8 女勇者は時の勇者の想像を超える

 アダルジーザ・アカシア──


 神速の女勇者、孤高の女勇者、謎の赤き女勇者など数多くの二つ名が存在する勇者だ。


 女性の勇者が誕生することは稀であることから、勇者の前にと付けられるのだが、アダルジーザの場合は少し違う。


 アダルジーザは女性でありながらも、歴代の勇者の中で段違いの強さを誇っていたと言われているため、女という言葉に強い畏敬の念が込められているのだ。


 世界各地でアダルジーザの逸話が語り継がれているが、彼女が若干十六歳の若さで魔王を討伐したこと、そしてその討伐までに要した期間がたったの一年半であったことは有名な話だ。


 彼女が行方をくらました後、古今東西の勇者がこの記録を破ろうと挑んだらしいが、後にも先にも破ることはできていないそうだ。

 逆に未熟なまま挑んだせいで、魔王勢に返り討ちにあって敢えなくお陀仏──という情けない勇者の話が残っているぐらいだ。その場合は勇者ではなく、愚者とでも言うべきかもしれないが。


 アダルジーザがどうやってこの驚くべき偉業を成し得たのか、それに関してはいろいろな文献が残っている。


 並外れた膂力りょりょくに知力、神をも恐れぬ胆力、そして尽きぬ探究心と行動力、どの文献にも異口同音の記載がある。

 しかしこれぐらいの資質であれば、歴代の勇者だって持ち合わせていたはずである。この僕だって文献に記載されているレベルであれば簡単にこなすことができる。


 では、アダルジーザと歴代の勇者では何が違うのか。僕はこう見ている。


 彼女は生まれながらに稀有な特殊能力を持っていた。もしくは幼少期にそれを何らかの方法で得た。 

 それは桁外れの破壊殺傷能力で、彼女は若くしてその能力を使いこなしていた──


 そう考える根拠がいくつかある。


 まず一つ目はアダルジーザの戦闘の痕跡。

 彼女が戦った跡には必ずと言っていいほど、血の海が広がっていたという。

 苛烈で規模の大きな戦闘であれば血の海なんて特に珍しくもないのだが、おびただしい血が残っていたそうだ。尋常ではない力が行使されたとのではと考えてしまう。

 

 二つ目はアダルジーザの装備。

 彼女の容姿が描かれた史料や彼女の栄光を讃えた彫像などを見るに、彼女の装備は質素な薄手の革鎧とどこにでもありそうな短剣のみ。

 あのような軽装備だけで強大な魔王の軍勢を打ち破ることはいくらなんでも不可能だ。ましてや一年半でなんて。経験者の僕だからこそ断言できる。

 あの短剣に何か不思議な力が宿っていたとすれば話は別だが、何か天賦、天恵の力があったと考える方が自然である。


 三つ目の根拠はアダルジーザが単独行動に徹していた点だ。

 あれほど多くの逸話が世界中に転がっているというのに、そのどこにも彼女の戦う姿が残っていない。つまり、彼女の戦闘を見たことのある者がいないということである。

 彼女は神の加護を一切受けず、仲間も頑なに作らなかったらしい。己の力のみで悪の軍勢を打ち破ったことは賞賛に値するが、しかしそれがかえって奇妙に思えてしまう。

 

 彼女の特殊能力と単独行動には何か関連があるのではなかろうか。人には決して見られたくない恐ろしい特殊能力、それが天涯孤独であった理由と思えてならない。


 そして四つ目、それは僕に生まれながらに備わっていた特殊能力。これこそが最大の根拠である。

 この天恵の能力の存在が、アダルジーザにも何か特殊能力があったと訴えているのだ。僕の能力と彼女の能力は──

 

 

『──ウヤ、ねぇボウヤ……聞いてる?』


 耳元で優しく語りかけてくるようなアクィエルの声。僕は少し散漫になっていた意識を研ぎ澄ます。


『あ、ああ……悪い。アダルジーザのことを少し考えていた。その秘密とやらを教えてくれ』

『わかったわ。人間には決して言いたくなかったことだけど……ボウヤのお願いなら仕方ないわね』


 人間に言いたくなかった経験か。この武器化の能力を行使しなければアクィエルから一生聞けなかったかもしれない。

 この能力は情報を聴きだすという便利な使い道もあるのだ。


『数百年前、あの娘が突然このヘカトに現れたの。それまで人間がやって来れるなんて考えたこともなかったから驚いたわ』

『やはり、アダルジーザが人類初のヘカト到達者だったんだな』

『ええ。でも、もっと驚いたのが……あの娘が当時の魔王と一緒にやってきたってこと』

「なんだって!!」


 思わず声に出してしまった。生体オブジェたちがいっせいにビクッと揺れた。


『魔王と一緒だったとは……そうか、そういうことか』


 アダルジーザがここヘカトへ到達できたのは魔王の力があったから。そして魔王討伐が異常なほど早かった理由は、

 謎が次々と氷解していく。しかし、まだいくつかの疑問は残る。


『なぜアダルジーザは魔王を討たなかったのだ? いや、魔王はなぜアダルジーザをここへ連れてきたのだと聞いた方が良いか』

『魔王が……あの娘に恋してしまったの。だからあの娘の言いなり。ヘカトへ連れて行ってと言われたのでしょう』


 悪魔や化け物と人間が恋に落ちたり、子どもを作ったりする話はよくあることだが、まさか魔王が勇者を……


『アダルジーザが魔王を手玉に取ったということか』

『そう。魔王が恋の奴隷なんてあり得ない話。冥界側の者にとっては屈辱的な出来事だったわ』


 アクィエルの沈痛な気持ちがひしひしと伝わってくる。よっぽど嫌な経験だったのだろう。


 邪神が送り出す代表が魔王であり、女神が送り出す代表が勇者である。

 その両者の代表同士が手を組み、冥界側にやってくるなんて想像だにしなかったろう。それも魔王が勇者に惚れてしまうなんて、筆舌に尽くしがたいものがあったと推測できる。


『アダルジーザの目的は?』

『もちろん、この冥界の制圧。あの娘、言っていたわ。この永遠と繰り返される不毛な神々の争いに終止符を打つと』


 数百年も前に僕と同じような考えに至っていた勇者がいたとは。少し感慨深いものがある。


『私たち冥界の表層の住人はなす術もなく、あの娘の言いなりになった。だって魔王があの娘に肩入れをするのですもの』

『魔王はそこまでアダルジーザに惚れていたのか?』

『ええ。でもボウヤ、一つ勘違いしているわよ』

『何が言いたい?』

「!!」


 想像を超える事実の連続に驚きを隠せない。勇者と魔王がこのようなことになっていようとは。女神たちは一体何を思うのだろう。

 そう言えば、女神たちが不気味なほど静かだ。アマテラスが文句を言って騒ぎだしそうなものだが。


『……続けてくれ、アクィエル』

『ボウヤは女が女を愛することに興味があるのかしら? だったら私の奴隷同士でヤらせてみたら? 標本コレクションには可愛い娘がいっぱいいるわよ』

『いや、悪いが興味はない。驚いて叫んでしまったのは僕の想像力の未熟さゆえだ』

『ふぅん、まぁいいわ。興味が湧いたらいつでも言ってくれていいのよ』

『ところで、二人はその後どうなったのだ?』


 アクィエルの挑発を無視して話を元に戻す。

 

『あの娘と魔王は破竹の勢いで冥界の浅層までを掌握していったわ』

『冥界の浅層──』

『冥界の構造を知らなくて?』

『ああ、ヘカトがその入り口ということまでしか知らない』

『話が長くなるから、それは別の機会に教えてあげる。まずは二人のお話でしょ?』


 冥界の構造にも興味はあるが、確かに今は二人の話が先だ。僕は黙って頷いた。


『浅層からさらに深い位置にある中層へ潜る際にあの娘は倒れたの。邪神の一人、エレシュキガルのばら撒く死の疫病で。魔王は瀕死のあの娘をヘカトへ連れ帰り、必死で看病した。その時に私へ命じたわ、あの娘を絶対に死なせるのではないと。でも私はあの当時、まだ駆け出しのネクロマンシーだった。死者のことはよくわかっていたけど、生者のことは詳しくなかったの。だから──』

『君はアダルジーザを一度死なせ、死者として治療したとか?』

『ううん、違う。あの娘の身体を蝕んでいた疫病は死者の身体さえも蝕む強力なもので、あの娘を死者にしたとしても手の施しようがなかったの』


 各種耐性を持っていたであろうアダルジーザの身体でさえ蝕み、死に至らしめる疫病。冥界には想像を絶する危険なものが存在するということを肝に命じておかなくてはならない。


『だから……私は魔王を死なせ、その身体にあの娘の魂を宿らせる手術をしたの』

『魔王を死なせただって? 君はそれを許せたのか?』

『許せるわけないじゃない! でも……あの魔王が……自分の身体にあの娘の魂を宿らせてくれって……毎日、毎日……懇願してくるから……』


 アクィエルの声が途切れ途切れになる。相当辛い記憶なのだろう。


『魔王は自らを犠牲に……そこまでしてアダルジーザを救いたかったというのか。何という……』


 魔王の愛情が邪神の意志を超えたのだ。心が揺さぶられて、言葉がなかなか出てこない。


『あの娘は手術後ずっと眠り続けていた。魂が魔王の身体に馴染むのに時間がかかったのね。でも百年ほど経ったある日、突然目を覚ましたと思ったら何も言わずに旅立ってしまったわ。それっきり数百年、一度も会ってない』

『なるほど、僕の予想とは違うかたちだが、彼女は生きているのだな。魔王の肉体という不老の鎧の中で……』


 実は、アダルジーザがアクィエルの標本として残っていれば、武器化してしまうつもりだった。僕と同じように特殊な力を持っていると思われる彼女の力が欲しかったのだ。それに武器化さえしてしまえば、について解き明かすヒントも聞き出せるであろうとも考えていた。


 しかし、生きているとなれば話は別だ。直接会って色々聞いてみたい。決闘を申し込んでみるのも良いかもしれない。

 アダルジーザ、君を必ず探し出してみせる。



 僕は建物を出ると、漆黒の本を意識の中にそっとしまった。

 背後で建物、いや死体が崩れていく音が鳴り響いた。それは死体の悲鳴とも取れる音だった。


 僕はこの武器を「死者の愚弄」と名付けることにした。

 

 

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