7 勇者は死者を愚弄する

 部屋の中には老若男女の人間のやおぞましい拷問器具が整然と置かれていた。

 壁際の棚には何の臓器か判別のつかないものが瓶づめにされ、所狭しと並んでいる。奥には解剖途中の子供の遺体のようなものが横たわった実験台がある。


 この悪趣味な部屋の持ち主の名はアクィエル。

 死体をこよなく愛す死体愛好家ネクロフィリアであり、生身の肉体の研究に明け暮れる生体愛好家バイオフォリアでもある。僕が見てきた中でも、他に類を見ないほどの筋金入りのネクロマンシーだ。


「相変わらずなのは君もだろう。また標本コレクションが増えているではないか」


 僕はアクィエルの部屋を見渡しながら答えた。

 標本がというのは誇張ではなく、事実だ。生体と死体の標本が様々な姿勢で絡み合い、オブジェを形成しているのだ。彼女いわく、人間の生死を表現した芸術らしい。

 アクィエルは死体を意のままに操る能力はもちろん、死体を生体に変換する特殊能力まで持ち合わせているのだ。


「ボウヤと魔王の戦いのお陰よ。人間界で死者がどんどん増えてくれて大助かりだわ」


 僕が魔王を討伐したことはまだ知らないらしい、これは好都合。ヘカトの住人は魔王側の存在、気づかれては厄介である。


「皮肉が上手だな。ところで、死体を生体変換する研究は首尾よくいっているのかい?」


 僕はそれとなく話をつないだ。


「ううん、だめ。私が造った生体には本物の魂が宿らなくてつまらないわ。素材のせいね。ボウヤのような素材だったら、もしかしたらあの時みたいに……」


 アクィエルは四つん這いの女から立ち上がり、僕に近づいてきた。

 ウェーブのかかった紫色の髪をかき上げ、艶めかしい脚線美を見せびらかすように歩いてくる。

 太もも部分から胸元まで包帯のようなものをぴったりと巻いただけの格好をしているので、女独特のしなやかなラインが引き立って見える。


 アクィエルのはおそらく二十代半ば。

 彼女が人間界にいたら、その究極の美貌に惹かれて馬鹿な男どもが群がってくるであろう。彼女の特殊能力で瞬く間に生きる屍と化してしまう末路が待っているとも知らず。


「アクィエル、聞きたいことがあるのだが」

「人の部屋の扉を蹴破っておいて、どの口が言っているのかしら」


 半開きの唇に人差し指をあてながら、舐めるような目線を送ってくるアクィエル。


「前にも言ったけど、君の〈死してもなお奴隷エターナルスレイブ〉は僕には効かないぞ」


 アクィエルの真紅の瞳を見つめ返した。即死耐性を持たない者はこの瞳を見るだけで死者となり、永遠に彼女の奴隷となってしまう。


「その目……取り出して舐めまわしたくなるわ」


 この変態の戯言に付き合っている暇なんてないのだ。こうしている間に僕が魔王を討ったことに気づいてしまうかもしれない。


「単刀直入に言う。君の持つ標本コレクションを見せて欲しい」

「何か理由ワケありのようね。それとも何かの悪巧みかしら? 取り敢えず、私のメリットを聞かせてくれない?」

「レアものの死体を渡すとでも言えばいいのか」

「よくわかってるじゃない! さすがボウヤ。でも……私の要求レベルが高いことは知ってるでしょ? 少なくとも、そこに四つん這いになっている女以上の品質は要求させてもらうわよ」

「その女は──」

「一国の王女よ、それも処女。服毒自殺者だから身体はとても綺麗なまま」


 アクィエルの椅子と化したその若き王女は、恍惚な表情を浮かべたまま主人アクィエルを見つめている。その姿からは王女としての威厳なんて微塵も感じることができなかった。

 王女が若くして亡くなったことには憐れみを感じるが、目の前にいる王女肉の塊には何も感じない。あれは魂の宿らないただの若い女の身体、それ以上でもそれ以下でもない。


「生きのいい生身の人間を何体か連れて来てくれてもいいのよ。前にボウヤと一緒にいたあの美しいエルフ──あの娘なら言うことないわ」

「……」

「あら、何か気に障ることでも言った?」


 僕は何も言わずにアクィエルに歩み寄った。彼女の口から漏れる即死効果のある〈甘美な吐息デス・サイ〉がひしひしと伝わってくる。


「僕の身体に興味はないか? 君の実験に付き合ってやってもいいぞ」


 アクィエルの瞳がとろける。


「ああん、いいの? ボウヤの身体で遊べるなんて……信じられない。すっごく興奮しちゃう」


 アクィエルは下腹部に手をあて、内股をもぞもぞとこすり合わせる。

 僕は右手でアクィエルの頰をそっと撫でた。冷んやりとしているが、柔らかくて弾力のある女の肌。


「ああああ、ボウヤ、貴方の身体が欲しい! 欲しいぃ!」

「僕も君が欲しい」

「くふぅうん、興奮するぅぅうう」


 アクィエルの指が下腹部の濡れた包帯の隙間にぬるりと滑り込む。

 僕はここぞとばかりに叫んだ。


「〈万物武器化〉」


 黒い瘴気の渦がうっとりとした表情のアクィエルを包みこんでいく。

 

「ボ、ボウヤ……こ、これは──」


 瘴気はアクィエルの言葉を待たず、彼女を搔き消した。そして、その瘴気は僕の手中に吸い込まれるように集まり、徐々に何かを形成していく。

 僕の手のひらに現れたのは、不気味な紫色の煙が立ち昇る漆黒の本であった。異様なほど冷たい。


 アクィエルの声が頭の中に響いてくる。


『──こういうことだったのね。ボウヤにまんまとしてやられたわ』

『悪いな、アクィエル。こうでもしないと君は言うことを聞いてくれないだろう?』

『あら、そんなことないわよ。ボウヤの身体で自由に実験をさせてくれてたのなら、言うことを聞いてあげたのに』

『身体の自由を奪い、口を聞けなくして奴隷化してしまうつもりじゃなかったのか?』

『うふふ……どうかしら。でもこの状態もいいわぁ。とても居心地がいいの』

『それは良かったな。それよりも僕の問いに答えてくれないか?』

『ああん、焦らないで。まだこの快感の余韻に包まれていたいの……ボウヤと一緒になったとき、気持ちよすぎてイッちゃったんだから……』


 僕は一人で肩をすくめた。

 

 静まり返ったアクィエルの部屋を見渡すと、四つん這いの王女、奇妙なオブジェたちが寂しそうにたたずんでいた。

 ふと、四つん這いの王女と目があったような気がした。よく見ると、彼女はその虚ろな瞳で僕を見つめていた。座って欲しいと言わんばかりに。

 王女の椅子にそっと座ってみた。包み込むような柔らかさに驚いてしまう。王女の背中をつつぅと指先でなぞると、「あはぁ」と艶かしい吐息のような声を漏らす。


『ボウヤも好きねぇ』

『もういいのか?』

『まだビクビクしてる感じがする。ボウヤのテクニック……これで何人イカせたのかしら?』


 女神たちがざわついた気がした。


『その話はいい──』

『待って!』


 本をしまおうとすると、アクィエルが突然大きな声を出した。どうしたというのか。


『私をしまわないで。ここが崩れちゃう』

『どういうことだ?』

『私──魔法書スペルブック──を出している限り、ボウヤは魂の抜け殻となった肉体を自在に操れる。でも一旦しまってしまうと、操っていた肉体が消滅してしまうの』

『つまり……君が死者で造ったこの建物が崩れてしまうということか』

『ええ、その通り。察しがいいのね。ボウヤのお尻の下の娘も当然消えるわ』


 本をめくってみた。そこには数々の死体がその死因と共に載っていた。僕の椅子になっている王女や先ほどの巨漢、この館を形成する死屍累々の屍、そしてあの肉団子も。


『私に載っている者は全て私が生涯で集めた標本コレクションよ。ボウヤはそれを自由に召喚し、奴隷のように操れるわ。私の標本を見たいって言ってたボウヤの願いを結局叶えたことになるわね』


 僕はアダルジーザの名前を懸命に探した。


『何を探しているの?』

『……』

『ねぇ、お願い。教えて』

『アダルジーザ』

『……あの女勇者ね。残念だけど、私には載ってないわ』

『君の標本にあると予想していたのだが、どうやら外れたようだな……』


 アクィエルは数百年ヘカトに住んでいると言っていたので、アダルジーザと面識があってもおかしくない。

 冥界でアダルジーザの行方がわからなくなったのは、アクィエルの仕業──つまり、アダルジーザはアクィエルの標本として保存されているかもしれない──と踏んでいたのだ。


『ボウヤ、そんなにもあの娘のことが知りたいのね。いいわ、教えてあげる。人間には決して伝わることがなかった秘密を』

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