3章 作り物のアイドル⑤
俺は彼女の凍った心をどうにかして溶かしたかった。
本来の彼女がどんな人物なのか、それが俺の選択にもつながると考えていたからだ。
「あなたはどうせ動くことができない。あなたの意思を無視して、勝手に押すって言ったらどうするんですか?」
「バカな冗談はやめてください! たくさんの人が亡くなるかもしれないんですよ!?」
「そうですよね。きっとあなたは怒るはずです。ふざけるな勝手なことはするなって、相当僕を怒ると思うんです。だってファンが僕に殺されるってことなんですから」
「…………」
「ねえ、王谷さん。もうそういうのやめませんか? だってあなたはちゃんと生きていますもん」
「わたしが……生きている?」
「あなたが、超がつくほどのアイドルだったとしても、作り物の自分を演じ続けるのには限界があるんですよ。だったらどうしてそんなに涙を流しているんですか?」
「え……なんで……?」
彼女は自分が泣いていることに気づいていないようだった。
俺が指摘した途端に、本来の彼女が露になっていく。
「あなたは立派なアイドルですよ。王谷結香としてここまで登り詰めた正真正銘のアイドルです。だから作り物だなんて、もう言わないでください。あなたを応援しているファンに失礼ですよ」
「……うぐ、えっぐ。でも、それしか、方法はないじゃ……ないですか」
きっとこの子も本当は生きたいはずなんだ。
だけど何かと理由をつけて、死ぬことが怖くないように無理をしている。
そんな彼女を、一人だけ死なせるわけにはいかない。
「さてと、じゃ、俺がするべきことは一つですね」
俺は王谷結香の座る椅子まで歩み寄り、彼女の頭を上半身で隠すように覆い被さった。
影の中から濡れた顔が見上げてくる。
「どうするおつもりですか?」
「どうするって、あなたを助けるんですよ。もちろんライブハウスにいる客たちもね」
「え……?」
「スイッチは押しません。それには賛成します。ですが、同時にあなたも助けます」
「ですけど、このままじゃ吉祥さんが死んでしまいますよ?」
「あんな話されて、ファン思いの女の子の涙を見せられたら、どっちかの命を選ぶなんてできるわけがないじゃないですか」
俺は一人の女の子、王谷結香の目を一切逸らすことなく見つめた。
「俺が両方助けます、絶対に。だからもう泣かないでください」
「吉祥さん……」
彼女はそれ以降、こちらを見ようとはしなかった。自分の足元に視線を落としたまま、まったく動かない。
きっとなんとかなるはずだ。俺は重力を操作できる能力を持っているんだ。まあ、イマイチ扱い方が掴めていないところもあるけど、ある程度被害を抑えることはできるはず。
頼むぞー俺の力―。できるだけ俺もケガはしたくないからなあ。……最悪ダメでも、生きてさえすれば、逢河たちがまた治療してくれるかな……? いやでも、熱いのはやっぱり避けたいよな。
「あなたのその性格を支えるものはなんですか?」
「……ん?」
残り時間が1分を切ったところで、急に彼女が喋りだす。
「初めて会うわたしのことを、どうして命を張ってまで助けようとしてくれるんですか?」
「さっきも言ったじゃないですか。俺にとっては、あなたのような優しい人を見捨てるなんて、選択肢としてはありえません。あとは一応、助かる可能性もなくはないというか……」
細かいことを言えずにいると、そこが気になったのか声を荒げてきた。
「そんなの理由にならないじゃないですか! 本当は吉祥さんこそ、格好つけてるだけなんじゃないですか。お願いですから逃げてください! それがわたしの願いなんです!」
まーた水掛け論だ。この子、案外しつこい子だなあ。
「いやです。それは絶対に断ります。俺が助けるって言ったら助けるんですよ」
「なんで、そこまでして……」
「俺は根っからのそういう奴なんです。だからもう、諦めてください」
「……」
呆気にとられているようだが、これ以上ごちゃごちゃ言われる前に押し切っておこう。
「あなたも客たちも、みんな助けますよ」
俺としては、ここ最近ではビシッと決めたつもりだった。
しかしながら、予想外の反応が返ってくる。
「……プッ。ぷふふ……」
なんと、さっきまで泣いていた彼女が急に笑い出したのだ。
恐怖のあまりおかしくなってしまったのかと、動揺してしまう。
「あ、あの、王谷さん……?」
「オッケー、合格。あんたを認めてあげる」
「……は、い?」
急に訳のわからないことを言い出す。合格? 認める? どういうことだ?
「ほら、見てよ。残り10秒を切ってるし、このままじゃホントにあんたが死んじゃうからさ、どいてもらっていいかな?」
しかもなんか、口調とか性格も変わってるような……。
もしかして、性格が変わったフリをして、俺を助けようとしてるのか? さっきまでの彼女を見たらありえない話ではない。
「ダメだ。離れたら君が死ぬだろ!」
「だいじょーぶだって。これ偽物だから」
もはや俺の知る王谷結香ではない表情で、彼女は頭上を仰ぎ見る。
「いいから、早くどいて! さっきからわたしに抱きついてきて、ちょっと気持ち悪いんだけど!」
「いや、でも……」
「どけ、死にたくないだろ?」
もはやというか、それはアイドルではなく悪魔そのものであった。
俺が驚いて後ずさりすると、ちょうどタイマーがリミットを知らせた。
鉄製の容器が機械仕掛けで作動し、そのままひっくり返る。
「そんな! ウソだろ!」
嘆くも束の間、本当に中に入っていた溶銅は、王谷結香の頭から降り注いだ。体を銅でコーティングしていくように、ゆっくりと全身を染め上げていく。
やっぱり彼女は、俺を助けようとしたのか? 結局こうなってしまうのかよ!
「クソッ!」
もう、終わりだ……。もう、彼女の命は助からな――。
「ふぅ! スッキリしたぁ!」
地面でがっくり項垂れていると、楽しそうな声が上から聞こえてきた。
何これ、幻聴? 罪悪感で耳がおかしくなったのか?
「ほぅらあんた、顔上げてってばー。ちゃんと見なさいよ。わたしは死んでないよー」
テンションがなんだかおかしくなっているようだが、声はたしかに王谷結香のものだ。
本当は全身黒こげの物体が椅子に腰掛けているだけなんだ。そう思いながらも、恐る恐る視線を上げていく。
するとそこに立っていたのは――、
「あっはっはっはー、うわー、ビックリしたでしょー。ホントにわたしが死んだと思ったんだー!」
元気溌剌でピンピンしている女の子だった。子供っぽい仕草で俺を指差してくる。
顔も格好も王谷結香だけど……なんか違くないか? 誰だ、この子は?
「……えっと、王谷さんですよね? 無事だったんですか?」
「〝王谷さん〟って……ぷふふ。いいよ、結香で。わたしも叶真って呼ばせてもらうから。叶真はわたしの試験に合格したんだよ」
「んんん? ……試験? ごめん、意味わかんないんだけど……」
「そりゃそうだろうね。美咲ー、早く出てきてよー」
今度は〝美咲〟という名前が登場してきた。
なんか聞き覚えがある名前だけど……。
「もう、結香、さすがにやりすぎなんじゃない?」
「いいのいいの。結構盛り上がってたじゃーん!」
「久しぶり、吉祥」
車の陰から現れたのは、相変わらず所作が丁寧な逢河美咲だった。
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