1章 終わる日々⑦

 音がした方を辿って階段を駆け上がると、屋上には異様な光景が広がっていた。

 ロープで腕を柵につながれた吉祥が薄ら笑いを浮かべる。

「うぅぅ、ごめん神代……しくじった」


 ガチャン。


 ドアの閉まる音がして後ろを振り返ると、そこには楽しそうにケタケタと笑っている、件の白ティーの男が立っていた。

「くぅ~。ヒーローの参上だぜ」

 手には拳銃のようなものを握っている。

 黒光りする物体に思わず視線が奪われる。本物を見るのは初めてだった。

「血を流しているじゃないか。どうしてこんなに酷いことを」

「ははは、そう声を荒げるなって。弾がちょっと掠めただけだろ」

 ワイシャツにシミができている。明らかにちょっとというレベルではないことは見て取れた。

 吉祥はまともに喋ることもできないのか、意識を保つことで精いっぱいのようだった。

「俺を追いかけるならよぉ、連携もしっかりしないとダメじゃないか」

「吉祥を解放してやってくれ。アイツはオレのわがままに付き合っていただけなんだ」

 せめて休ませなくてはならないことは明白だった。まずは吉祥だけでも助けねーと。

 そう思っていたのも束の間、男は遮るように言ってくる。

「ダメだ。それじゃあつまんねーだろぉが」

 耳障りな引き笑いが尾を引く。

「俺は純粋に楽しーことがしてぇんだ。弾はまだ三発も残ってる。そう簡単におしまいにするわけねーだろぉがよぉ」

 吉祥の方に銃口を向けながら相変わらず楽しそうだ。

「わかった! わかったよ。だからそれは下ろしてくれ。オレはどうすればいい?」

「そうだなぁ……んじゃ、質問タイムとしゃれこむか」

 少し考えた後に何を言うのかと思ったら、いきなり予想外の言葉が飛んできた。

「質問?」

「ほらオマエ、俺に聞きたいことがあるんじゃねーか? それに俺が答える代わりに、オマエの相方に一発食らってもらうってのはどぉだ」

 男は目配せして吉祥を示す。吉祥は相変わらず反応を示さなかった。

「意味がわからない。それで何故吉祥が撃たれなくちゃならないんだ」

「あのなあ、テメーみてぇな雑魚に拒否権なんてねーんだよ」


 バァン!


「うぐ……」

 胴体を撃ち抜かれた吉祥が、思わずといった風にうめき声を漏らす。

「やめてくれ……オレの友達を傷つけないでくれ……」

 全身から血の気が失せていくのを感じる。力を失った足はオレの意思を受け入れずに崩れ落ちた。

 目の前で友達が瀕死になっている。

 何故だ、何故こんなことになったんだ? 今日もいつもどおりオト部として活動しただけなのに、どうしてその部員が、目の前で死にそうになっているんだ。

「くそ、やめてくれよ……」

「さあ、質問しろ、なんならもう一発撃ってからにするか?」

 今度はオレの方に銃口を向けてくる。完全に男の独壇場だった。

 オレには、はっきりさせておかなければならないことがあった。

「あの火事の犯人はお前なのか?」

「それが質問なのか?」

「答えろよ! あれはお前がやったのかって聞いてんだ!」

「ふはははは。だからよぉ、落ち着けぇって言ってんだろぉが。男のクセにきゃんきゃん泣くんじゃねーよキメェなぁ」

 変に言い返さないことにした。きっとコイツはオレが感情的になることを狙っている。それが相手の狙いならば、飲まれないようにするためにも、目的を見失わないようにしないと。吉祥を助けられるのはオレしかいねー!

「ただ、試したかったんだ」

「試す?」

「ああ、あのビルを火事にできるかどうか、俺の力を試してみたかったんだ」

「それで火を放ったのか?」

「違う。俺は物理的なことは何もしちゃぁいない。燃え盛るビルをイメージしただけだ」

「お前はさっきから何を言っているんだ?」

 男は笑い返すだけだった。これ以上答えるつもりはないってことか。

 どちらにせよ、過程がどうであったのかは大した問題ではない。コイツは自分が犯人であることは認めたみたいだった。それだけでも、質問をした意味は十分にある。

「結局の原因はお前なんだろ」

「だとしてどうするんだよ。まさか、イメージごときで、俺を逮捕しようとか言うんじゃねーよなぁ?」

 今になって、はっきりと理解できたことがある。コイツは初めに言ったとおり純粋にこの空間を楽しみたいだけなんだ。自分さえ楽しければ、きっと、コイツにとって過程なんてどうでもいいんだ。

 解せない気持ちが今にもあふれ出そうだった。

「俺を殴りたいか?」

「はあ?」

「はいそうですって顔してんなぁ。いいぜ、そんなにムカつくンなら、オマエに一発殴らせてやるよ。その代わり、相方にこっちの一発がぶち込まれることになるけどなぁ」

 男はオレの前まで余裕の表情で進み出てきた。

「それでもいいなら、ほら、殴れ」

 自分の頬を叩いて挑発的な笑みを浮かべている。

 飲まれるな。自分を見失ったら、吉祥を助けることができなくなるんだぞ。

 冷静になるんだ。冷静になるんだ。冷静になるんだ。

「どうした。殴らねぇのか? ……なーんだ、もしかしてどうでもよかったのか」

「……?」

「別に何とも思っちゃいなかったんだろ? あの火事でたとえ誰か死んでいても、オマエにとっちゃどうでもよかったんだろ? オマエが欲しかったのは、英雄になった後の称賛なんだからな」

「違う! そうじゃない。オレは純粋に人を救いたかっただけで……」

「どうかなぁ? オマエがただの偽善者じゃないってどうやったら言い切れンだよ?」

「…………」

 ヤツの言葉に耳を傾けるな。ここを耐えれば、きっとチャンスは来るはずなんだ……。

「それとも、あいつも同じなのか?」

「え?」

「オマエら二人そろって、本当は嬉しかったんだろ。自分たちの活躍のチャンスがやっときた。嬉しくて嬉しくてたまらなかったんだ」

「違う! そんなことない!」

「こりゃビックリだ。こーんな近くに、とんでもねーやつがいたもんだなぁ――ぐはっ」

「それ以上言うと許さねーぞ。吉祥がどんな思いであの子を助けたのか……!」

「ははは。いいねえその表情」

 男の薄ら笑いではっとする。

 オレはまんまとコイツに乗せられて、顔面を殴ってしまったのだ。

「くそ! こうなったら……」

 全神経を一点に集中させ、男の手から零れ落ちた拳銃に向かって体を弾く。

「おおっと……」

 しかし、数歩踏み出したところで、思いがけないことが起こった。

 頑丈なコンクリートでできているはずだった屋上の床が、劣化が進んでいたのか運悪く踏み抜かれたのだ。

「がっ!」

 体勢を維持することもできずに、そのままのたうち回ることになってしまう。

 頬をさすりながら、男は拳銃を拾う。

「何奪おうとしてんだよ。ルールは守らないとダメだろ」


 バァン!


 二発目がまたしても吉祥を撃ち抜く。

「なんでこんなことをするんだよ!」

「だから言ってんだろ。楽しみたいだけだって――」

「とんだサイコパス野郎だ! ふざけんな! お前の悪趣味にオレたちを巻き込むなよ! 頼む、見逃してくれ」

「追ってきたのはオマエらなのに、たった二発でグロッキーか?」

 オレの必死の命乞いも、やはり笑い飛ばすだけだった。

「哀れだよな。正義感をかざしたオマエは、最後の最後で大切な存在を失おうとしているんだ」

 吉祥の話してくれた暗い過去についてが思い出される。

 そんなのはただの結果論なんだ。んなことあってたまるかよ。

「絶対にそうはさせねー!」

「神……代……。逃げろ……」

 吉祥の消え入りそうな声がする。もう限界のようだった。このままじゃ本当に命が危うくなる。こうなったらオレの命を懸けるしかないのか……? 

「さて、残り一発だ。最後に相応しいゲームをしようぜぇ」

「……ゲーム?」

「ここまで楽しませてくれたんだ。俺はこう見えて良心的だ」

 何が良心的だ。そいつはつまらないギャグのつもりか。

「オマエにもチャンスをやるよ。俺とオマエ、最後の一騎打ちをしようぜ。正義感溢れる人間が朽ちていくさまが見てみたくなった」

 相変わらず滑稽でたまらないといった感じで笑い転げる男は、大仰な仕草で空を見上げる。

「何をする気だ?」

「決まってるだろ。残った弾は一発のみ。ロシアンルーレットだ」

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