5章 グラヴィティ・ジェネレート④

 ***


 自分たち以外に誰一人としていないモール内は、まるで世界に取り残されてしまったのかと思ってしまうほどに静寂に満ちていた。

「さぁ、どうした? 早速ビビっちまったのかぁ?」

 引き笑いをしながら煽ってくる桐生を前に、俺はできるだけ冷静にいるようにする。

 エントランスの広い空間には俺と桐生が対峙しているだけで、しかもここからでは、こちらから攻撃を仕掛けることができなかった。

「はンっ! ならこっちから行かせてもらうぜ」

 桐生がそういった途端に、モールの天井に小さな亀裂が入る。

 そうして零れ落ちたコンクリートのカケラが桐生の手の中へと収まった。

「桐生……お前、今度はモールを壊そうとしてるのか?」

「だったらどうするんだ?」

 俺の質問に答えることはなく、振りかぶった桐生の手元から、一つのカケラが放たれる。

 それは山なりに弧を描き、俺を狙ったようにこちらへと向かってきた。

「はっ、そんな攻撃当たるかよ……!」

 思ったよりもカケラは認識しやすく、しかもゆっくりと落ちてくるさまに、俺は油断してしまっていた。

「おっと気をつけろよ――」

 野球ボールを取る感覚でじりじりと後ろに下がる俺は、足元をよく見ておらず、

「ここの床は〝滑りやすくなっている〟からなあ」

「……何っ!?」

 無様にも足を滑らせてその場に転んでしまったのだ。

 しかもカケラは俺に冷静な判断を下す暇を与えない。

「ぐおおぉぉっ!」

 咄嗟に両手をクロスさせて受け身の構えをとったのだが、もろに食らってしまった一撃は、腕に大きなアザを残すことになった。

 カケラがごろりと転がっていく。

「……くぅ……はぁ……」

 なんだ今のは? なんで俺はこのタイミングで転んでしまったんだ。まるで桐生の言ったことが現実になったみたいに……。

 あいつの能力はあくまで分岐の操作のはずだ。

「ふははは……。あとオマエの上にあるその看板――」

 さらに追い打ちをかけるように、桐生は〝言葉遊び〟を続けていく。

 俺が息を整えている合間に、次の攻撃はすでに始まろうしていた。

「こりゃ大変だ。そこの看板、〝固定が甘い〟みたいだな」

 またもや桐生の指示に従うように、今度は金具の外れた看板が落ちてくる。

「くそっ!」

 俺は慌てて手をかざし能力を発動した。

 重力の変化を受けた看板は宙に浮遊するように静止する。

「はぁ……はぁ……っ!」

 これでも食らえ!

 重力の方向を桐生の方へと変化させ、看板を弾丸として射出させた。

 避けられるもんなら避けてみろよ……!

 動悸が一気に激しくなる。 

 しかしながら、その幻想も簡単に打ち壊されることになった。

「残念だな。そう簡単に行くと思ったのか?」

 天井に吊られていた、旗の形をした大きな広告が、ちゃんと固定がされていなかったのか、看板の射出と同じタイミングで落ちてくる。

 それはまるで桐生を俺の攻撃から守るように、奴の目の前で、看板を地面へとねじ伏せたのだった。モール内一帯に響くような、甲高い音が発生する。

「いやー危ねー危ねー。〝広告が落ちて〟なかったら死んでたかもなぁ。あははは!」

 しかもそれをすべて見越したかのように笑い転げる桐生。

「……なんだよそれ……」

 俺は訳がわからなかった。自分の想像を超えた出来事が目の前で起きて平然としてなんかいられない。

「『なんだよそれ』って――わかンだろーがよぉ。〝そういう世界線に分岐させた〟んだよ」

「分岐……。お前はそんなことまでできるのか……?」

「当たり前だろ。でなきゃロシアンルーレットなんかやるわけがねぇ」

 桐生はまた笑い転げた。

 楽しそうに、自分以外をバカにするように、自分の力に酔いしれるように。

「あぁ……あいつ、傑作だったよなぁ……俺に勝てるわけなかったのによぉ」

 それだけならまだよかったのだが、俺の親友をバカにされては気が済まなかった。

「いい加減にしろよ。ゲーム感覚で遊んでいられるのも今のうちだ」

 俺は、今度は強気でいるようにした。

 桐生に飲まれてしまってはダメだ。自分のペースを見失わないようにしないと……。

「それはこっちのセリフだ。いつまで強がってんだよ」

「え?」

「テメーみたいなクソネズミが、この俺に勝てると本気で思ってんのかよ?」

「それは……」

 俺はお前に勝つ。気持ちでは間違いなくそう思っているのに、口に出すことまではできなかった。

 桐生の能力は分岐操作の力だ。今までに俺はその片鱗を嫌というほどに見てきた。

 ビルを火事にさせたり、ロシアンルーレットで相手に実弾を出させたり、看板を落としたり、広告で身を守ったり――。まさにすべてが桐生の〝言葉遊び〟だった。

 俺は桐生と戦うのが段々と怖くなっていた。

「……」

「……おっと、こりゃいい分岐が見えてきたな」

 いい分岐? その言葉にあたかも自分が追い詰められたような感覚に陥る。

「面白れぇ、なんだよこの分岐……こんなン選ぶに決まってんじゃねーか!」

 おそらく例の桐生にしか見えない空間で、新たな分岐が見えたのだろう。

「ふはははは……おいオマエ、気を付けた方がいいかもしれないぞ」

「どういう、ことだよ……?」

 俺は不思議な魔力をまとった桐生から目が離せなかった。

 手にたくさんの汗が溜まっていく。

 だんまりをしていた俺にトドメを刺すかのように、今までと同じように桐生は笑い狂いながら言った。

「〝心筋梗塞になる〟かもなーオマエ。せいぜい死なないように気をつけろ」

「心筋梗塞……? ――うぐっ!」

 急激な痛みが胸を中心に広がっていく。

「ぐぅぅぅぅ!」

「だから言ったんだ、気をつけろぉって」

 なんだよこれ……! 体内にまで干渉できんのかよ……!

 俺の悶えるさまが桐生にとっては余程滑稽だったらしいが、俺の耳に入ってきたのは、自分の苦痛に満ちた叫び声だけだった。

「うぐっ、ぐああああああああああああああ!」

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