3章 作り物のアイドル③

「いてっ! あ、すみません! 急いでいまして!」

 一心不乱に走っていると、ライブハウスに入ってくる客とぶつかってしまった。

 前を見ていなかった俺が悪いこともあり、ここは素直に謝る。

 客の脇をすり抜け外へ出ようとすると、石のような手に襟首を掴まれた。

「まてやゴラ。自分でぶつかっておいてその謝り方はなんだ?」

 巨漢のいかつい目つきが俺を貫く。マズイ相手にぶつかってしまったようだ。

 ここで時間を食っている場合じゃないのに……! 正直な気持ちを心の中で叫ぶ。

「本当に申し訳ありませんでした! 前を見ていなかった僕の責任です! どうか許してください!」

 とにかく許しを請うしかないと考え、嫌みのように何度も頭を下げた。

 他の客の視線が集中する。本当に悪いとは思っているけど、こうするしか他になかった。

「や、やめろ。そこまでしなくてもいいって……」

 俺が哀れに見えたのだろうか、男は急に委縮しだした。

 チャンスだ。ここで一気に反省の色を見せよう!

「ならどうすればいいのでしょうか! どうしても急がなくてはならないんです!」

「うーんそうだなあ……」

 顎に手を当てて何やら悩んでいる。〝一発殴らせろ〟くらいなら甘んじて受け入れるつもりだった。

「なら、君にとってゆーいんとはなんだ?」

「へ?」

 質問の意図がよく理解できなくてマヌケな声が出てしまう。

「君に何か事情があったとしてもだ。ここはゆーいんのライブ会場なんだぞ。神聖なゆーいんの領域をずかずかと走るなんて、ファンとしておこがましいとは思わないのか?」

 そう言われて男の姿を改めて確認してみる。

 男は、王谷結香のイメージカラーなのだろうピンク色のティーシャツに、『ゆいーんLOVE!!!』と書かれたものを着ていた。しかも文字のフォントからして、ティーシャツは男の手作りのようだ。

 ガッチガチの王谷結香のファンってことか……。質問内容がやけに壮大なのも、そう考えれば納得できるな。

「たしかに、そうですよね……」

「さあ、教えてくれ。そうしたら行ってもいいぞ。君の回答内容によっては、俺の教育が必要になるかもな」

 脅迫のような一言に身震いする。

 それは絶対に避けておきたいぞ! こんな大男の教育とか、何をされるかわかったもんじゃない!

 なんとか頭を捻ろうにも、現実はそう甘くなかった。何故なら俺は王谷結香のファンではないからだ。今日はあくまで伊吹の付き添いで来ただけであって、俺はそもそもアイドル全体に興味がない。

 これは難問だ。どう答えればいいんだ……!?

 ちょうどよさそうな言葉を探ってみる。こういうときファンは彼女をなんて形容するのだろう。心のよりどころとかは普通過ぎるし、天使、女神、神様なんてのも、いくらなんでもチープすぎる。嫁とか生きがいみたい言い方をする人もいるらしいが、この人にとっては、それも異分子ととられそうだ。

 くそ……わからない。ベストアンサーが思い浮かばない。

「どうした? 答えられないのか?」

「わからないんです」

 俺は勢い余ってそんなことを口滑っていた。

「僕にとって彼女はどんな存在なのか……僕にはまだわからないんです」

「どういう意味だ?」

「だってそうでしょう? 僕にとって彼女はテレビの中の存在で、今日初めて生を見ました。そんな僕が彼女を評価するなんて……それこそおこがましいことですよ」

 適当に言っているわけでもなくこれは事実だ。こういう場合、変にウソを並べるよりは、正直に真実を言った方がいいと思った。

「だからこうして、あなたに会えて学んだことがあります。僕ってまだまだ、ゆーいんのファンとしては新人だったんですね」

 さらにポイントとして、ある程度のお世辞を混ぜた方が説得力は増していく。

「それが君の答えか?」

「はい。それが今の僕です。……これから、もっとゆーいんを愛せるように頑張ります! 〝先輩〟よりも、もっともっと、彼女を愛せるファンになりたいです!」

「フッ、バカなことを言うな……」

 大男は初めて笑顔を見せた。

「俺以上のゆーいん愛を、君に見出せると思ってるのか?」

「できるかどうかまだわかりませんけど、いつか必ず見出してみせます。これからもっと、ゆーいんの勉強をするつもりです!」

 俺が強く言い切ると、大男は納得したように息をついた。

 まあ実際、結構いいなって思ったところはあったし、機会があれば、またライブに来てみたい気はする。

 これは少なくともウソをついているわけじゃない。事実を大げさに言ってみただけだ。

 だから悪いことではない!

「わかったよ……。行きな」

「いいんですか?」

「後輩を見送ってやるのが、先輩の役目ってもんだろ」

 何かの役者スイッチが入ったらしい。俺の迫真の演技に感化されたようだ。

「だから早く行け! ゆーいん道は果てしないぞ!」

「はい、ありがとうございます!」

 俺は最後にがばっと頭を下げた。

「悪くない答えだったぞ……後輩よ」

 以上にて、ライブ休憩中のささやかな寸劇が幕を閉じたのである。


 ライブハウスの裏手にある駐車場では、異様な光景が広がっていた。

「あ、あの、なんですかこれ……? もしかしてドッキリですか」

 通りからは見えない駐車場の奥の方に、その女の子はいた。

 目隠しをされたうえに、金属製の椅子に座らされており、腕と足をベルトのようなもので拘束されている。彼女は今の状況に混乱しているようだった。

 まさかとは思わないけど、この子がメールを送ってきたのだろうか。

「俺を呼んだのは君なのか」

「……? 誰かそこにいるんですか。あの、これっていったい何なんですか?」

 反応を見るにやっぱり違うらしい。

 とにかく彼女の正体がわからなければ、俺が次にどうすればいいのかもわからない。

「これ、取るよ?」

 女の子の目隠しに手を伸ばす。

「え? これって取っても大丈夫なんですか――」

 彼女が言い終わる暇もなく、目隠しが取り払われたとき、俺はあまりにもの正体に咄嗟に名前が出てこなかった。

「ウソ……? あなたは、王谷結香?」

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