第21話

 神佐真夜(かみさ・まよ)はすでにボロボロであった。


 貧相な身体に不相応なレディーススーツは所々ほつれ、黒いタイツはいたるところが伝線して白い素肌が見えている。濡鴉のような黒髪は埃や煤にまみれてゴワゴワになっていた。それでも彼女はイコの前に立ちふさがった。


 イコの跡を追って塔から慌てて駆けつけたせいで息は乱れ、肩は激しく上下している。彼女の周囲には現地人が百人ほどいるがその彼らとて大小の傷を負っている。武器も剣や槍、弓と言った原始的なものばかりだ。彼らが魔術と呼ぶ能力にしても程度はしれている。


 イコは結論づけた。驚異になり得るのは二人だけだ。神佐真夜と皇帝を名乗り、空間転移装置を持つセシリア・ルークラフトである。もっとも彼女は神器(空間転移装置)の使い方を間違っているため、対消滅で得た膨大なエネルギーのうちかなりが無駄に浪費されている。


 つまり、彼女らはイコの脅威にはなりえない。

 それなのに彼女の眼前に立ちふさがった神佐は笑っていた。イコよりも自分が明らかに優勢であると言いたげな不敵な笑みを彼女は理解できなかった。


「神佐真夜。この人類なき世界でなぜ私を止めるのですか。この世界を綺麗にしたうえで人類を転移させる。それがもっともよい方法であるはずです。それともあなたはこの世界で人類と現地人が殺し合う姿が見たいというのですか?」


 イコは知っている。人類という種がいかに利己的かということを。

 かつてアメリカ大陸に発見した人類は、同じ人類であるはずの人々を殺し隷属させた。また、自分たちに利益をもたらす獣は家畜として繁殖させる一方で、害をなすものは害獣とされて絶滅させた。そんな人類が新たな世界で現地人と争いを起こさずにいられるわけがない。


「イコ。私の後ろには誰がいる?」


 神佐は片手を伸ばして尋ねる。

 彼女の背後に目を向ければ、神佐がエリックと呼んでいた青年も不死者の王と戦い続けていた傭兵や魔術師もいる。彼らは自分たちの皇帝が勝てなかった相手を目にしているというのに怯えたり、嘆く者はいなかった。


「現地人が百人程度いるようですが、それがどうだというのですか。現地人が私の脅威にはなりえません」


 イコは下を向き、わずかに溜息をついた。それから目にかかっていた黒髪を整えると神佐をじっと睨んだ。


「私は彼ら――現地人と争っていない。仲間として手を携えてここに立っている。これはイコの前提に反している。つまり、イコが考える方法が最適解というにはまだ早いんだよ」

「なるほど、神佐真夜。あなたは人類が現地人と共生できる可能性がある、という。しかし、それは神佐真夜、という個人のサンプルに過ぎない。共生できる、という結論を得るには情報が不足している、としか言えません」


 そう言って彼女は首を左右に振った。神佐の右腕が妙に下がっていることに彼女は気づいていた。脱臼した神佐の右腕は治っていない。骨を戻しただけだ。腕をまともに使えない彼女がここにのこのこ現れた理由もありえない議論をふっかけてきた理由もイコには理解できた。


 神佐は時間を稼いでいるのだ。

 右腕が使えない彼女は神器の持ち主であるセシリアにかけるほかない。しかし、そのセシリアは特火点群(ピルボックス)からの砲撃で傷ついている。


「それなら、イコ……」

「神佐真夜。見苦しい真似はやめてください。勝敗はついています。あなたが期待を掛けるそこの皇帝も虫の息です。次に特火点群(ピルボックス)から砲撃を行えば、あなたのいう仲間も皇帝も吹き飛びます。時間をいくら稼いでもそれは変えようがありません」


 そう言うと、イコは彼女の優位に灰色の円形トーチカを生み出した。いくつものトーチカが連なる姿はまるで巨大な城塞のようであった。ポッカリとあいたトーチカの開口部からは巨大な砲塔が神佐たちに向けられていた。


「イコ。あなたの砲火は私に届かないんだよ」


 神佐はそういうと最初から全く変わらない。彼女の不敵な笑みはイコをいらいらさせた。


「分かりました。あなたを破壊します。特火点群(ピルボックス)砲撃開始」


 イコが命じると数十の砲塔が火を噴いた。これらの強力な火力は神佐の小さな身体ごと現地人の群れを一掃する。爆ぜる火薬に飛び交う鉄片は嵐となるはずだった。


『四方を囲う黒鉄よ、我が身、我が友を守れ』


『水を捉えて形ずく、灰を土を砂を巻き込みて岩となせ』


 複数の詠唱によって生まれた青白い光は一瞬にして神佐の周辺に鉄筋コンクリートの壁を何十枚と作り上げていた。その巨壁は榴弾に直撃を受けても倒れたり、大穴を開けることはなかった。コンクリートの中に塗り込められた鉄筋が衝撃からコンクリートを守っている。


「死ぬかと思ったけど、魔法でも鉄筋コンクリートできたんだね」


 神佐は痛む右腕を押さえて言った。


「神佐! 大丈夫ですか?」


 エリックは彼女のもとに駆け寄る。その表情は心配で染め上げられており神佐は少し困惑した。


「大丈夫に決まっているんだよ。私が考えてエリックたちが魔術で作った。そう簡単に潰れはしないさ」

「登頂者の塔の基礎と同じ作りとは言え、魔術でできるとは思いませんでした」


 エリックは打ちっぱなしのコンクリートを手で叩きながら言った。


「でも、ここからが本番だよ。イコは榴弾に効果なしと見ればさらに脅威判定を上げて強力な武器を生み出すはずだ。次あたりは誘導弾群(ミサイルズ)、といったところかな」

「ジョー、悪いけどお前にはまた貧乏くじを引かせるな」


 エリックは申し訳なさそうな顔で友人の顔を見た。ジョエル・イーサンは「まったくだよ。もう俺たちも限界なんだぜ」、とうそぶくと王立学術院の魔術師たちにいくつかも命令を与えた。彼は不満を口にしたが表情は暗くない。


「エリック。お前も気をつけろよ」

 ジョエルはエリックの腰を平手で叩くとニカリ、と微笑んだ。そして魔術師たちと合流すると声を張り上げた。「さぁ、お前たち皇帝臨御(りんぎょ)の大一番だ。学術院の力を見せてやろう」、と言った。


 声を聞いた魔術師らはジョエルやエリックに文句を言いながらも命令を拒むことはしなかった。


「あー、もう辞めてやる。これが終わったら学術院から去ってやる」

「給料分以上に働かされてるよな俺たち」

「土木作業するために魔術師になったんじゃないんだけどな」


 彼らは文句を動力源に灰色の壁が乱立するコンクリートジャングルへと姿を消した。


「エリックにそこの女。余は別に助けれずともまだ戦えたぞ」


 へそを曲げた不機嫌な顔でセシリアはエリックと神佐を見た。それは子供が見栄を張っているようだったが、どこか嬉しそうな雰囲気でもあった。


「そう? マジカルカイザーちゃんはピンチに見えたけどなぁ」

「そもそも、エリックこやつはなんだ?」


 セシリアは不満を顕にして神佐を指差す。エリックが異世界から来た人間ですとも言えずにもごついていると神佐が口を開いた。


「私は異世界からやってきた天才美少女で神佐真夜なんだよ」

「……もうよい! 神佐! 何か策があるのであろう。のってやろう皇帝である余の懐の深さに感謝してむせび泣くが良い」


 セシリアは神佐と同じくらい薄い胸を張って見せた。一方、傭兵団たちもコンクリートの戦場を動き始めていた。


「とにかく死ぬんじゃねぇぞ。攻撃したら逃げる。これの繰り返しだ」


 アルフレッド・アクロイドが熱っぽく部下である傭兵たちに言い含める。傭兵たちはそれを神妙な顔であるいはにやついた顔で聞いた。彼らのなかにはすでに傷ついているものも少なくない。だが、彼らは張り切っていた。


 敵は強大。そのうえ未知の武器をつかう、となれば士気は下がるものだ。

 しかし、彼らの士気は逆に最高潮にまで達している。脅威は神佐とセシリアだけだと思い込んでいるイコに自分たちが一矢報いる。これほど痛快なことがあるだろうか。


「じゃーやりますか。団長」

「魔術師の連中も限界が近いぱっとやってしまいましょうや」

「そういうことを言ってる人から死ぬんですよ。知ってます?」


 どうにもまとまりがない、と頭痛の種である団員たちがいまは心強く見える。アルフレッドは自分が弱気になっているのかと思った。だが、すぐに考え直した。団員たちはああ見ても死線を越えてきた。頼りないわけがないと。そして、それは塔を一緒に登った学術院の魔術師。エリック。そして神佐もそうである。


「よし、おめぇら。いっちょやってやろうぜ!」


 傭兵たちは駆け出した。


 同じ頃、イコはさらなる攻撃を考えていた。特火点群(ピルボックス)の砲撃が鉄筋コンクリートの壁に遮られた。それは神佐の入れ知恵によるものであることは疑いようがない。ならば、この巨壁をも打ち破る攻撃を行えばいい。


「攻撃手段を変更。貫通力に特化。誘導弾群(ミサイルズ)を成形炸薬モードにて展開」


 イコの周辺に展開されていたトーチカが崩れ落ちる。同時にいくつものミサイルポッドが彼女の周囲に生み出される。それらは先程まで神佐たちがいた周辺に向けられる。そして、「撃て」、というイコの言葉と同時にすべてのポッドからミサイルが飛び出した。


 飛び出した弾頭は、榴弾では貫通することができなかった鉄筋コンクリートの壁を次々と貫いた。もし、神佐や現地人が壁の後ろに隠れていれば衝撃によって簡単に肉塊に変えてしまうだろう。イコはそれを承知した上で乱射とも言える間隔で撃ち続けた。


 崩れ落ちた壁の先に人影が見えた。


「自分が優勢だと思っている割には力任せな戦いをするものだね」

「また、お得意の分解ですか。でも、もうそれをするための右腕も限界に見えます。脱臼した腕の骨をいくら戻しても完治はしない。神佐真夜。もう、腫れで腕をあげるのも辛いのでしょう」


 神佐は左手で右腕を支えるように水平の伸ばしている。その手の先からは青白い光が輝いている。輝きはそこに触れるすべてを原子へと分解し続けている。


「私一人ならダメだった、と思う。でもね。私には仲間がいるんだよ。エリック!」


 神佐が叫ぶとエリックはありったけの魔力を込めて魔術を放った。


『壊して結ぶ。鉄片は黒鉄に石は岩に小石は石に混ざりて戻せ!』


 エリックを中心に青白い光が広がる。光は誘導弾群(ミサイルズ)によって破壊された瓦礫に宿る。瓦礫は溶け合い再び鉄筋コンクリートの壁へと姿を戻した。それは時間を巻き戻したような光景だった。


 イコは巻き戻された巨壁を崩すためにさらに多くのポッドを生み出した。


「千日手のつもりですか。しかし、誘導弾群(ミサイルズ)はまだまだあります。今度こそ四散してください。はっし……」


 彼女の口が発射を命じようとしたときであった。イコの左腕と右足に矢が突き刺さった。


「よし!」


 その声は若い男性のものだった。声の方向を見ると弓を手にした現地人が逃げるところだった。イコは苦々しさを隠してポッドの標的を変更する。


「無意味だというのに」


 ポッドから三発のミサイルを発射する。しかし、手応えはない。イコは身体を再構成すると男がいたところへと向かう。そこには男の死骸も破片もなかった。あるのは地面に人一人分の大きさが空いた深い穴だけである。


 中がどうなっているのかとイコが覗き込んだ瞬間であった。別の傭兵が背後から彼女の脇腹に向かって槍を突き刺していた。男は槍を捨てて走ると少し離れた場所に空いていた穴へと飛び込んだ。まるでモグラであった。近づけば穴に引きこもり、別の場所から攻撃を行う。それはイコから見れば些細な攻撃であった。


 傷はいくらでも修復することができる。だが、感情はそうはいかない。


 どうしてこんな連中に好き勝手にやられなければならないのか。

 イコの頭脳には怒りが満たされた。


「殺す」


 イコは地面に向かって誘導弾群(ミサイルズ)を斉射したが、地面に大小のクレーターを作るだけで命中したものはなかった。傭兵たちは魔術師が掘った坑道を使ってイコの死角から死角へと移動していた。攻撃は必ずしも当たらなくても良かった。


 攻撃を受けている。そうイコに思わせるだけで彼女の集中力は乱れた。


「余が臣下に救われた挙句に、このような姑息な策を使わなけれならぬとはな。恋焦がれる熱情をもって掴め紅腕(くれないかいな)!」


 その声は彼女が脅威と判定しながらも注意を向けなかった者――セシリアの声であった。魔術師が掘った坑道の底に彼女は立っていた。セシリアの右腕のつけられた『炎妃の右腕』は莫大な熱量を炎に変えてイコに襲いかかっていた。直線上にある大地も鉄筋コンクリートもすべてを飴細工のように蕩かす紅煉の腕は完璧にイコを捉えていた。


 イコは炎の拳のなかで破壊と再生を繰り返す。

 燃え崩れる腕。再生。

 焼け爛(ただ)れる髪に肌。再生。

 沸騰する血液に内蔵。再生。


 本来であれば死ぬ苦痛を何度も何十回と受けながらもイコは生きていた。


「これでも死ねぬとはもう呪いに等しいな。余はそなたに一つだけ問うこととする。そなたがこの世界を隷属させたとしてどうする? 世界をどう変える?」


 セシリアが右腕に込めていた魔力を解くと炎はゆっくりと消えた。イコは暗い目をセシリアに向けた。


「この世界において人類を継続させる。それがプロジェクトであり理由」

「駄目だな。それは結果であって理想すらない。お前が求めているものは人類が続くことだけで、どうすれば人類がより良くなるかという創造性もない。余はこの大陸から戦火をなくすために全ての国を征服した。それは新たな秩序を生み出すということだ。それに対してお前には結果しかない。そんなやつに世界はやれん。来るがよい、余が格の違いを教えてやろう」


 セシリアは血にまみれた左手に握り締めた剣を突き出した。


 焼かれた身体を直したイコはセシリアの切先を睨みつけるとすべての演算力を誘導弾群(ミサイルズ)の構築と制御に回した。自らが負うであろうダメージはあとで直せばいい。いまは目の前にいる彼女を沈黙させることが最優先事項であった。


「全門発射(フルファイア)」


 ポッドから放たれるミサイルの幾筋もの軌跡がセシリアに収束する。


『想いを刻む。幾つも刻みて境界を断て』


 セシリアの剣はただの外力の塊であった。それは物体が持つ応力も何もかもを超える巨大な力であった。ミサイルの爆轟も飲み込んだ一方的な力の塊はすべてを切り裂いた。イコは自分がなぜ負けようとしているのか分からなかった。


 単体でなら勝っていた。

 なのにいま自分は地面に倒れている。


 神佐真夜が彼女についたから?


 百人程度の現地人が現れたから?


 人類のように諦めが悪い現地人にどうして敗れるのか?


 理由はいくらでも考えられた。ただ、理解したくなかった。

 イコは自分が最初から彼らを現地『人』として見ていた。それは彼らも人類である、と認識していた、ということであった。だが、それを認識すればプロジェクトの進行は不可能になる。だから認めるわけには行かなかったのだ。


 認めれば、この世界ではすでに人類は継続されていることになり彼女の意義はなくなる。


 人類を継続させるために生まれた彼女にとって人類継続が決まれば、彼女が存在する必要はない。


「イコ。あなたは壊れました。でも安心して私はあなたを治すよ。だって私たちは迷い子(まよイコ)なのだから」


 それはイコが最後に聞いた声だった。

 彼女と同じ人工的に作られた存在であり、彼女を作った人工の天才――神佐真夜。見えないはずの視界に青白い光が満ちる。身体の再構築は分解に追いつかない。イコは静かに光の海に溶けた。

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