2章 日常は変わりゆく②

 ……なあ、神代。お前はこの結果を望んだのか?


 お前が成し遂げたかったのはこんなことなのか?

 なんでそんなところで血ィ流してんだよ……。

 神代――お前はバカだ。大バカ野郎だ。

「あはははは。うひゃひゃひゃ――!」

 神代が引き金を引いてからどれくらい経ったのだろう。

 正直言って、生きているという実感がなかった。全身を刺すような激痛が留まることを知らない。

 白ティーの男は壊れたオモチャのように、耳障りな笑い声をひたすらまき散らしていた。

「こりゃ傑作だ! 今までで最高傑作だよ。まさに人生に一度の最高傑作だな!」

 起きろよ神代。そんなところで寝てないで、早くそいつに言い返してやれよ……。

「英雄になろうと調子に乗った挙句、自分の手ですべての幕を下ろすなんて、命をかけた一発ギャグかよ!」

「黙れ……」

「あーン?」

「それ以上俺の親友を侮辱したら、俺がお前をぶっ殺してやる」

「ふははは。テメーもこのバカも、まるっきり似たような性格してんな。その体でどうしようってンだよ」

 男はゆっくりと俺のところまで近づいてくる。

「次は俺を殺すのか?」

「ンだぁ? むしろそうしてほしいのかよ。そこまで言うなら殺してやってもいいが、生憎弾はなくなっちまったし、何より今の俺は満足してる」

 ウソはついていないようだった。腕と柵を繋ぐロープが男の手によって解かれる。

「……うぐ」

 全身に力が入らずに、水溜まりのできた地面にそのまま突っ伏してしまう。

「せいぜい楽しみにしてるぜ。今度はオマエで楽しませてもらうからな」

「…………」

 本当は言い返してやりたかったのだが、体が言うことを聞かず、地面を見ることしかできなかった。

 そんな俺のことなど構わずに、高いところから男の声が聞こえてくる。

「あーあとこれ、実は屋上のカギじゃねーんだ。よく考えてみろよ。どこでそんなンが手に入る?」

 そうして思い出したように、また神代を侮辱してきた。

「バカだよなぁ。銃を手に入れた時点でさっさと逃げればいいのによぉ」

 待て! 逃げんじゃねえ!

 俺は大声で叫んだつもりだった。

「…………」

 だけど実際は瞼が数回動いただけ。

 ドアの開閉音が雨の向こうから聞こえてくる。

「覚えておけ。俺の名前は桐生樹。この世界を支配する人間だ」

「しはい……?」

 それはいったいどういう意味だ? 

 耳障りな笑い声が去った後に残ったのは、耳障りな雨音だけだった。


『――はい。わかりました。その場で安静にしていてください』

 雨で濡れたスマホが手から零れ落ちる。

 俺がほとんど返事をしなくとも、警察はすぐに駆け付けてくれるみたいだった。

「……バカだ」

 血の海はすでに雨水で中和されている。

 俺は神代の傍らで、ひたすら嗚咽を漏らしていた。

 顔をよく見ることができない。

 自分が涙を流しているのかどうか、雨のせいで判断がつかなかった。

 鳴りやまぬことを知らぬ雨音が、俺の心を攻め立ててくる。

「たしかにお前はバカだよ……」

 玄関で先輩を挑発するようなことをしたり、オト部の名前を幾度も間違えたり、それ以外にもこの三か月の間に、こいつのバカっぷりには散々苦労させられた。

 普通なら人は火事の中に飛び込まない。

 普通なら人は凶悪犯を追いかけない。

 普通なら親友は自分の頭を撃ち抜いたりしない――。

「だけど俺はそんなお前に憧れていたんだ……」

 久しぶりの罪悪感に体が押しつぶされそうになる。

 俺が勝手に桐生を追いかけたから。

 もっと冷静になっていれば。

 悔やんでも悔やみきれぬ思いが、重責をさらに重いものにしていく。

 この現実から逃げるために、俺は自嘲して気持ちをごまかした。

「……ごめん神代。もっとバカだったのは俺の方だ」

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