3章 作り物のアイドル⑧
「次はもうないわよ。自分がどうしたいのか、ちゃんと決めておいてね」
「そうよ叶真。わたしを失望させないでちょうだいね」
結香が逢河の動きにシンクロさせる。
「モノマネはいい。早く行けよ、午後の部があるんだろ」
「ぷふふ。じゃーねー叶真ー」
オモチャで十分遊んだ後のように、楽しそうに手をヒラヒラさせて去って行った。
逢河が結香を引っ張っていく姿を見送る。やっぱり姉妹みたいだな。
「……ふぅ」
嵐のような騒がしさだったけど、去ってしまうと、それはそれで寂しいものだった。
伊吹との約束を思い出す直前、後ろから声をかけられる。
「あれ? もしかして吉祥君?」
「おお、伊吹じゃんか。そんなところにいたんだ」
振り向くと、伊吹は一人でテラス席に座っていた。今日一日、伊吹の私服姿をあまり気にはしていなかったが、こうして見ると、なんだか店の雰囲気とよくマッチしている気がする。
「大丈夫だった? メールを見た途端、急に走り出すから心配してたんだ」
「ああ、ごめん。知り合いにちょっと呼ばれちゃってさ」
作り笑いをしてどうにかやり過ごす。
別に二人の女の子に翻弄されただけだから、そんなに心配されると、なんか申し訳ないな。
「あ……とりあえずそこ座って。店員さんには待っている人がいるって伝えてあるから」
「うん」
丸いテーブルで伊吹と見合うように座る。
店員にこの店のオススメの品を注文し、出された品をもくもくと食べ進めていると、残りが数口のところで伊吹が話し出した。
「ここの雰囲気はいいよね。静かだし空気がすーっと流れていくし、なんだかここだけ別世界に来たみたい」
たしかに伊吹の気持ちもわかる気がする。さっきあんなことがなければ、俺もこの空間に浸りたかったくらいだ。
「ねえ吉祥君。私さ、不思議に思うことがあるんだけど、なんで私一人なんかがテラス席に通されたのかな? だって他にも席はいっぱいあるのに」
そう言って店内を目配せして示してくる。そろそろ王谷結香のライブが再開するからなのか、客は半分ほどしか埋まっていなかった。
「こういう店ではテラス席ってのは特等席だ。伊吹がお客さんを呼んでくれそうに見えたんだろう」
いつか見たドラマのワンシーンで仕入れた情報を披露してみる。
「それって、招き猫みたいなってこと?」
「大体合ってるけど……つまり、美人でオシャレな人は、店の顔になるからテラス席に通されるらしいぞ」
「……あー、えっと……吉祥君。女の子に対して急にそういう言い方はどうかと思うなあ」
急に伊吹の顔がリンゴのように赤くなり、自分がどんな発言をしたのかすぐに理解した。
「いや違うぞ! 変な意味はない! そんな噂があるってだけで……別にからかおうとしたつもりは……」
伊吹との間に気まずい空気が流れる。
そうだよな。女の子相手にあんな言い方をしたら、まるで口説こうとしているようになるもんな。伊吹、怒ってないよな?
ちらりと様子を窺ってみると、予想外の言葉が返ってきた。
「……じゃあさ、吉祥君もそう思う?」
「……む?」
急に伊吹は……何を言ってるんだ?
「その、吉祥君は……私のこと美人とかオシャレとか思ったことあるのかなーって……」
意識的に俺の方を見てこない。照れながらもなんとか質問しているようだ。だったらそんなこと聞いてくるなって! 俺も恥ずかしくなるだろ!
「……いや、ま、かわいいとは思うよ……。話しやすいとも思う」
「そう、なんだ……」
事実を言っただけなのに、さらに気まずくなっていく。伊吹の赤リンゴ病が、俺にもうつったのかもしれない。
なんだなんだこのむず痒い気持ちは!? 先生の言ったとおり、伊吹は俺に気があるっていうのか? そうでなきゃ、むしろ俺が伊吹を好きになっているとか……?
「……」
「……」
この空気は非常にきつい! 嫌っていうわけじゃないけど、何かしないとおそらくずっとこのままだ! ……えーっと、どうにかして話を変えないと……!
「……あ、そうだ、それじゃ吉祥君、『パスタは熱いうちに食べなさい』ってことわざ知ってる?」
俺と同じことを思っていたらしい伊吹が、先に話題を変えてくる。
「……パスタ?」
それはつまり、うだうだ言ってないで、さっさとパスタを喰えということか?
ちょうど俺がパスタを食べていたから頭に浮かんだんだろうけど、さすがに唐突だな。
「うん、イタリアのことわざなんだ。吉祥君は知ってるかなって思って」
「いや、知らないけど」
逆に伊吹はよくそんなことを知っているもんだと、俺は感心していた。
なるほど、俺がうんちくを披露したお返しのつもりか。
「熱いうちに食べた方がおいしいっていうそのままの意味もあるけど、もっと大きな意味が他にあるんだ」
「へぇ……なんていうの?」
好奇心が勝り、さっきまでの羞恥心が一気に追いやられる。
「『問題が悪化する前に、すぐにそれに向き合って対処せよ』っていう意味らしいよ」
「面白いな。外国らしいことわざって感じだ」
まるで人生観を考えさせられるような内容だな。
「うん。私も初めて聞いときは、吉祥君と同じ感想だったよ」
得意げになった伊吹が微笑む。
第一印象とは裏腹に、そこまで深い意味が込められているとは思わなかった。
問題に向き合って対処せよ……か。
まもなくして俺たちは食事を終えた。
お互いに落ち着いたところで、スマホを取り出して時間を確認してみる。
「伊吹、そろそろ午後の部が始まるみたいだぞ」
ライブの休憩時間は五分しか残っていなかった。
「あ、そうなの?」
「うん、だからほら、早く戻ろ? そろそろ行こうぜ」
「うん、そうだね」
フォークを置いて、口元をナプキンで拭う。
『ごちそうさまです。パスタ美味しかったです』と心の中で呟いた。
参考
状態変化の能力――サーマルチェンジ。一度触れた物体や、自身の温度状態を変化できる。
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