンドレ・ラスチェイニ」

「……“勇敢”か」


 その名の持つ意味を唱えると、


「アンドレ……」


 再び、首元で抱きしめた。


 何度も深く、じっくりと交わるたびに、ヴァスクは名を呼んだ。

 欲して、手にして、その腕に閉じ込めるように。

 名を呼ばれ続けると、おかしなことに、この男にどこか支配されているような気持になった。



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