3章 作り物のアイドル④
「え、あ、あの、どなたでしょうか?」
紛れもなく、拘束されていた女の子の正体は、あの高校生アイドル・王谷結香だった。
ステージの上で舞っていた彼女が目の前で拘束されている状況に驚きが隠せない。衣装がそれっぽいなとは思ったけど、本当に王谷結香だとは思わないじゃないか。
「なんで王谷さんがこんなところにこんな格好でいるんですか! 何があったんですか?」
「わたしもわからないんです! 楽屋で衣装を着替えていたら、背後から誰かに襲われて……あの、これってドッキリなんですか?」
「残念ながらドッキリではないと思います。おそらく王谷さんは人質にされて……」
「人質?」
俺が最悪のシナリオを頭の中で描いているのも束の間、またスマホがメールを受信する。
『今から君に二つの選択肢からどちらか一つを選んでほしい』
「選択肢だと……?」
長文のメールを素早く読んでいく。
『彼女の頭上にある鉄製の容器の中には、1200度をゆうに超える溶銅が入っている
10分経つと、これが彼女の頭に降り注ぐという仕掛けだ
命の保証はない
彼女の拘束を解きたければ、机の上にあるスイッチを押さなければならない』
言われて周りを見渡してみる。
たしかに彼女の頭上には、バケツほどの大きさの鉄製の容器があり、丁寧に鉄組で固定されていた。定かではないが、熱気のようなものが発せられている気がする。
一方のスイッチもすぐに見つかった。椅子の傍らに不自然に置かれていた机の上に、四角い箱から飛び出すように赤いスイッチが突き出ている。
『ただし、スイッチを押すとその代わりに、
ライブハウスに仕掛けられた爆弾が作動するようになっている
会場内にいる客のほとんどが、間違いなく死ぬであろう威力のものだ』
机の上をもう一度見てみると、〝10:00〟と表示されたタイマーのようなものがあった。それが次の文面にリアリティーを持たせてくる。
『君が選ぶのはこの二択だ
彼女を救うためにスイッチを押すか
それとも彼女を見捨てライブハウスにいる大勢の命を救うか
猶予は10分 君にとって最善の答えを見せてほしい』
タイマーの表示が〝9:59〟に切り替わり、カウントが秒毎に減っていく。
「なんて書かれていたんですか? これからわたしはどうなってしまうんですか?」
王谷結香は目を潤わせていた。
「どうやら王谷さんは事件に巻き込まれてしまったらしいです。下手すると、命を落とすかもしれない」
「命を……落とす……?」
彼女の顔が青ざめていくのがわかる。当然だ、普通の人なら、生涯にこんな目に遭うことなんてまずないだろう。自分に死の危険があるとわかれば誰だってこんな反応をする。
しかしながら、彼女は俺の予想していた範疇を超えてきた。
「詳しく説明してください」
「説明って言われても……」
そうは言っても、なんて説明すればいいんだ。そのまんま、あなたの頭上に溶銅があるって言えばいいのか? でもそんなこと言ったら、きっと彼女はパニックを起こすはずだ。
「お願いです、教えてください。どんな事実でも焦ったりしませんから」
「……」
たくさんの修羅場を切り抜けたような目に突き動かされる。それは、アイドルとして――タレントとして――いや、それだけではないような気がした。
「わかりました、説明します」
俺はそれに答えるために、慎重に言葉を選びながら状況を彼女に伝えていった。
「王谷さんの頭上にある容器の中には1200度の溶銅が入れられているようで、これが10分後に降り注ぐ仕掛けらしいです」
「溶銅って……ドロドロに溶けた銅ってことですよね」
頷いて答える。
「このスイッチを押すと拘束を解くことはできるんですが、代わりにライブハウスに仕掛けられた爆弾が作動することに……」
「なるほど……」
彼女はそれだけですべてを理解したようだった。
「つまり、わたしの命と、ファンのみなさんの命が、天秤に掛けられたということなんですね」
「そうなると思います……」
「わかりました」
男ですら受け入れるのは簡単ではない事実なのに、彼女は泣き喚くこともなく、王谷結香――一人の人間として、この先の未来に覚悟を決めたようだった。
「吉祥さん、お願いがあります。スイッチは絶対に押さないでください」
え? 急に何を言い出すんだ。
明らかな作り笑いに、つい強気に言い返してしまう。
「ですけど、それじゃ、あなたが死んでしまうかもしれないんですよ!」
「でも押したら、今度はファンのみなさんが死んでしまいます」
水掛け論が始まる。彼女は無駄な言い合いになる前に率直な意見を述べてきた。
「単純な計算ですよ。数千人の命を奪うよりも、わたし一人の命で済ませた方がいいに決まっています。だから残りの9分間、絶対に押さないって約束してください」
「だけど僕は、王谷さんが目の前で死ぬところなんて見たくないです……」
「なら吉祥さんもここから離れてください。溶けている銅っていっても、どれくらいの被害になるかわかりません」
「どうしてですか……? なんで笑っていられるんですか。死ぬのが怖くないんですか?」
「死ぬのが怖い、ですか……。だってわたし、とっくに死んでますもん」
「どういうことですか」
「表向きは清純派の高校生アイドル・王谷結香――それが今のわたしです。ですけど、それは本来のわたしじゃありません」
普段テレビで見ている彼女の姿を思い出す。様々なバラエティに引っ張りダコのその姿は、人生が充実している人間のように見えた。それが作り物だって言うのか?
「わたしという人間はとうの昔に死んだんですよ」
わたしは元々、言うなれば勝気な女の子でした。
今思うと小さいころから、悪いことを見つけると口を出さずにはいられない、正義感の強い子だったと思います。
ですがその性格も長続きはしませんでした。
ある日の、学校の昼休みのことでした。
クラスメイトでは仲良しで有名な四人組が、何やらケンカしていることに気が付いたんです。
「ちょっと! なんで教科書を外に投げるの! そんなことしちゃダメなんだよ!」
「は? 部外者が口を出さないでよ」
「ねえねえ結香ちゃーん。結香ちゃんがそういう性格なのは知ってるけど、そうやって邪魔するのはどうかと思うよぉ?」
「そもそもそいつが、抜け駆けして告白するのがイケナイんじゃーん」
「……え?」
中学生になってからというもの、わたしの性格は通用しませんでした。
わたしが思っているよりも、世の中は複雑な世界だったんです。
「ほら結香、あんたもやってみなよ。案外楽しいよ。結香のイライラも吹き飛ぶと思うよ」
「……いい。わたしはそんなことやらない」
「へぇ、あっそ」
その日からいじめの対象がわたしに変わりました。
わたしはただ、いじめられていた彼女を守りたかっただけなのに、何故こんな目に遭わなくてはならないのか理解できませんでした。
「わたしはそれ以来決めたんです。わたしは、周りが求めるわたしでいようと。そうすれば、この人生を楽に過ごせると思ったんです」
「だから、あなたという人間は死んだって言うんですか?」
「わたしがアイドルをやれているのもそれが理由なんですよ。ちょっと見た目がよかったからってスカウトされて――周りの言うとおりにしていたらここまで人気になって、ファンのみなさんも喜んでくれて……。そこにあるのは本来のわたしじゃないんですよ」
彼女はまた、作り笑いをする。
「だからいいんです。作り物の肉体がダメになったとしても、すでにわたしは死んでいるんですから」
「本当にそうなんですか?」
俺はそれを黙って見てはいられなかった。
「あなたは、自分のファンを愛している。ここまで応援してくれたファンを死なせたくないから、自分を犠牲にしようとしているんじゃないですか?」
自分の死を受け入れたときの、彼女の覚悟を決めたような目を思い出す。少なくともあれは、俺には作り物じゃないように見えた。
「どちらにせよわたしの気持ちは変わりません。スイッチは押さないでください」
「……じゃあ、もし僕がそれを無視して、スイッチを押すって言ったらどうしますか?」
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