1章 終わる日々⑥

 白ティーの男を路地裏の中まで追っているうちに、オレたちはとある雑居ビルに辿り着いた。二階建てで事務所に使えそうな建物だがテナントはない。

「間違いねー。ヤツはこの中に逃げて行った」

「たしかなのかよ。その男が事件の犯人ってのは」

「犯人じゃないならどうして逃げる必要がある」

「それも一理あるけどさ……」

「オレはほぼ間違いないと思ってる。違うなら違うで、あのときビルの中をうろついていた理由を聞くまでだ」

 もしも目論見が外れていたとしても、それだけで片付けるわけにはいかない不審な点があの男にはある。それだけでも十分追う理由にはなった。

「お前がそこまで言うならそうなんだろうな」

 吉祥は思い出したように言う。

「伊吹はどうするんだ。一人で待たせてるんだよ」

「アイツなら大丈夫だろ。オレたちを追って現場まで来たようなヤツだ。うまくやるだろ」

「そうかもしれないけど……ま、ここまで来たら行くしかないか」

「怖くはないのか? 相手は人殺しもいとわないヤツかもしれないんだぞ。警察を呼んで大人しくしといた方がいいんじゃないか」

 言ってみればここから先は最終局面だ。オレも吉祥も覚悟を決める必要がある。

「どうかな、さっきあれだけの修羅場を潜り抜けたせいか、恐怖感はそこまでないかな。モタモタしてたら逃げられるだろ。相手は一人だ。俺たち二人で捕まえてやろうぜ」

「ふん、やる気満々で結構なこった」

 悪くない答えが返ってきて、つい緊張が綻びる。ちょうどオレもそう思っていたからな。


 一階から順番に部屋を見て回る。

 勝手口がない限りは、地道に部屋を潰していけば、ヤツを捕まられるという算段だった。

 電気系統がすべて使えなかったため、スマホのライト機能を使って前を照らしながら、慎重に歩みを進めていく。

「こっちはいなかった」

 一室の様子を確認してきた吉祥が廊下まで戻ってきた。

「奥に行ってみよう。まだ部屋はあるからな」

「気をつけろよ。オレから離れんなよ」

「わかってるって。お前こそ離れるなよ」

 オレが先導し、吉祥が後ろを確認する陣形で、少しずつ廊下を進んでいく。

「ここが一階の最後の部屋だ」

 吉祥に下がるように言ってから、スマホを左手に持ち替えて、ドアノブをゆっくりと捻った。

「おっと?」

 手ごたえが固い。鍵が掛かっているという感じではなさそうだ。

 何かがドアに引っ掛かっているのだろうか。あるいは誰かが押さえている?

「いっぺんやってみたかったんだよね」

 少し下がって勢いをつけようとする。

「待て待て待て。さすがにそれはやりすぎだ。押してダメなら引いてみろよ」

「……おおう、そうかあ?」

 男なら一度は憧れる夢のシチュエーションというものを、こいつはわかっていないようだ。

 言われた通りにドアノブを引いてみると、今度はすんなりと開いた。

「な?」

「……よし」

 何があっても大丈夫なように、慎重に奥の方まで様子を窺う。

 入り口のところにパイプ椅子が転がっている。おそらく、前の借主が部屋を片付けるときに忘れたもので、それがドアに引っ掛かっていたのだろう。

「ここにはいないな……」

「神代見つけた!」

 ふいに、部屋の外で待っているはずの吉祥の声が聞こえた。

「おい! 待ちやがれ!」

 二人分の階段を駆け上がる音がビル内に響く。

「待て吉祥! 追うな!」

 オレが廊下に戻っても時すでに遅く、吉祥の姿はなくなっていた。

 一人で勝手に行動するなよ。だから離れんなって言ったんだ。


「うあぁぁぁぁ!」


「――!?」

 苛立ちを覚えるのもわずかな瞬間のこと――今度は男の叫び声とともに、それを追い詰めるように、銃声のような破裂音が三度鳴り響いた。ってか待て、銃声?

「くっそ、また足引っ張りやがって!」

 こういう状態をパニックっていうのかね! 声は間違いなく吉祥のものだった。

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