4章 失うもの②
まあ不満に思うことも多々あるけど、基本的な仕事がチェックだけというのは、やってみると意外と楽だった。もはや責任者として声をかけられるまで、ぼーっとしているのが仕事だと言ってもいい。
とりとめのないことをあれやこれやと考えていると、短い安息は終わりを迎えた。
「やっほー吉祥君。この前は付き合ってくれてありがとう。ライブ、楽しかったね」
お化け屋敷の暗い空気を吹き飛ばすほどの笑顔がそこにはあった。
「ああ、伊吹か。わざわざ俺のクラスまで来たのかよ」
「吉祥君の方はどうなってるのかなーって気になってね」
そう言って俺の隣に並んでくる。
……カフェの件、気にしてなさそうだな。なんかうやむやになっていたけど、あのときの空気は色々やばかったよなあ。結局伊吹は、本当に俺のことが好きなのかな?
ここで深く考えていても、また気まずくなりそうなので、これ以上気にしないことにする。
「自分のクラスの方は大丈夫なのかよ」
「うん、それは平気。今日の分はもう終わって、みんな帰り始めたところだから」
「そっか」
アスカ高校の文化祭の準備期間は二週間あり、毎日の放課後を自由に扱うことができる。
俺のクラスの2年1組はまだまだ作業を続けそうだが、伊吹のクラスみたいに一度の作業時間を短く済ませるところも少なくない。
「そういや、伊吹のクラスは何やるんだっけ?」
「食べ物系だね。今日はみんなで、イタリアンなメニューを色々と考えてたよ。当日が勝負だから、基本は早く帰ることになりそう」
なるほど、暇だったから帰る前に様子を見に来たってところか。
ふと思いついたことを何気なく言ってみた。
「だったらさ、ウチのお化け屋敷のテストに付き合ってくれないかな」
「お化け屋敷?」
「ほら、これ」
赤黒い看板をくいっと示す。
伊吹があからさまに後ずさりをする。自分のクラスメイトが作ったものに言うのもなんだけど、そんな大したものじゃないぞ。
「い、いや……お化け屋敷は……遠慮しておくよ」
「なんだよ、伊吹。お前もしかして、こういうの苦手なのか?」
「うーん……お化けならまだ平気なんだけど、真っ暗なのはちょっと苦手かなあ」
それは怖いということなのか、それとも不安ということなのか。この場合、不安だからかな? 伊吹ならそんな感じはする。
「まーそうは言っても素人が作ったものだからさ、試しに一回だけ入ってみてくれよ」
「……そ、そう?」
さっきから反応がよろしくない。やっぱりビビっているのだろうか。
「うーんと……」
しかしながら、これはせっかくのチャンスでもある。お化け屋敷をより良いものにするためにも、多方面から意見を取り入れた方がいいのは既知の事実だ。俺には気づけなかった改善点を、伊吹なら見つけてくれるかもしれない。
「よし、なら俺と一緒に入るか」
「え、本当に?」
さっきまで歪み切っていた顔が、ウソみたいにぱあっと明るくなる。
「なんか嬉しそうだな。本当は怖かったんだろ?」
「ち、違うよ! そんなわけないでしょ!」
らしからぬ慌てっぷりを見せる伊吹。
「じゃ、行くぞ。ほらこっちだ」
「うん……」
このとき伊吹は何故か赤リンゴ病を発症していた。
「……へ、へぇ……結構怖かったね」
恐怖の館から出てくるなり、伊吹は息を切らしていた。
「なあ伊吹。ただのお化け屋敷でそんな風になるか? お前どんだけ怖いのが苦手なんだよ」
「いや、これは、そうじゃなくて……」
相変わらず床を見下ろしたまま息を整えている。
「そうじゃなくって……?」
「吉祥君が近いから……」
近いから……? なんなんだ?
道が窮屈だったと言いたいのだろうか。いやだからって、そこまで息が上がるものなのか。
「ごめん、なんでもないよ……気にしないで……」
「そうか。で、どうだった? 怖かった?」
「……うーん」
ようやく顔を上げたかと思うと、今度は斜め上を見だす。
「あんまりわかんなかったかなあ……」
「はあ? なんだよそれ。ちゃんと周り見てたのか?」
「まあ、見てたかなあ……あはは」
なんだか笑って何かをごまかそうとしているように見えた。本当は怖くて周りを見ていなかったのだろうか。にしちゃあ結構冷静だよな。
伊吹が強引に話を切り替えてくる。
「最終的にどんなお化け屋敷になるのか、期待してるね。文化祭は今週末だからね」
「おう、今日よりもっとよくしてみせるよ」
「ふふっ……吉祥君なら本当にやってくれそう」
そうしてまたにこっと笑う。伊吹が楽しそうならそれでいいか。
「じゃあ、これ以上邪魔するわけにもいかないし、私はそろそろ帰るね」
「ああ、また明日な」
「うん、また明日」
廊下の奥に消えるまで、伊吹に手を振り続けた。
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