4章 失うもの③
文化祭前日の、準備期間の最終日、生徒会室に借りた工具を返しに行った俺は、その帰りに家庭科室の前を通りかかった。
教室の中からトマトのような酸っぱいにおいが漂ってくる。
開け放された戸から中を窺うと、ちょうど調理中の伊吹と目が合った。
「あ! 吉祥君!」
完成したばかりの料理を片手に、エプロン姿のまま廊下まで出てくる。
「よかったらこれ、食べてほしいな」
目の前に皿が差し出されたのだが、時間的に校舎内はすっかり暗いうえに、明かりのついていない廊下では、何が盛りつけられているのかよくわからなかった。
タレがかかってないみたいだけど、見たところミートボールだろうか。食べやすいように、丁寧にも爪楊枝が刺してある。
「んじゃ、いただくよ」
ミートボールを一つ掲げて口の中に迎え入れた。
「……む?」
たったの二回噛んだだけで、途端にトマトの香りが鼻を突き抜ける。廊下まで漂ってきたにおいの正体はこれか。
「どう、おいしい?」
険しい表情の伊吹が俺の答えを静かに待っていた。まるで受験の合否を確認しに来た生徒みたいだ。
「あのさ……そんな顔されると、まずいって言えないよね?」
「え、まずかった?」
急に泣きそうな顔になる。
「いや、おいしいよ。普通においしい。お店で食べる料理みたいだ」
心配する必要はないぞという意味を込めてもう一個食べておいた。
「そっかあ……よかった。ミートボールのトマト煮、初めて作ったから不安だったんだ」
「へぇ。結構うまいぞ? ほら、伊吹も食べてみ」
爪楊枝で刺して最後の一個を伊吹の口の前に差し出す。
「う……うん」
自分で作ったものだというのに、伊吹は一度躊躇してからそれを食べた。
「な、おいしいだろ? これ、明日の文化祭で出すのか?」
先にいただいただけなのに、あたかも自分が作ったミートボールのように自慢げになってしまう。それだけおいしかったってことだ。
「うん! 実は私、明日は調理をやることになったんだ!」
伊吹の動きに合わせて三角巾が跳ねた。
なんか最近の伊吹は、やけに楽しそうなときが多い気がするな。
「他にも色々作ると思うから、よかったら食べに来てね!」
「お? もしかしてツナマヨとかあったりする?」
感極まって、俺の大好物の名前を出してしまう。
「いや、さすがにそれは……。イタリアンな雰囲気でやることになってるから……」
「それはちょっと残念だな」
傍から見れば、それは他愛のない話だろうけど、俺はこの時間にたしかな充実感を抱いていた。この楽しい時間がずっと続けばいいのに……。あとになって考えてみれば、そんなことを思っていた気もする。
しかしながら、それは一瞬の違和感で崩れることになった。
「……ん?」
伊吹の背後の長く続く廊下の奥から、わずかながら人の気配を感じたのだ。
「どうしたの? ……吉祥君?」
俺の方をずっと見ていたということもあり、伊吹は何も感じていないようだった。
……誰かいる? あそこに誰かいる気がする……。
廊下に佇む暗闇をひたすら凝視していても変化は起こらない。
「……?」
ついに気になってしまった伊吹が後ろを振り返ったとき、〝それ〟は階段へ向かって走り出した。廊下に人の走る音が響く。
「え……!? 今のは……人?」
俺はこの状況に覚えがあった。
能力者だ! きっと病院のときのあの女が、この学校にもやってきたんだ!
だが動機まではわからない。それでも〝あれ〟を追うしかない。
俺が足を弾こうとすると、その勢いは伊吹の声で引き留められた。
「待ってよ、吉祥君! どこに行くの!?」
「ごめん用事が出来て」
自分の台詞にデジャヴを感じる。
「また? この前もそう言って、急にいなくなっちゃったよね?」
きっとライブハウスでの一件を言っているのだろう。たしかにあのときは、伊吹を置いて一人で駐車場へ向かった。けどそれは伊吹を巻き込まないための行動だ。
伊吹が不安げな表情に変わっていく。
「ううん、それだけじゃない。夏休み前の火事のときも、一人でビルの中に飛び込んでいっちゃった……。帰ってきたら大ケガしていてさ……」
「今回は大したことじゃない。心配しなくても大丈夫だよ」
「心配するよ! だって吉祥君、死んでもおかしくなかったって聞いたよ?」
「それは事実とは違くて……」
「違う……?」
「いや、なんでもない……」
まあ、桐生に滅多打ちにされて死にそうになったのは事実だったな。
「ちゃんと説明してよ……。最近の吉祥君はなんか変だよ。一人で何かを背負おうとしてる。私には吉祥君が無理してるように見えるんだよ……!」
無理、か……。でもその無理をやり抜かないと、この日常は簡単に崩れるだろう。
「安心しろって。ちゃんと戻ってくるからさ」
「でも……」
できるだけ元気に振舞ったつもりなのだが、伊吹にはてんで効果がなかった。
このままじゃ能力者の女に逃げられてしまう。なんとか折り合いをつけなくてはならない。そんな焦りが俺を攻め立てる。
「ほら、自分のクラスの手伝いをしなくちゃダメだろ。明日の伊吹の料理、楽しみにしてるぜ」
「…………」
いくら言っても伊吹は動こうとはしなかった。
ダメだ、拉致があかないな。このまま放っておいたら俺を追いかけてきそうだ。
きっとここ数日の間に、伊吹にも思うことがあったんだろう。だからこそ、俺の力になろうとしているのかもしれない。
「わかった。それじゃ伊吹に頼みがある」
「頼み……?」
下を向いたままだった伊吹がようやく顔を上げる。目に何か溜まっているような気もしたが、今は気にしないことにした。
「ああ、不審者を見つけたんだ。俺は今からそいつを捕まえに行く」
「そんな……無茶だよ! 何があるかわからないんだよ!」
「だからお前の力も貸してほしいんだ。受けてくれるか?」
その場しのぎのウソをついても、きっと伊吹はわかってくれないだろう。一年間一緒にオト部として活動してきたんだ。それくらいの性格は理解しているつもりだった。
「……わかった。それで私はどうすればいいの?」
伊吹がいい表情に変わる。なんだか初期のころのオト部を思い出しそうだ。
「伊吹には二階の廊下とすべての教室の明かりを、できる限りでいいからつけてほしいんだ」
「明かりをつける? それになんの意味があるの?」
まあ当然の疑問ではあるが、俺の作戦をすべて話している暇は生憎残っていない。
ここは伊吹が納得できる程度に端的に言っておこう。
「不審者を追い詰めるんだ。俺は三階の明かりをつけてくる。頼むぞ!」
俺の思いを乗せて伊吹の肩をがっしりと掴んだ。
それはすぐに伊吹にも伝わったようで、
「うん! 私に任せて!」
その言葉を信じて、俺は三階へと駆け出した。
「気を付けてね、吉祥君!」
「ああ!」
三階の廊下及び、鍵の開いているすべての教室の明かりをつけると、アスカ高校校内は見たことのない色を見せた。ここまで煌々と光り輝く学校など、今までに見たことがない。二階は伊吹がやってくれているから、直に明かりで満たされるはずだ。
俺は全力で走り回ったこともあり、階段の前で息を整えていた。
「これ……俺がやったのか。自分で考えたとはいえ中々だな、こりゃ……」
異様すぎてもはや笑えてくるな。
そんな気持ちもほどほどに、スマホを取り出してあいつと連絡を取る。
『もしもし吉祥? どうしたの?』
「能力者を見つけた。異端能力者って奴だ」
我ながら取り乱していた方だと思ったのだが、電話口の逢河は冷静だった。
『本当に?』
「多分な。病院のときにも一度戦ったことがある。その能力者が俺の学校に来たんだ」
『わかったわ。すぐに行く』
「アスカ高校の場所、わかるのかよ?」
『結香に教えたのは私よ。当たり前でしょ』
「そうか」
短い要件だけ聞き入れると、向こうから一方的に切られてしまった。
少し不安もあるが、逢河ならきっと駆け付けてくれるだろう。
「よし、あとは屋上だな……!」
俺の考えた通りなら、〝奴〟は屋上にいるはずだ!
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