2章 日常は変わりゆく

 俺はオト部をやめたかった。

 人を助けようなんてしたら、その先に待っているのは、良い結果だけではないことを知っていたからだ。

 むしろ運命に逆らったりせずに、ありのままを受け入れて、それを最後まで見届けるべきなんじゃないかと思うようになっていた。

 今までの俺なら火事の中に飛び込もうなんてまず思わないし、それで子供が死んだとしても、仕方ないの一言で済ませていただろう。

 もしも火事の犯人を見つけたとしても、自分からそいつを捕まえようとも思わない。

 そういうことは、その道のプロに任せればいいだけの話だ。

 そんなことをしたって、何も得られるものはない。

 すべて愚かな人間が行うことなんだ。

 だからこそ思うことがある。

 神代――お前はバカだよ。


 2年1組の教室を目指しながら俺は言った。

「お前に紹介したい愛好会があるんだよ」

「愛好会ねえ……」

 神代が俺の話に乗ってくるか正直不安だったのだが、案の定反応は悪かった。

 しかしながら、せっかくのチャンスを逃すわけにもいかない。

「なんていうんだよ」

 そこで俺はありったけの空気を吸い込んで、

「活動実績貢献愛好会! きっとお前も気に入るはずだ!」

「……あん?」

 できるだけ自信満々な風に言って、場を飲み込むつもりだったのだが、どうやら神代との距離が遠ざかっただけらしい。

「活動……なんだって?」

 玄関での出来事を考えるに、こいつは少々頭が悪いようだ。

 俺は思わず頭を掻いていた。

「活動実績、貢献、愛好、会。その名のとおり、アスカ高校の歴史に残るような、大きな実績を残すことを目標として活動している愛好会だよ」

「なるほどねー」

 聞く耳を持たない人間の代表のような返事をする。

「ウチの学校って公立の割には、学校としてめぼしい活動実績が特にないんだ。サッカー部は全国大会に出場したものの、ベスト8を逃してるし、文科部はよくて奨励賞だからな」

「ほー」

 相変わらずの態度だったが、構わずに押し切ることにした。

「だからこそ、俺たちが目に見えた実績を残すんだ」

「……悪くはない。このオレが入る部活として相応しいとも思うよ」

 神代は廊下に飛び出した2年1組のプレートを確認し、足を止める。

「けどすまねーな。オレ放課後とか用事があるんだわ」

「来れる日だけ顔を出してくれてもいい。もう少し考えてくれ」

 渋い顔をしたまま俺に背を向けると、

「じゃ、オレここだから、またそのうちな」

 格好つけているつもりなのか、右手で別れを表現してきた。

「いや、俺たち同じクラスだぞ」

「あ、あー、そうなのねぇ……」

 愛想笑いでごまかそうとする神代。

 最初は面倒くさそうな奴だと思ったけれど、俺はそんな神代と2年1組の戸を開いたんだ。


 数日立ったある日の放課後のこと。

 その日は珍しく愛好会の仕事がなかったため、俺はゆったりと帰路についていた。

 通学路で毎日通る交差点で信号待ちをしていると、対向の歩道に見覚えのある姿を見つける。

「あれ、もしかして神代か……?」

 はっきりと顔が確認できたわけではないから確信はなかったのだが、制服はウチの学校のもので、何より動きとか雰囲気みたいなものがそれと似ていることに気づいた。

 あいつ何やってるんだ。

 腰を折った年配の女性と何やら話している。見た感じ、知り合いというわけでもないみたいだった。

 まもなくして信号が青になる。

「何やってるんだよ。追剥でもしてんのか」

「おお、吉祥じゃんか。お前からも言ってくれ」

 俺の質問をさらりと流し、目配せしておばあさんを示してくる。

 見ると、おばあさんは随分と買い込んでいたようで、両手に大量のレジ袋を抱えていた。

「別に大丈夫よ。あなたたちに迷惑かけるわけにもいかないからねぇ」

「気にしなくていいってばあさん。どう見ても重いだろそれ。オレが持ってやっからさ」

 二人の会話を聞いてなるほどなと理解する。

 こいつ、お節介なところもあるのか。

「相手がいいって言ってるんだ。無理に手伝わなくてもいいだろ」

「はあ?」

 神代の目が豹変して俺を刺し殺すように睨みつけてくる。

「ばあさんが事故にでも遭ったらどーするんだよ。何かあってからじゃおせーんだ。オメーそんなんで活動実績“あいこうこうけん”会ってのやってんのか」

「貢献愛好会だ」

「どっちでもいい!」

 本当に怒ってるのかごまかそうとしてるのか、神代は逃げるようにおばあさんの方に顔を向けた。

「とにかく、つーワケで、これはオレが家まで持っといてやるから。行こうぜ、ばあさん」

 ほとんどひったくるような形で、大量のレジ袋を軽々と抱え込む。

「まあまあ、どうもありがとうね」

「いいさ、これくらいどうってことないから」

 嬉しそうなおばあさんを見ていたら、俺も何かした方がいいのかと思ってきた。

「俺も手伝うよ」

「いいお前は。オレが好きでやったことだからな」

 背を向けて、そのままおばあさんと歩き始めてしまう。やっぱり怒ってるのかこいつ。

「だったらせめて後ろをついて行く。お前ひとりじゃ何かあったとき心配だからな」

 俺はムキになっていたみたいだった。

「勝手にしろよ」

 お前がそう言うなら、お言葉に甘えて勝手にさせてもらうよ。


「じゃあな、ばあさん。お孫さんと仲良くやれよ!」

「本当に色々とありがとうね」

 数分後、手を振りながらおばあさんが自宅の中に入っていった。

 幸いなことに、道中は特に何も起こらなかったのだが、二人が終始楽しげだったのはなんだったのだろう。

「何を話してたんだよ」

「なんだよ吉祥、最後までついてきてたのか」

 どうやら、途中で俺のことなど忘れていたようだ。

「一応心配だったからな。ちょうど方向も同じだし」

「そうかよ」

「で、何を話してた? 随分楽しそうだったな」

 神代と帰路を歩いていく。

「あのばあさん、最近孫が反抗期に入ったらしくてよ、世話をするのが大変なんだってさ。だからオレなりにいくつかアドバイスをしてみたんだ。上手くいくといいんだけどな」

「へぇ」

「なんだよ。お前から聞いてきたクセに興味ゼロかよ」

「いやそうじゃなくって……」

 俺の見込み違いだったのかもしれないな。こいつは俺の思った以上に、他人を大切にできる人間なんだろう。まあ、バカってところは間違いなさそうだが。

「そんなお前なら、やっぱり気に入ってくれると思ってな」

「まーた活動“こうけんじっせき”愛好会か」

「何度も言わせるな。活動実績貢献愛好会だ」

「そうやってオレを勧誘して何度目だよ」

 さすがにわざわざ数えているわけがないのだが、まあ十はいっていないだろう。

「そこまでして入らなくちゃなんねー理由でもあんのか?」

 代わりの部員が必要だから、とは言えず、別の方向から攻めてみる。

「おばあさんを助けて家まで送っていたろ。そういう人材が欲しいんだよ。だからこうして頼んでるんだ」

「本当か?」

「本当だよ」

 一応ウソはついていない。言葉を選んだからといって、悪いことにはならないはずだ。

「お前みたいな志を持った奴が、アスカ高校に名を残すんだよ。ヒーローになれるチャンスが来るかもしれないぞ」

「ヒーローねぇ……悪くはない」

 おお、珍しく好感触だ。これは割と行けるんじゃないだろうか。何回も頼んでいるうちに少しずつ折れたみたいだ。

「ただ、放課後に用事があるのはたしかだからな」

「前にも言ってたな。なんかやってるのか?」

「実はウチ、色々とワケありでな。ほとんど二人暮らしみたいな状態なんだ。年の離れた妹と住んでるんだけど、家のこととか妹の世話とか、兄貴であるオレがやんなくちゃなんねー」

「大変なんだな」

 さすがにマズイことを聞いてしまったようだ。俺が委縮していると、神代は心外といった感じで背中を叩いてくる。

「お前にそんな言い方されるほどじゃねーよ。これでも結構楽しんでる方なんだぜ。もう何年もこんな状態が続いてるし、さすがに慣れたよ」

「……うん」

「おっと――まあ、つまり、あんまり暇な時間はねーってことだな」

「それなら、俺たちがそれを手伝うってのはどうだ」

「お前がやるのか? さすがに任せる気にはなれないな」

「俺だけじゃない。伊吹にも協力してもらうんだよ」

「愛好会の部員だっていうアイツか。たしかに伊吹が一緒なら任せてもいい気はするけどよ……」

「毎日ってわけにはいかないけど、休みの日とかなら、俺たちが少しは力になるよ」

 本当は部員数が俺を含めず五人に達したら抜けるつもりなのだが、それまではそういう話でもいいだろう。

「それならどうだ? それでもう一度考えてみてくれ」

「うーむ……」

 神代が急に立ち止まる。

 腕を組み、目を閉じて、神代なりにすべての可能性を考えているみたいだ。

 最後に大きな息を一つつく。

「わかったよ。そこまで言われたら断るわけにもいかねーな」

「本当か? 本当に入ってくれるのか?」

「ただし条件がある!」

 いきなり指をさしてくる。

 まさか、協力するというだけでは物足りず、膨大な報酬を要求するつもりか?

「オレがその愛好会に入るからには、ぜってー大きなことを成し遂げてやるからな!」

「おおう……」

「だからお前もちゃんとついて来いよ! いいな!」

「わかったわかった。お前にちゃんとついて行くよ」

 とりあえずオウム返しをして納得させておく。なんとか話が纏まったようだ。

「あーあとそうだ。もう一つ言いたいことがあったんだ」

「まだあるのか?」

「その活動“あいこうじっせきこうけん”会って名前なんだけどよ――」

「もうメチャクチャだな」

 わざとやってるんじゃないかと思ってきたぞ。

「もっとこう、スッキリできないのか?」

「一応通称はあるぞ。伊吹の下の名前の乙姫をもじって、俺たちはオト部って呼んでる」

「オタクっぽいネーミングだな」

「そうか? 俺は案外いいと思うけど。まあそのうちお前も慣れるよ」

「そうならないことを祈っておくわ」

 おかしなことを言う神代。

「なんにせよ、これでお前も俺たちの仲間だ。オト部のメンバーとして、改めてよろしく」

「任せろ」

 よしよし。ひとまずは、なんとか部員を一人確保できたようだ。問題はあともう一人。アテがないか色々当たってみるかな。

 落ちていく太陽に向かって再び歩き出す。

「……吉祥、忘れるなよ」

「え?」

 横を見ると、クズっぽい俺のことなど露知らず、神代はキラキラと目を輝かせていた。

「大きなことを成し遂げるぞ」

「…………」

 罪悪感のようなものが心の中で渦を巻く。

 この気持ち悪い感情をどうにかして払拭したかった。

「ああ、わかってるよ」

 そのときから俺は、俺にはない何かを神代に感じ始めていた。

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