1章 終わる日々⑤
「ほらこれ」
「サンキュー。気が利くね」
吉祥から投げ渡されたペットボトルを受け取り、中に入っているものを一気に体内に流し込んだ。
ふぅ……一仕事した後の一杯は格別だな。……って、ん? なんだこの味。この口に広がるシュワシュワ感は……。
「てめこら、なんで炭酸なんだよ」
「悪い悪い。急いでたら間違えてそれ押しちゃってさ」
そう言って、自分用に買ったのだろう、天然水の入ったペットボトルをぐびっと呷る。
「それと交換しろ。こんなん飲んだら余計のどが渇く」
「いーやーだーね。俺の金で買ったんだからむしろ感謝しろよ」
「一番活躍したのはオレだぞ!」
「それとこれとは別問題だ!」
「何が別だ。オレの助けがなかったらそれを飲むこともなかったんだぞ」
「ならそっちの炭酸も返してくれ」
緊張が一気にほどけていく気がした。
初めて会ったときの見立て通りだ。吉祥とはいい友達になれると思っていたんだよね。
「女の子なんだけど、熱があるみたいだけど命に別状はないって」
救急車が止まっている方向から伊吹が小走りでやってくる。
「本当にありがとうございましたって何度もお礼を言ってたよ」
子供を母親に引き渡したとき、二人の涙を流していた姿を思い出す。
オレの人生じゃ、親からの愛情を感じたことはなかったけれど、家族っていいもんだなって、そのときだけは感じることができた。
「そっか、よかったよ……」
「まーオレの力に掛かればこんなの楽勝よ!」
すごく気分がよかったので、鼻を鳴らしてみると、ますます自慢げになっていた。
「やっぱ生まれながらの素質って言うのかねえ……。ヒーローになれるヤツはその辺のパンピーとはワケが違うのよ」
「はいはいわかった。お前の大活躍ってことでいいよ」
そうだ。わかってくれればいいのだよ。だからさっさとその水を寄こしやがれ。
吉祥はオレをいなしたつもりになると、伊吹と事の一部始終を話し始めた。
「……でさ、いきなり床が崩れてきて」
スッキリしたツラしやがって。初めっからその顔つきで接して来いってんだ。
楽しそうな二人につられて、ついオレはニヤけてしまった。
ちらりと燃えているビルの方に視線を移してみる。
さきほどようやく消防隊が到着し、決死の消火活動が進められていた。取り残されている人もいないはずだから、あとは沈下に専念するだけでいい。彼らの役に立てたと思うだけでまた嬉しくなってきた。
なーにが無茶な子だよ。オレのおかげでかなり仕事が楽になったろ。
煤だらけの格好を見たときの消防隊の驚き方を思い出しながら、オレはまたニヤけていた。
「……ふぅ。ん?」
野次馬の中に見覚えのある姿を見つける。
白ティーシャツの男だった。群衆の中で同調するように、ビルの燃えているさまを見上げている。ビルの中でのことについて、質問をしてみようと立ち上がった。
しかしながら、反射的にすぐに足が止まる。
笑っている……?
満足げな表情でビルを見上げる男の姿に、オレは内心恐怖を抱いていた。
何故笑っている? この地獄のような光景を見て、何故笑っていられるんだ。
怖い怖い怖い怖い。
自問自答を繰り返した末に、オレは一つの仮説を立てた。
「もしかして、お前がやったのか? お前が火を放ったのか!?」
オレの存在に気付いたのか、男はゆっくりとこちらに振り向く。
そしてようやく見せた顔つきは、この世のものとは思えないほどに――まさしく悪魔の顔だった。
「待て!」
男は野次馬の中をすり抜けながら、まるでオレから逃げるように離れていく。
頭の中で疑問が確信に変わる。
間違いない。アイツがきっと犯人なんだ。ぜってーに逃がしてたまるかよ。
「これ返すわ」
半分くらい残っている炭酸ジュースを吉祥に押し付け、男の後を追って駆け出した。
これだけのことをして、許されるわけがない。とっ捕まえて罪を償わせてやる。
「おおい神代! 今度はなんだよ! ……これ持っててくれ」
「あっ、ちょ、ちょっと二人とも!」
なんだか後ろが騒がしい気がするが、今はそんなの気にしている場合じゃないんだ。
現場から離れたところまでやってくると、誰かに肩を引っ張られた。
「少しは落ち着けって!」
息を切らす吉祥の姿があった。いちいち付いてきたのかよ。
「いきなり走り出したと思ったら……なんかあったのか?」
「犯人だ」
「はあ?」
「火事の犯人を見つけたんだ。このままじゃ逃げられちまう」
「それ、本当か?」
「多分な」
「多分って……」
吉祥の相手はこの辺にしておいて、犬のように周囲を見渡す。
「いた! おい、待ちやがれ!」
「お前も少しは待ってくれよ……」
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