3章 作り物のアイドル⑥
溶銅は地面で赤黒く固まっていた。好奇心で今触ると、間違いなくヤケドを起こすだろう。
王谷結香は、見たことのない態度で〝ない胸〟(本人に言わないようにするのが、ファンの間での暗黙の了解らしい)を張っていた。
「つまり、わたしの能力は熱量を操作することができるわけ。一度触れた物体や、自身の温度状態を好きなように変えられるんだ。名付けて、『状態変化の能力――サーマルチェンジ』」
「君が溶銅を頭から被っても無事だったのはその力のおかげってことか?」
「そーゆーこと。むしろこれのおかげで、ようやく拘束が溶けたんだし」
すべて織り込み済みと言いたげな様子だ。ますます意味がわからなくなる。
「ほら見て。こうやってすぐに溶かすこともできるんだ。叶真にかけてみよっか?」
見ると、拾った溶銅をまるでスライムか何かのように手のひらで遊ばせていた。
「やめろ。君はいいかもしれないけど、こっちはケガどころじゃ済まないだろ」
「大丈夫だよー。ヤケドしないように調整するから」
なんてことないみたいに言うよな……ったく。
「あの……逢河。もしかして、メールを送ってきたのはお前なのか?」
これ以上この子と話し続けていると調子が狂いそうなので、一旦まともな方に逃げる。
「そう。あなたの連絡先を知っていたのは、病院の一件で、こっそり手に入れておいたから」
逢河が手にするスマホの画面を見せてくる。俺が自分のスマホで読んだ長文メールがそっくりそのまま書かれていた。
「スマホはずっと俺が持っていたはずだぞ」
「どうかしら? 病院に搬送された直後は手放したはずよ。そのタイミングでこっそりね」
言われて病院でのことを思い出してみる。
たしかにストレッチャーに乗せられたときに、看護師がスマホを預かっていた気がする。あの後その看護師に接触したとか、そんなところか。
「だから、また会いに来るなんて言い回しをしたのか。あのときはあまり気にしなかったけど、今考えてみたら変だもんな」
「そういうことになるわね」
これで小さな疑問は解消できた。
といっても所詮はおまけ程度である。そろそろ本題について話さねばなるまい。
「で、この自作自演はどう説明するんだよ。逢河も協力したってことだろ? なんでこんな変なことをしたんだ」
「それは結香から説明してもらって」
逢河が結香と呼ぶ女の子を指で示す。自分で始末をつけなさいといった感じか。
「えっとねぇ……それはわたしが、最初は叶真の仲間入りを認めてなかったからだよ」
「仲間入り?」
最初はという発言から考えるに、随分前から俺のことを知っていたようだ。
「美咲に聞いたよ。叶真は、わたしたちに仲間入りしようとしてたんでしょ」
「いや、まだ考えているだけのはずだけど……」
「ほとんど同じだよ。だからね、わたしから直々に、叶真を見極めることにしたんだ」
具体的にどうやって? と言うと、彼女は斜め上を見た。
「えーっとまずは叶真が通っているっていうアスカ高校に行って……。で、叶真が愛好会に所属しているっていう情報を手に入れたから、その部員に接触してみることにしたんだ」
大変だ。どうやらこの子はストーカーまがいの行動を働いていたらしい。それをさも当然のように話すとは、中々肝が据わっているようだ。
「もしかして、伊吹にチケットを渡したマスクの女の子っていうのはお前のことか?」
「うん、そうだね。けどまさか、こうも簡単に誘き寄せられるとは思わなかったよ。わたしはただ、あの子に『あなたの心を寄せる人とよかったら行ってみてください』って言っただけなんだけどね」
自分でそう言った後で、勝手に妄想を膨らませ始める。
「あれ? ……ってことはもしかして、あの子、叶真のことが好きなのかな? いいねー、モテてるねぇ、青春だねぇ」
「おい、脱線するな。ふざないでちゃんと話せ」
「ちゃんとも何も、あとは見てのとおりだよ。美咲にメールを送ってもらって、叶真の人間性を測らせてもらったの」
俺はあれだけ焦っていたというのに、あっけらかんと言うな。
「叶真がわたしの命とライブハウスにいる客の命と、どっちをとるのかでね」
「無茶苦茶なことをしたのはわかっているわ。けど私は、あなたが両方を救う選択をしてくれて本当に嬉しかった」
居ても立っても居られなかったのか、逢河が入ってくる。
「私たちの組織は、能力者を捕獲するだけじゃなくて、能力者から一般市民を守らなくちゃいけないのよ」
「まー、わたしにべたべたと触ってきたのは正直予想外だったけどね。わかってんの叶真? 叶真が触っていたのは、あの超人気アイドル王谷結香なんだからね! どうせわたしに触れたところ、数日は洗わないようにしよーとか考えてるんでしょ?」
「いやない。それはない。俺はまずお前がタイプじゃない」
これだけは断言しておかないとダメだろう。俺の沽券に関わるかもしれない。
「はあ、なんでよ? わたしに胸がないから? ホントは知ってるんだよ、ファンのみんなが『ゆーいんは他は完璧だけど、胸がないところだけは惜しい』って言ってるのをさ」
自分で完璧とか言うか普通? その時点でさらにないな。
「美咲、気を付けて! 叶真は美咲を狙ってるかも! 所詮男はおっぱい目当てなんだからね!」
これ以上付き合わない方が最善だろうと理性が悟った。
現に逢河も困ってるようだし、ここいらで話を変えてみるか。
「それにしても、なんだかよくわかんないけど、よくあんな芝居をしてまで俺を試したな。最後までガチで焦ってたぞ俺」
「本当に? 私からしてみれば、結構穴だらけだったと思うけど」
半笑いの逢河が珍しく映る。
「第一に、どうして結香は吉祥の名前を知っていたのか――あなた、気にも留めなかったわよね」
「あー、たしかに」
――吉祥さん、お願いがあります。スイッチは絶対に押さないでください。
言われてみれば、自己紹介したわけでもないのに、がっつり名前で呼んでたよな。
「私があなたの名前を結香に教えていたからなんだけど――彼を試すなら、そういうところもちゃんとやらないとね」
「むー……」
まるで姉妹のような関係に見えてきた。きっと二人の付き合いは長いんだろうな。
黙り込んでしまった王谷結香が少しかわいそうで話しかける。
「ちなみに俺は君をなんて呼べばいいんだ? やっぱり王谷さん?」
「だから、結香でいいって言ったでしょ。しかもその名前、芸名だから。芸名の方をプライベートで呼ばれるとやりにくい」
「あ、そうなんだ。じゃあ本名はなんていうの?」
あくまで一般人としての他愛のない疑問である。
「結香だよ……。結香の本名は結香だよ!」
「ゆいか?」
ゲシュタルト崩壊を起こしそうになる。どうもこの子とはやりづらいな。
「鶯谷結香。それがこの子の本名よ」
「ああー! 美咲ぃ! なんで教えちゃうの!」
「教えるなと言われたこともない」
「鶯谷か……。つまり、『鶯』を音読みして『オウタニ』と名乗っていたわけか!」
自分だけが知ってる事実というものに興奮する。
「じゃあ鶯谷、これからよろしく!」
俺が手を出したのにも関わらず、鶯谷は手を握り返してこない。
今度はなんだ。
「わたしの名前は結香なの! わたしが叶真を叶真って呼ぶんだから、叶真も結香って呼ばなくちゃダメ!」
意味がわからん。これ、本当に高校生アイドル・王谷結香かよ。
「結香はね、鶯谷っていう名前があまり好きじゃないらしいの」
「いや、別におかしくないと思うけど」
「単純に長いとか、そもそもダサいとか……まあ、この子なりに思うところがあるのよ。だから……ね? わがままを聞くと思って」
ダサいって……さすがに全国の鶯谷さんに失礼だろ。
ただ逢河にそこまで言われて引き下がるわけにもいかない。
まあ、下の名前で呼び合うくらいなら、最初は恥ずかしいだろうけどすぐ慣れるか。
「わかったよ。じゃあ結香、よろしく」
「うん! よろしくね叶真!」
結香がとびっきりの笑顔を見せる。それは王谷結香の涙とはまったくの別物であった。
「なあ、結香。一つ気になったんだけど」
「なあに、叶真?」
「お前がさっき話してくれた過去の話って本当なのか? あれも俺を試すための作り話とか?」
「……うーん」
結香がどう答えるのかで迷いだす。
この返答次第では、俺の結香に対する態度が少しは変わりそうな気もするが。
「まあ、多分そうなんじゃない?」
「は、い?」
多分ってなんだよ多分って。
「ご想像にお任せします」
「おい! 急にアイドルっぽくなるなよ!」
「仲がいいわね、二人とも」
傍目からはそう見えるのか?
ひと段落したところで、逢河が仕切り直すように一息つく。
「さてと、他に質問しておきたいことはある?」
質問という言葉を受けて、俺はかねてより気にしていたことを思い出した。
「アスカ町に能力者が多いって話、まだ詳しく聞いてないよな」
「そういえばその件もあったわね」
どうやら逢河も失念していたらしく、お姉さんっぽい動きでぽんと手を叩いた。
「そうね、それじゃ今回は結香もいることだし、近くのカフェでゆっくり話しましょうか」
あ……カフェといえば……。そこで俺ははっとする。
「どうしたの?」
結香が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、実は友達とカフェで約束していたんだけど……」
「なーに? 叶真を好きだっていう女の子のことぉ?」
他人事だからってニヤニヤしやがって。なんか楽しそうだなお前。
ニヤニヤ系アイドルは無視しておいて、スマホで時間を確認する。
「……んー、まだ時間はあるかなあ? すぐに済むか?」
「まあ、十分もかからないとは思うけど」
「オッケー。じゃ、行こうか」
「いいのぉ? 嫌われちゃうかもよー」
なあ頼むよ、面倒くさいから元の王谷さんに戻ってくれないかな。
「まあ、そのときは最悪謝るよ」
「えー。叶真、なんかクズっぽーい」
「今回ばかりは仕方ないわよ。三人で話せる機会なんてそうそうないだろうし」
逢河の一言で、この場は丸く収まった。
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