第20話

 第一迷宮から降り立ったそれを最初に目にしたのは、皇帝セシリア・ルークラフトの命令により、塔の近くで待機していた近衛兵の一団だった。彼らは第一迷宮の隣に新たに建築された『登頂者の塔』と呼ばれる不格好な塔を眺めていた。


「今度の王宮はあんな高いものになるのか」

「さぁ、だがあんな歪な建物はあんまりかっこよくないな。壮麗さが足りないというか」


 登頂者の塔には起重機が据え付けられ、外壁はむき出しの鉄でできいる。優美さとはかけ離れた姿だった。反対に第一迷宮の外壁は太陽光を反射する鏡で覆われ、突き出した二つの尖塔は見る者に畏怖を与える力強さがあった。

 その尖塔の片方から大量の破片を伴って若い女性が降ってきた。


 それは、迷宮のうえから飛び降りてきたとは思えないほど優雅に着地をすると近衛兵たちに向かって微笑むと「隷属か死か、どちらが良いですか?」、と彼らに問いかけをした。彼らはそれが何者か分からなかった。不死者とも盗賊とも違う。ましてや大陸を統一したルークラフト帝国において敵兵、と言える存在はどこにもいないはずなのである。


 長い黒髪に大きく胸元の開いた異形の衣をまとった女が笑う。手には武器になるようなものは何一つ持っていない。とても近衛兵に立ち向かえるとは思えない相手なのである。だが、彼らは身動き一つできずにいた。それは彼女が迷宮の上層に大穴を開けて飛び降りてきたことも一つの理由であったが、もっとも大きな理由は言い知れぬ恐れであった。


 蛇(へび)に睨まれた蛙(かえる)がじっと相手の目を見つめたまま動きを止めてしまうように彼らも彼女から目をそらすこともできずに立ち尽くしていた。


「沈黙は否定と見ます」


 女は満面の笑みを崩さずに言うと右手をすっと水平に伸ばした。


 次の瞬間、近衛の眼前にはおよそ人の物とは思えないほど巨大な剣が生み出されていた。その長さは大人が両手を伸ばし二十人並んだよりも長い。青白い閃光が剣の表面で爆ぜている。それは魔術の光に似ていたが、詠唱も魔法陣もなしにそのような芸当ができるものを彼らは知らなかった。


「では、さようなら」


 彼女の右腕が横薙ぎに振り払われる。彼らは呆然としながらも自らが死ぬことを理解した。

 死はすぐに来ると思っていた。

 刹那のとき。

 一秒。二秒。三秒。


 舞い落ちるはずだった死は訪れなかった。かわりに彼らのもとには叱責が降り注いでいた。


「余の近衛がかくも簡単に死を受け入れるとは何事だ! 戦なき平穏において武人として心を失ったか。そうであるならばすぐに申し出るが良い。すぐにでも文官の席を与える。そうでないならば目を開き、前を見よ。そして余のために戦うがよい!」


 近衛兵たちは見た。この世の汚れをすべて取り払ったかのような純白の剣が巨大な剣を受け止めているのを。真紅にたなびくマントには皇帝の紋章が黄金の輝きを放っている。彼らは声の主を知っていた。それはこの大陸で唯一の王。王の中の王。


 ルークラフト帝国第三代皇帝セシリア・ルークラフトであった。


「皇帝陛下!」


 氷雪のように輝く銀髪のかきあげると、セシリアは凶刃を握る女を睨んだ。

「女。貴様は誰だ? よもや不死者の王がそのような女性(にょしょう)の身であったとも思えぬが」

「不死者の王。あなた方がそう呼ぶ者はもういません。彼は私を設計するための雛型でした。繰り返す書換と再生、そして私――イコは一つの肉体をもってこの世界に構成されました」


 イコは無言のまま巨剣を消した。生み出された時と同じように一瞬のことだった。剣はほろほろと蛍のような光の粒子となって消えた。セシリアはそれを黙って眺めた。


「……そうか。もう、王はいないか」


 そこには僅かな感傷がこもっていた。この世に残る最後の王は彼女と会うことなく去った。


「はい、いません」

「ならばイコとやらは余の帝都に何用がある。臣下を殺そうとした貴様を歓待する必要があるとは思えぬが、言葉にすることを許す」


 セシリアの瞳には炎が宿っているのか煌々と輝く。それは他を焼き尽くすような光であった。


「もし、原住民に長(おさ)がいるのならば隷属か死かを問います。もしただの霊長の集団であれば等しく死を与えるために」

「それは都合が良かったな。帝都は余のものである。そして、この大陸全土すべてが余の帝国である。帝国は誰かに隷属することはなく、余も隷属をよしとはしない」


 セシリアは左手で純白の剣をくるりと回して構え直すとイコへと突きつけた。


「では、あなたもあなたの帝国も死んでもらいます。プロジェクトの遅延させる要因は不要です」


 イコが手を前方にかざすと青白い光とともにいくつもの剣が虚空に生み出される。それは瞬(まばた)をするたび数を増やした。幾千幾万にも膨れ上がったそれは切先を真っ直ぐにセシリアに向けていた。懐かしい、と感じるのは自分でもズレているとセシリアは思った。だが、ランベル王国を滅ぼしたときは十二万が敵であった。それを思えば幾万はまだ少ない。


「――――」


 イコは声を発することはなかった。

 幾万のうち最初の一刀が動き出す寸前、セシリアはすでに動き出した。魔力を込められた白い剣は月光を集めたような銀光をその刀身に宿していた。


「第一神器『神を切り裂く者』起動せよ。そして切り裂け、我らを隔てる壁など失わせるほどに!」


 セシリアは踏み込んだ。

 横薙ぎに払われた剣撃は刀身よりも広く直線上にある全てのものを切り裂いた。

 剣撃の隙間からイコの生み出した無数の刃が殺到する。


 しかし、それらはセシリアの新たな剣撃のまえに撃ち落とされた。


「空間転移装置三型。あなたが持っていたのですか?」


 イコはセシリアが握る剣を見つめると少しだけ嫌そうな顔をした。


「これはそういう名前なのか? まぁ、そうかもしれぬな。祖父が貴様のいた迷宮から持ち帰ったこの神器のことだ。そこに住んでいた貴様がそれを知るのは道理であろう。じゃが、これは知っておるか?」


 右手につけた緋色の篭手をイコに見せつけてセシリアは笑う。


「記録にない空間転移装置……。まさか、他にも成功事例があると」


「これは『炎妃の右腕』。第三迷宮より父が持ち帰った。余は帝国最強ゆえに皇帝なのだ。帝国を滅ぼすということは余を殺すことと思うがよい! 第三神器『炎妃の右腕』起動せよ。恋焦がれるほどに燃やし尽くせ!」


セシリアの言葉に合わせるように緋色の篭手は彼女のか細い腕を喰らい尽くすのではないか、と思うほどその大きさを膨張させた。魔力を込められた篭手は、炎妃の右腕と呼ばれるのにふさわしい暴力的な真紅の炎をほとばしらせていた。


 吹き出した炎によってイコの生み出した剣は飲み込まれて消えた。


「敵性固体の脅威度を変更。剣群(ブレイズ)から盾群(シールズ)へ」


 イコは顔色ひとつ変えなかった。彼女が手をかざす。


 手の前に鉛色の分厚い壁が幾重にも生まれる。壁は波濤のように増して炎を遮った。


「忘れたな。余の左手には神殺しの剣があることを。貴様と余の間に壁など築かせはしない」


 セシリアは左手に握り締めた剣を真っ直ぐにつき出す。剣はイコの壁を簡単に貫いた。軒で穿たれた穴から炎が侵食する。一層、二層と壁は侵され、最後にはすべてが燃え尽きた。イコはこのとき初めて驚きの表情を見せた。


「盾群が? 特火点群(ピルボックス)!」


 生み出されたのは鉛色と鋼できた無数の城塞。鉄筋コンクリートでの中には鋼の筒が据え付けられていた。セシリアはそれを見たことがなかった。しかし、それで臆する少女であれば彼女は皇帝にはなりえなかった。


「境界線をも切裂き、心さえも切り裂け!」


 セシリアは左手の剣にさらに魔力を込める。一撃で丸く小さな城塞を斬り伏せる。そして、それは可能であるはずだった。剣を振りかぶり、振り下ろそうとしたとき轟音が鳴り響いた。鋼の筒が火を吹いていた。筒から飛びたした砲弾が右腕が発した炎の壁を超えて彼女に迫る。


 強引に剣の軌道を逸らして砲弾を斬りつける。次の瞬間であった。砲弾は爆発した。


「大砲も榴弾もこの世界にはないみたいですね。剣と魔法の世界。まるでゲームですね」


 イコは爆煙を見つめていった。彼女は記録の中に残るデータからそういった。


「珍妙な武器だな。それでも、余は負けぬ」


 セシリアはまだ立っていた。頬や左腕、脚には無数の金属片が突き刺さっている。緋色のマントは爆風に持って行かれたのか姿を消している。滲んだ血が純白の剣を汚す。銀糸のような髪は煤や硝煙で灰色に染まる。それでもなお彼女の眼は敵を見据え続けていた。


「一人がいくら強力な力をもっても意味はありません」


 イコは余裕を取り戻していた。現地人の抵抗は彼女が想定していたよりも激しかった。しかし、それは単に目の前の少女が強いだけだ。現に彼女の周りにいる兵士たちは何もできずに眺めているだけだ。なによりもあの武器。本来の用途とは大きくはずれた使い方によって武器と化した空間転移装置――あれがなければこれほどまで手こずることはなかったに違いない。


 そう、あれにしても神佐真夜(かみさ・まよ)にしてもイコのいた旧世界のものだ。この世界のものは何一つない。これが終わればプロジェクトの進行はつつがなく終わるに違いない。イコはそのことに安堵した。


「だとしても余は皇帝であり、余の後ろには国民がおる。滅ぼした幾多の国々がある。帝国のために殺した兄たちもおる。ゆえに余はさがらぬ。ましてや隷属することなど慮外である」


 目の前にいる少女はもう一射すれば死ぬだろう。なのにどうして抵抗するのか。

 諦めが悪い。人間とはいつも往生際が悪いものだ。そう思ってイコは少しの戸惑いを覚えた。


 自分は何のために生み出されたのか。それはたいそう諦めの悪いものから始められたことなのではないか。


「……。その頑迷があなたとあなたの国を滅ぼす」


 イコは生み出した特火点群から砲撃を行おうとした。不意に身体が揺れた。腰から背中あたりが傷んだ。片手で触れると真紅の液体がどろりと手についた。


「なにこれ?」


 視線をセシリアから背後に一人の近衛兵がいた。彼の手にはただ鉄を固めて研いだ原始的な剣が握られていた。それがイコの背中から腰へ向けて突きたっていた。兵士はイコに見られると腰が砕けたように座り込んだ。


 震える声で彼は言った。


「わ、我ら近衛は陛下とともにあり。け、けして引かず戦場に立つ」


 逃げ出したいに違いないだが、彼は震える足を引きづりイコの背後に回り込むと一撃を彼女に与えた。


「その勇気は認めましょう。しかし」


 イコは自らに刺さった剣を引き抜くとすぐさま身体を再構成した。傷は一瞬で元に戻った。


「意味がないというのがわかりませんか?」


 彼女はガタガタと震える兵士に尋ねた。しかし、兵士は答えなかった。かわりに彼女に向けて攻撃があった。それはセシリアの攻撃と異なり驚異にさえならないものであった。


「皇帝陛下をお守りしろ! 我ら近衛は陛下とともにあり。決して引かず戦場に立つ!」


 それはただすくんでいた兵士たちであった。彼らは思い出したかのように動き出していた。あるものは矢を放ち。別のものは魔術を使い。剣を構えて向かってくるものもいた。イコは彼らの言うことが分からなかった。


 セシリアよりも弱い彼らが彼女を守る、というのはどうにも理屈が合わない。本来であれば彼らこそ守られるべき弱いものではないのか。イコは剣群でそれらをすべて弾き返した。わかるはずである無駄な抵抗である。だが、それでも彼らは抵抗を諦めなかった。


「諦めが悪い。まるで人類のようです」


 そう言ってイコは思い出していた。自分が作り出されたのは人類を継続するためだ。崩壊する世界から人類を転移させることで人類を救う。そんな諦めの悪い願いからすべては始まっている。これ以上考えてはいけない。ここで彼らを人類と認めればそれは大きな影響を自身に与えてしまう。


「終わらせましょう。全砲門発射(フルファイア)」


 特火点群から放たれた砲弾は一瞬にして彼らを焼き払うはずだった。しかし、砲弾は寸前に青白い光に飲まれて分解された。その光を彼女は知っている。神佐真夜。本来のプロジェクト遂行者の一人だ。この世界を滅ぼせば彼女も翻意(ほんい)すると思い殺さなかった彼女が再び立ちふさがっていた。


「終わらせないよ。イコ。私は諦めてやらない」


 神佐の後ろには塔なかでみた現地人が百人ほどいた。彼らはすでに満身創痍である。だが、引く素振りを見せるものはいない。


「神佐真夜。この世界に人類はいません。なぜ、邪魔をするのですか?」

「イコ。それは私が人間だからだよ」


 神佐真夜はそう言ってボロボロになった姿で笑った。イコにはそれがどうしようもなく忌々しく見えた。

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