4章 失うもの④

 鍵の掛かっていない屋上のドアを思いっきり開け放すと、彼女は静かに空を見上げて佇んでいた。

 時間はすでに夜を回っており、零れるような月明りでは表情を読み取ることもできない。

「どういうつもり?」

 影に覆われた黒い顔がこちらを射抜いてくる。

「思ったとおりだな。こうすれば君が屋上に行くと思ったんだ」

 俺の術中にはまったのが嫌だったのか、彼女は首を傾げたようだった。

「一階には部活中の生徒や、下校前の生徒が集まってる。それで二階と三階が明かりまみれになりゃ、屋上に逃げると思ったんだよ」

 種明かしは簡単に済ませておいて、核心を突いた質問をする。

「なんでアスカ高校にまで来たんだ? もしかして俺を追ってきたのか?」

「はあ? ふざけないで」

 ようやく感情を露にしたと思ったら、彼女は怒っていたようだった。

「たしかに病院のとき邪魔されたのはそーとーウザかったけど、アンタなんかをわざわざ追いに来るわけないでしょ」

「だったらなんでここに来たんだよ」

「あたしにはあたしの理由があって来たってだけ。アンタがいたのはただの偶然」

「君は……まだ諦めていないのか?」

 理由という言葉が気になって、病院での出来事を掘り下げてみる。

「あの男こと? 当たり前でしょ。次こそは絶対にサトルに償ってもらうんだから」

 まだそんなことを言っているのか。復讐なんて、当人にとっちゃ響きのいいものかもしれないけど、それで得られるものなんか何もないんだ。

「それじゃ、ダメだろ……」

「……は?」

 俺が彼女にできることはきっとこれだな。

 その間違った考え方を正してやらなくては、彼女の未来は暗いままだろう。

 それはあまりにもかわいそうすぎる。だから俺は言ってやるんだ。

「そんなんじゃ君はずっとこのままだぞ?」

「アンタ、何言ってんの?」

「そうやって君の彼氏さんの復讐をして何になるって言うんだ」

「どうしてそのことを……」

「先生から全部聞いたよ。君がサトルって人と付き合っていたことも。彼が重い心臓病抱えていたことも。そして、先生が手術に失敗して死なせてしまったことも」

 俺がそう言った途端に、彼女の周囲に漂う空気感が変わったような気がした。

「そう……そうよ! アイツはサトルの命を奪った男なの! だから死んで当然の人間でしょ!?」

「けど先生が善意でやったことも君はわかっているはずだ」

「またそれだ……。アイツも同じように何回も言ってた。手術をしなければサトルは死んでいたって……これはしょうがないことなんだって……。そうやって自分の行いを正当化して……!」

 とうとう怒りが剥き出しになる。

「もしかして、アンタはアイツが善人だから殺すなって言いたいの? アイツがサトルを殺した事実は変わらない!」

「たしかにそうだ……そうだけど……」

 ここからが大事だ。彼女を説得するためにも、言葉を間違えてはいけない。

「君の彼氏だったサトルさんはそれを望んでいるのかな?」

「何を言い出すかと思ったら……サトルがどう思っているかなんて、アンタがわかったように言わないでよ!」

 そうじゃないんだよ、俺が言いたいことは……。

 やっぱり話を聞いてもらうには、力で押さえつけるしかないのだろうか。

「やっぱりアンタムカつく。自分では正論だと思って、勝手な理屈をごちゃごちゃと並べて。アンタみたいな偽善者、病院のときに殺しておくべきだったんだ」

「ど、どうするつもりだ?」

 女の手元にはナイフのシルエットが浮かんでいた。

 また刃物か! そんな物騒なものを持ち歩いてんのかよ!

「ここで八つ裂きにしてやるだけよ!」

「こっちは明かりの中にいるんだぞ!?」

 そう言って斜め上にある、屋上の階段を照らす唯一の照明を目で示す。

 俺がこの光の中から出ないようにしていたのも、女の干渉を受けないようにするためだった。

「関係ないわ! そんなこと!」

 女は勢いよく駆け出すと同時に闇に溶け込む。

 大丈夫だ。この中にいる限り簡単に手出しはできないはず。

 聖域に護られている気分だった俺の甘い考えを、女は簡単にぶち壊してみせた。

 照明が前触れもなく砕け散ったのだ。

 まさかそんなことまで……! 影の中を照明まで移動したっていうのか!?

「くそっ! 明かりが消された!」

 屋上は瞬く間に暗闇に支配され、追い打ちのようにそれは上から降ってきた。

「……チィッ!」

 女の全体重が乗せられた一突きを両手で受け止める。

「アンタにサトルの何がわかるっていうのよ。一度も会ったことないくせに……!」

「くくくっ……!」

 男と女じゃこっちの方が力はあるはずなのに、刃先は徐々に首元まで近づいてきた。

 これが彼女の復讐心からくるものだと思うと、悲しい気持ちになってくる。

「こんなことして……何になるって言うんだ! 誰も喜ばない殺人に意味はない!」

「少なくともあたしは嬉しい。アンタみたいなヤツ、死んで当然なんだから」

 さらに力が強くなっていく。このままじゃざっくり殺されてしまう。

「そうはいくかぁ!」

 発動しやがれ能力! ここで発動しなきゃ俺が死ぬんだぞ!

「うおぉぉぉぉ! どきやがれぇぇぇ!」

「―――っ!?」

 次の瞬間、俺はようやく自分の能力の本質を垣間見た。

「っ……」

 女が見えない何かの力に弾かれたかと思うと、そのまま体を柵に打ち付けたのだ。

「こんなことまでできるのか……」

 立ち上がって自分の体を確認してみる。

 俺がしたかったのは、あくまで前みたいに周囲の重力を操作することだ。

 それなのに今回、能力の効果は女のみに働き、彼女が俺から引き剥がされることになった。

 これは……重力の操作なんてものじゃない……。もはや重力を支配していると言っていいレベルだ。

 柵の近くで悶える女に手をかざし、重力の変化をイメージしてみる。

 しかしながら今度は何も起こらず、仕方なく俺の近いところに転がっていたナイフに手をかざしてみた。

 ナイフが吸い寄せられるようにこちらに向かって動き出す。

 俺はそれを足で踏んで止めてから手に取った。

「……なるほどな」

 一連の結果からある結論に行きつく。

 能力の効果範囲があるみたいだな。あまり離れすぎると、さすがに効果がないってことか。

 それでも俺の能力が十分なものであることはたしかだった。

 これが俺の能力……。重力支配――グラヴィティって感じかな?

 桐生や結香の能力名に倣ってそう名付けてみたが、我ながら中二っぽいなと思った。

「もうやめよう。俺は君と戦いたいわけじゃない。ただ救いたいだけなんだ」

「あの男を? そこまでして救う価値がアイツにあると思ってるの?」

「違うそうじゃなくて……!」

「うるさい! もうアンタの話は聞き飽きたの!」

 俺が言い終わる暇もなく、女の次の一手が下された。

 影の中で蠢く闇が、俺の体を這いずり上がってきたのだ。

「なんだこれっ…?」

 それは瞬く間に全身を巡り、ありとあらゆるところにまで行き渡っていく。

「ううっ! なんだ? ……身動きがっ、とれないっ!」

 そうして一瞬のうちに、俺のすべてを拘束したのだった。

 頭も腕も足もおろか、指先を満足に動かすことすらできず、可能なのは呼吸のみ。

『どう? あたしの能力はこんなこともできるのよ?』

 耳元で女の声がする。

『アンタの全身を影で覆った。この瞬間からアンタの体は、完全にあたしの手に落ちたの』

「なんだとっ……?」

 つまりこれは彼女の能力を応用した賜物だということか。

 俺の全身の影へと移動し、その影を操ることで肉体そのものを乗っ取ってみせたわけだ。

『じゃあね。最後は自分の手で死ぬといいわ』

「……なにっ!?」

 自分の意思とは関係なく、勝手に両手が動いて、ナイフの刃先を腹へと狙い定める。

 すべて女が俺に〝そうさせている〟のだ。

 だがそれがなんだって言うんだ。これは俺の体なんだ。完全に乗っ取るなんてそう簡単にさせてたまるか!

「……うう! くおぉぉぉお!」

 影を伝う女の力と、脳から発する俺の意思の力が、腹を刺そうとするナイフでぶつかり合う。

『悪あがきしたって無駄よ! どうせアンタはここで死ぬの!』

「はあ? 俺が死ぬだって!? いーや! 俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ!」

 全神経を集中させて女の力に必死に抗うと、カタカタと小刻みに両手が震えた。

 かなりきついぞこれ! どうにかしてこの状況を打開しないと!

 そう思って焦って空を見上げてみると、雲に隠れている月が姿を現そうとしていた。

 どうやらまだチャンスはあるみたいだな。こうなったら、一か八かやるしかない。

 俺は咄嗟に思いついた考えをすぐに実行した。

 俺の周囲の重力を横向きに変化させ、柵の方まで一気に突っ込む。

『ちょっと! アンタ正気!?』

 へっ! 何が正気だって!?

 ぶつかったときの衝撃に若干の恐怖はあったが、笑い飛ばすことでそれをごまかした。

「――っ!」

 重力の大きさを調節したつもりだったのだが結構痛い。

 まあ横移動とはいえ、三階の高さから落ちたのと同じくらいの距離を移動していた。

 さすがに俺の体につきまとうわけにはいかなかったようで、拘束を解いた女は離れたところに佇んでいた。

「バカなのアンタ? よりにもよって自分ごと柵に突っ込むだなんて」

 そうやって楽しそうに笑っていられるのも今のうちだ。

 俺はこの瞬間を狙っていたんだ。

「いや、これで俺の勝ちだよ」

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