6 神を滅ぼす勇者、それを助ける女神

 空は暗い雲に覆われ、星や月のように灯りとなるようなものは何一つとして存在していない。

 足元には黒い霧が吹き溜まっており、歩くと生き物のようにまとわりついてくる。

 存在する色が黒色と灰色だけになってしまったかのような街の景観。


『こんな穢れた街なんて跡形もなく焼き払ってしまいましょう、勇者』


 街外れの隠れ家を出てからというもの、アマテラスが文句を垂れ続けている。


『もういい加減、静かにしてくれないか?』

『この狂気と怨念の渦巻いた雰囲気……勇者は平気なのですか?』

『いろいろなところを冒険してきたからね。これぐらい平気さ、慣れているよ』

『私なんて心までも毒されてしまいそうです。ああ……ここに燦々さんさんと輝く太陽を出現させたい』

『あっ勇者くん、あれ!』


 セレネーがいきなり大声を出した。耳は全く痛くないのだが、その分頭にガンガンと響いてくる。


 あまり舗装のされていない石畳をフラフラと歩いてくる女がいた。

 その女の首は捻じ曲がり、明後日の方向を向いている。おまけに手足もあり得ない方向に折れ曲がっている。


『転落死した者だな。飛び降り自殺か、それとも……』


 その女は僕のことを一瞥して、そのまま歩いて行ってしまった。


『うわぁ、すっごいとこだね。あっちにもこっちにも変なのがいっぱいいるよぉ。化け物の街だね』


 ヘカトの街の中心部に近づくにつれ、異形の者の数がどんどん増えてくる。

 脳みそや内臓が飛び出している者、溶けた蝋人形のようになっている焼死者であろう者、今にも爆発してしまいそうなほどに膨れ上がった水死者と思われる者。

 死という現象に慣れていない一般の人間では目を背けたくなる阿鼻叫喚の光景が続く。


『あ、見て見て。犬が人間を散歩させているよ』


 頭部だけがげ替わってしまっている人間と犬がいた。つまり、胴体は人間で頭部が犬の方が、胴体は犬で頭部が人間の方を散歩させているのだ。


 このように複数の魂が干渉し合って異形の者になる場合もあるのだ。

 その中でもびっくりするのが、「歩く肉団子」という化け物だ。何十人もの人間が原形をとどめないほどにもつれ合い、無数の手足を器用に動かしてヘカトの街中を転げ回っている。

 肉の塊が転がるのがおかしくて、僕が「歩く肉団子」と命名してケラケラ笑っていた傍、マリユスは嗚咽を漏らしながら嘔吐していた。相当気持ち悪かったのだろう。


『なんとおぞましい場所なのでしょう……』

『ほんと、まさに冥府の入り口だね』


 女神たちが驚くのも無理はない。ここヘカトはあの世とこの世の境目で、無念の死を遂げた者の魂が辿り着く場所。行き場を失って永遠に彷徨い続けることになった魂たちが作る巣窟なのだ。

 何の因果かわからないが、その哀れな魂たちは死の直前の肉体をここでもう一度形成して、生前と同じような生活を繰り返している。


『あの死者たちから勇者はどのように見えているのですか?』

『僕も奴らの仲間のように見えているのだろうね。死神の香水のおかげさ』


 ヘカトの街を歩く時は必ず、死神の香水を身体にふりかけている。初めてこの街に入った時に味わった痛い経験からの教訓だ。


 初めてヘカトにやって来た時は大変だった。街は光の存在を許さず、真っ暗闇。その中を無数の亡者どもが蠢き、ひしめき合っていた。

 視界が全くない中、次々に湧いては襲いかかってくる奴らに悪戦苦闘した。結局、徹底することを決意し、命からがら逃げ延びた。


 その後、ロシュがヘカト攻略用に開発したのが死神の香水である。

 香水の効果によって、身体から放たれる生者独特の光を遮断し、死臭を漂わせてくれる。また、暗黒水晶ダーククリスタルの効果を逆手に取って、暗闇を暗視できるような効果も併せ持つ。


 つまり、今の僕は死者と同化している状態なのだ。さもなければ、奴らに見つかって瞬く間に囲まれているだろう。


 僕は死神の香水の効果について、女神たちに一通り話してやった。


『暗闇でも光の中のように活動でき、そして亡者に溶け込むことができる効果を持つ香水か、すごいねぇ』

『そのような香水があったなんて、知りませんでした』


 超高度な魔術や錬金術に長けたロシュじゃないと絶対に作れなかったであろう代物。世には出回らず、女神たちが知らないのも当然だ。

 死神の香水を見せびらかすロシュの顔が思い浮かぶ。


『ここには死者の魂しか存在しないのですか?』

『いや、そんなことはない。感じないか、アマテラス?』

『……悪魔ですね』

『ああ。ここは冥府側からいくらでも悪魔がやって来られる場所だからね』

『勇者、私を召喚してください。危険です』

『心配しなくていい。ここの奴ら程度なら、この背中のリベリオンだけで何とかなるさ』


 アマテラスがまた文句を言い始めた。セレネーもそれに加勢してくる。二人は心配で仕方ないらしい。


『女神たちよ、聞いてくれ。僕には。僕はそれを叶えるまでは絶対に死なない』


 強い意志を込めて言った言葉に、女神たちは少し驚いたようだ。黙って聞いてくれている。


『表の世界──僕たちがいた世界ではアテナの陣営が支配権を持ち、この後百年はその力を存分に発揮するだろう。女神を裏切った僕がどのような扱いになっているかわからないけど、おそらく表の世界に僕の居場所はないと思う。それは君たちの方がよく知っているはずだ』

『ええ……勇者の言う通りです。根も葉もない噂を流布され、それが都合の良い真実となっていくでしょう』


 アテナが得意とする堅実な手だ。

 ふと、魔王城に置いてきた天照あまてらすの土産がどうなったのだろうと頭をよぎったが、今は考えないことにした。


『そして今いる裏の世界──冥府では魔王が倒されたことの影響を受け、その力が百年の間弱体化するのは間違いない。つまり、こちらの世界の方が僕にとって都合の良い世界になりつつある』

『でもでも……魔王を倒した勇者はこの裏の世界でも追われることになるよね?』


 セレネーの言うことはもっともだ。今頃、魔王の背後に君臨する邪神たちが血眼になって僕を探していることだろう。

 もうすでに追っ手を差し向けているかもしれない。もしかすると第二の魔王だって……


『ああ。だからこそ、君たちにもらった「武器化の能力」を駆使しなくてはならないんだ。この冥界でこの能力の全容を解き明かし、最大限活用できるようにしておきたい。そして──表、裏両方の世界の神々を始末する! この力があれば決して不可能ではないはずだ』


 静まり返る僕の頭の中。

 

『セレネー、アマテラス、協力してくれないか?』

『勇者……』

『勇者くん……』


 表、裏の世界ともに僕の想像を超える数多の神々が存在するだろう。魔王をはるかに凌駕する危険な奴等が巨万ごまんといるだろう。女神たちもそのことは理解している、だからこそ心配してくれているのだ。

 

『勇者くん、私たちは貴方の忠実な武器だよぉ。貴方のためなら何だってするわ!』

『そうです、勇者リュカ。貴方の敵は私たちの敵、今まで仲間であった神々だって例外ではありません。破滅させてやりましょう。冥界の神々なら尚更です!』


 素直に言うことを聞いてくれた。これも武器化の能力の一つで、指示すれば何でも従わせることができるようだ。


『女神たち……ありがとう。危険だと思ったら君たちの力を惜しみなく借りるから安心してくれ』


 女神たちが頭の中で喜んでいるのがわかる。


『魔王が倒されたことが知れ渡る前に行きたいところがあるんだ。そこにアダルジーザがいるかもしれない。彼女に会うことができれば、この武器化の能力を強化できる可能性がある』

『わかりました、もう文句は言いません。貴方に従います。早くそこへ行きましょう! でも、油断は禁物です。くれぐれも悪魔たちには気をつけてください』

『アダルジーザちゃんがなぜ今も生きてるのとか、なぜ勇者くんの能力が強化されるのとか、聞きたいことがいっぱいあるけど、我慢する!』


 一転、従順な態度に変わった女神たちに苦笑いを浮かべながら、僕は目的の場所へと向かう足を早めた。



 街の中心部を通り過ぎると、大きな時計台が見えてくる。その時計盤は前に来た時と同じ時刻を指していた。この世界では永遠に同じ時間が繰り返されているのだ。


 僕は時計台の建物の正面に立つと、髑髏しゃれこうべのような形のドアベルを鳴らした。静寂の夜に響き渡る奇妙な音。


 しばらくするとドアがゆっくりと開いた。そこから現れたのは目も口も縫い合わされた哀れな巨漢だった。その巨漢は顎で僕らを建物の中へ誘導した。こいつはこの建物の主人の召使いだろう。


 巨漢の召使いは巨大な鉄球の繋がった鎖を引きずりながら殺風景な廊下を歩き出した。僕は黙ってその後を付いていった。

 しばらく歩いていると、目の前を歩いていた巨漢が突然トポンと廊下に沈んで見えなくなってしまった。


『勇者くん──』

『大丈夫だ、。これがこの建物の主人の能力さ』


 この建物の素材すべてが死体。そう、この建物の主人は死体を自在に操ることのできるネクロマンシーなのだ。

 僕は巨漢の召使いが消えた床を思いっきり踏んづけた。


 廊下の突き当たりには何体もの骸が絡み合ってできている扉があった。ここが主人の部屋だ。

 躊躇なしにその扉を蹴飛ばし、粉々に破壊してやった。怨霊のような煙が床に渦巻く。


「相変わらず乱暴なボウヤねぇ」


 部屋の奥から聞こえてくる艶かしい声。

 粉砕された骸の残骸をさらに踏み砕きながら部屋へ入っていくと、煙の向こうに人の姿が見えた。


「あーら、今回はお仲間さんはいないの?」


 そこには四つん這いになった女に平然と腰掛け、舌なめずりしながら僕を見つめる美女がいた。

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