4章 失うもの

 引き戸を開けて中に入ると、部屋は一切の光のない闇に満ちていた。

 人の気配も、生命の息を感じることすらもない完全な闇。

「案外暗いな……」

 つまずかないように慎重に足を進めていく。

 ある程度歩くと、突然周囲がパッと明るくなる。明かりはとある絵画を照らしていた。

 間接照明によって照らされた笑顔が不気味に映る。

「なんでモナ・リザなんだ……」

 この不敵な笑みを理由に選んだんだろうが、実際にはあまり雰囲気にマッチしていない。

 気を取り直して、順路のとおりにカーブを曲がりさらに先へと進んでいくと、今度は青白い光で照らされたトンネルに行き当たった。

 無数の毛糸が天井から垂らされている。こっちは髪の毛を演出したんだろう。黒じゃなく白が使われているのが惜しいが、まあ急場で作ったみたいだからここは不問にしておこう。

 一つ一つのギミックに対していちいち色々なことを考えていると、

「ふぅ……ふぅ……」

 闇の中から明らかに人間のものの息遣いが聞こえてくる。

 そして次の瞬間――、

「お前を喰ってやろうか!」

 目の前から血糊を塗った男が、段ボール製の包丁片手に襲ってきた。

 演技力に自信があるとは言っていたが、どうもただの大根役者だったようだ。

「イマイチだな」

 おそらく自分では相当上手くいったと思ったのだろう――血糊まみれの包丁男が目を丸くした。

「え? どこがダメだった?」

 もはや雰囲気を完全にぶち壊すような喋り方をする。

 ひとまずここははっきり言っておかねばなるまい。

「お前のその演技もだけど――そもそも、包丁片手に喰ってやろうかってどういう意味だ。幽霊が意味もなくそんなことは言わないだろ。総じて言うなら、リアリティーがないんだよ」

「なるほどなーたしかに」

 幽霊役のクラスメイトは感心したように頷いた。

「さすがだな。やっぱり吉祥が責任者でよかったって思うよ」

「まあ、やるからには徹底的にやるよ。下手なものを作って、客をつまらない思いにさせたくないしな」

「とりあえずあっちが出口だから。あとは色々工夫してみるよ」

 幽霊役が指す方向に向かって再び歩き出す。

 2年1組の教室を出ると、俺がテストをしている間に、入口と出口それぞれの上に看板を飾っておいたらしく、〝恐怖の館〟と書かれたものがあった。

 全体的に赤や黒でデザインされており、怖そうな雰囲気はよく出ている。

「及第点ってところかな。……はあ」

 お化け屋敷の責任者を任されたことを実感するたびに、その重責に思わずため息をついてしまう癖ができていた。

 そもそもの発端は一週間前に遡る。


「きーちじょー。……おーい、吉祥起きてー」

 名前を呼ばれたような気がして顔を上げると、前に座るクラスメイトが俺を覗き込んでいた。

「……何? 終わったの?」

 最近色々なことがあったのもあるが、そもそも一日の最後の授業だったこともあり、疲労から俺は居眠りをしていたようだ。

「いやまだだけど。今ね、何やるか多数決取ってるんだ」

 多数決……?

 起きたばかりで頭が寝ぼけている。そんなんでいちいち起こすなよ。

「そうかい。眠いから、終わったら教えてくれ」

「待って待って」

 んぐ……なんだよ。寝かしてくれよ、ったく。

「せめて票だけ入れておいてよ。私、どうしてもお化け屋敷がやりたいんだ。だから、吉祥の票を入れてほしいの。……ほら、手挙げて挙げて!」

 そう言われてようやく状況を飲み込む。

 そうか、六時間目、2年1組はホームルームをしていたんだった。現に今も、来月に行われるアスカ高校の文化祭で、自分たちはどんな出し物をするのか話し合っている。

 気持ちいい眠りを妨害したと思ったら今度は自分に協力しろってか。中々自分勝手な奴だな……。

 まあ、それでこいつが満足するなら、手を挙げるくらいのことはしてやろう。別に何をやることになっても俺は構わなかった。人の三大欲求の睡眠欲のため、本来なら拒んだところを今回は従うことにする。

 俺が投げやりに手を挙げた途端に、前の席に座るクラスメイトは大声で言った。

「ねえねえ! 吉祥がやってくれるってさ! 〝責任者〟!」

「おー、本当か! 助かるわー吉祥」

 クラスメイトが一気に色めき立つ。

 ……は? 何の話だ。

 気になって顔を上げると、黒板に書かれた責任者の文字の横に、俺の名前が加えられようとしているのが目についた。

「吉祥、授業中に居眠りはダメだぞ」

 前の席に座るこいつは、指を振って、うざったい煽りをかましてくる。

 もしかして、ハメられた? 俺は責任者に仕立て上げられたのか?

「お前、ウソついたな!」

「いやでも、吉祥にピッタリだと思うんだよ。去年の演劇もすごい装置作ってたじゃん」

 俺が怒りにまみれているというのに、この女はそれをうまくかわす。

「ねえ、そう思うよね?」

 それどころか、味方を増やして俺を説得しようとしてきた。

「あー、不思議の国のアリスだっけ? たしかに最後のシーンのアリスが飛んでいくところ、すごかったよな。本物の舞台みたいで」

 きっと二人が話しているのは、俺が1年生の劇のときに考案したワイヤーアクションのことだろう。

 当時、俺のクラスは不思議の国のアリスを劇でやることになったのだが、脚本を任された生徒がその原作を把握しておらず、何故か『アリスに羽が生えて、自分の国へ帰っていく』という謎のシーンをやることになってしまった。

 本来なら書き直すところを、大道具を担当になっていた俺は、面白そうだからせっかくならやってやろうと、ワイヤーアクションを体育館のステージで実現させたのだ。

「そうそう! あんなことを実現しちゃう吉祥なら、きっといいお化け屋敷にしてくれそうだよね!」

「たしかに。適任じゃないか」

 お前ら楽しそうに話してるけど、あれって身内じゃ面白いって騒いでたけどさ、一般人客には意味がわからないって不評だったんだからな。

 その事実はこの二人も当然知っているはずなのだが、俺に責任者をやらせるために忘れているフリをしているんだろう。

「どうしたー吉祥? やんないのか?」

 感情的になっていつの間にか立ち上がっていた俺に、チョークで俺の名前を書こうとしている奴含め、全員の視線が集まる。

 うぐぐ……拒否しにくくするなよぉ……。

 おそらくこの状況でやらないと断言できる人間はそうそういないだろう。

 だって、あんなに期待された目で見られたらそれを受け入れるしかなく、

「……いや、やるよ」

「おおー! じゃ、ウチのクラスの責任者は吉祥で決定だな!」

 拍手と歓声が巻き起こる。正直、悪い気はしなかった。

 仕方ない……やってみるか。

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