4scene:時はあたかも走馬灯



 *


 あれから二週間、毎晩のようにヴァスクに会っている。

 彼から了承を得て、アンドレはボリスへと吸血鬼の情報を提供した。町では瞬く間に、十字架や聖水を盛り歩く者が減り、代わりに、護身用にピストルやナイフを携帯して歩くようになった。

 人間を騙して少しずつ手を飲んでいるヴァスクにしてみれば、目立って人を襲わない分、人間が応戦のための武器を持ち歩いたところで、怖くもないのであろう。

 それでも、今日の晩だけは、アンドレはヴァスクの許へ行くのを躊躇っていた。


“戦争、終わってほしくなかった?”


 二週間前に問いかけられたことに対し、その時は、うまくはぐらかした。しかし昨晩、


“やっぱり、戦うのが好きなの?”


 と、蒸し返してきた。

 それに対して、アンドレは返答することができずにいた。

 


(好きではない)


 そう自答してみたものの、アンドレの中には、戦後から日に日に募ってきたむなしさが込み上げるのである。

 戦に出て、戦っていたころは、駆除対象がいた。

 殺さねばならぬ、その大義名分のもとで、存分に力を振るえた。

 しかし世界が終戦を迎え、戦が無意味になると、アンドレが戦場で築き上げた名誉が、徐々に姿を変えていくようであった。

 英雄が、怪物に変わるのを感じたのである。

 地位や誇りに、大した価値は見出していない。

 しかし、それまで自分が許されていたことが、時代の移ろいの内で罪に変わっていく、そのさまが、恐ろしく感じるのだった。

 終戦から一時は、役所から自衛のための兵役を勧められたが、アンドレにはその未来が想像できた。



 戦を忘れた者、戦を知らぬ者が、兵士を“人殺し”と呼ぶ未来。



それがきっと、この先の時代に待っている。


“戦争さえ続いていれば”


 そう思わなかったことが、ないといえば嘘になる。

 アンドレは心の奥底で、人から後ろ指をさされることを恐れていたのだった。

 

(鋭い男だった)


 アンドレは、宵の刻を知らせる鐘が鳴るのを見届けながら、ふと暖炉の中へと一瞥をくれた。薪が減ってきている。


(肌寒いわけだ)


 もう秋の半ばである。これからはもう寒くなるばかりだ。

 アンドレは、家の裏に積んである薪を取りに出た。

 そのとき、


「あ」


 市街地の方向に延びる芝の草原。

 その先で、腰を掛けた小さな人影が見えた。目を凝らせば、その人影が、心当たりのある紅いコートを被っているのが分かった。

 思わず、アンドレは薪を取るのを忘れ、その人影へと歩み寄った。

 近づけば近づくほど、その影から伸びる手足は華奢で、儚い。

 

「ヴァスク」


 名を呼んだ。

 すると、コートの下から、ヴァスクの顔がアンドレを見上げる。

 その顔を見て、言葉を失った。


「どうしたんだ、その顔」


 アンドレが愕然とする、その視線の先には、頬を横殴りに三本線、斬り裂かれた傷が走っている。血肉こそ露になっていないものの、猫の爪で裂いたようなその傷は、ヴァスクの白い顔ではひどく目だった。


「同族の一人が、俺のことを嗅ぎつけてさ。ボコられちゃった」

「―――」

「しかもそいつ、やるだけやった後に、ホテルの管理人にバラしやがって……。あんた、こないだ森の傍に住んでるって、教えてくれただろ?」

「それで、ここに」

「ん。とちゅうで場所分かんなくなって、座り込んでたんだけど。会えてよかった」


 ヴァスクはそう言うと、アンドレの胸にそっと頭を添わせた。


「やっぱり、あんたは土の良い匂いがする」


 安らかな吐息をつくヴァスクは、よろよろと立ち上がった。

 弱っているのか、足取りがおぼつかぬ様子である。


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