1章 終わる日々④

 ビルの中は、地獄という表現が相応しいほどに荒れていた。

 ところどころ壁が剥がれ落ちており、天井や床はいつ崩れてもおかしくないレベルだ。

 この雑居ビル全体が火柱と化したようだ。一体誰が引き起こしたのかね。

「うわぁぁん。ままぁ……ひっく、えっぐ……」

 ビルの四階まで一直線で駆け上がってくると、微かに少女の鳴き声が聞こえた。

「吉祥こっちだ。この向こうから聞こえる」

「うん」

 元々はドアがあったであろう場所が、瓦礫によって塞がれてしまっている。

 件の少女は、この部屋の中に取り残されているようだった。

「せーので行くぞ……せーのっ!」

 オレは吉祥と力を合わせて、瓦礫の山を持ち上げた。

「ぐぐぐぐ!」

 手を伝って重さがずしりと体に負担をかけてくる。

 これを持ち上げられているのはまさしく火事場の馬鹿力というものだろう。しかしながら、長く持ち上げられるだけの体力がさすがにない。

「吉祥! お前が行け。中に入って探してこい」

「ああ、わかった」

 吉祥は二つ返事ですり抜けるように部屋の中に入っていった。

 手の力を緩めて、瓦礫を床に下ろす。

「それにしてもやっぱりあちぃな……」

 手の甲で額の汗を拭ってもすぐに汗が噴き出してくる。サウナとは比べ物にならない。長くいたらすぐに倒れてしまいそうだ。まあ、煙が外に逃げて行ってる分、まだマシだったな。

「ふっ……ん?」

 吉祥の帰りを待っていると、全身に違和感が走り抜ける。

 不思議な感覚に陥って周囲を見渡すと、廊下の奥に不審な人影を見かけた。

「おい! そこで何をしている!」

 火が上がっているせいで顔まではよくわからないが、白色の無地のティーシャツを着た、背丈からして恐らく男であろう人物が、静かにさらに奥の方へと歩いて行く。

 方向的に、階段の方へ向かったのだろうか。まさか、他にも取り残されていた人がいたのか?

「……みしろ! 神代、返事しろ!」

「あ、ああ、わりぃ! ボーッとしてた!」

 吉祥の声を聞いた後には、そんな違和感はなくなってしまっていた。

「暑さにやられたのかと思ったよ。女の子は見つけた。もう一度これを上げてくれ!」

 先ほどと同じようにせーのの掛け声で瓦礫を持ち上げる。体力が残っているか少し心配だったのだが、思ったよりもすんなりとできて安心した。

「無事か?」

「まあなんとかな。あとはここから出られるかだ」

 煙を吸って体に負担をかけないようにか、全身をタオルで包んでいる。こういうときに限って気の利くヤツだ。隙間からは、少女の険しい表情が覗かせていた。

「こっちだ。足元に気をつけろよ」

 フロアの端にある階段まで駆けていく。


 ビキッ!


 途端に足元に嫌な感触が広がった。

「止まるな! 行け!」

 吉祥に背中を蹴飛ばされ、勢いのままに、間一髪“向こう岸”に辿り着く。

 もろくなった床は崩れ落ち、廊下のど真ん中に大きな穴ができてしまったのだ。

「ははは、こりゃ参ったな……どうする神代?」

 反対岸から、吉祥の渇いた笑い声が聞こえてくる。

「こうなったらしょうがねー。その子をこっちに向かって思いっきりぶん投げろ」

 オレは咄嗟にそんな提案をぶちまけていた。

「おまっ正気かよ!」

「ああ正気だ。その子を抱えたまま、これを飛び越えるのははっきり言って厳しい。だからまずはその子をこっちに渡せ。それしかない」

 我ながら無茶苦茶なこと言ってんな。

 迷っている暇はないと悟ったのか、吉祥の表情はすぐに切り替わった。

「わかったよ……。ごめんな、ちょっとだけ怖いけど我慢してくれよ……」

 小さな声でぽつぽつとそんなことを呟いたかと思うと、

「ちゃんと受け取れよ!」

 アイツの手元から、小さな体躯が放たれた。

 きれいな放物線を描きながら、吸い寄せられるようにオレの元へ飛んでくる。

「……ととっ、よしっ!」

 危なげなく少女をキャッチする。

「次はお前だ。思いっきり跳べ!」

「待ってろ……行くぞ――!」

 吉祥は狭い廊下でできる限りの助走をつけてから、一気に加速してこちらの岸に向かって跳んでみせた。

「うおおぉぉぉ!」

「手ェ出せ!」

 そのまま奈落に落ちそうになり、すんでのところで吉祥を捕まえる。

「危ねーな! 子供もオレも助けるとか吹いてたクセに足引っ張るんじゃねーよ」

「はは、マジですまん。助かったわ」

 『助かったわ、じゃないだろ』とつい口に出そうになったところを抑える。

 いかんいかん、今はそんな過去を思い出してる場合じゃねーんだ!

 穴の下を覗くと、めらめらと燃える火の海が目に焼き付いた。

 あの中に吉祥が落ちていたらなんて、想像でもしたくはない。

「行こう」

「ああ」

 オレと吉祥はなんとかビルからの脱出に成功した。

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