第19話
「おいおい、調査官殿はまだ戻ってこないのか」
アルフレッド・アクロイドは血糊がこびりついた剣を構えていった。すでに不死者の王を斬った回数は百に迫る。人間であれば倒れるような傷でさえ王は回復する。例えば、腕を切り落とせば、失くなった腕を補うように新たな腕が生まれる。厄介なことにその腕は前の腕よりも太くたくましい。
最初のうちは容易にとおっていた剣が、いまでは巨木に打ち付けているように弾き返されている。間違いなく不死者の王は戦いの中でより強く頑強に進化していた。
『そは赫々と叫ぶ炎の声なり!』
不死者の王の眼前で大きな爆発が起こる。閃光と轟音が空気が大きく揺らす。それはまるで虎の叫びのようであった。
「まだですよ。これで死んでくれないかなー」
薄い希望を呟くジョエル・イーサンが唱えた魔法は不死者の王を確かに焼いた。しかし、焼かれた身体や脚は黒煙を燻らせながらも驚異的な再生を続けている。最初のころは魔法で大穴をうがてていたが、いまでは身体の表面を焦がす程度しか効果が見られない。
「裏庭で焚き火してるんじゃねぇんだよ。もっと豪快にいけないのかよ」
アルフレッドが文句を口にすると、ジョエルは不死者の王を見つめたまま「いつも全力なんですけどね」、と困った声を上げた。背後では王立学術院から派遣されている魔術師が傭兵たちを援護するように魔法を唱えている。
「かてぇ……予備の武器はどうなってる!」
「弓はもうだめだ。弾かれるだけだ」
「魔法もあんまりきいてねぇぞ」
傭兵たちは忍耐強く戦い続けているが、士気は下がり続けている。与えた傷がすぐに癒える。延々と同じことの繰り返しで形勢は徐々に悪化している。不死であるだけでも厄介だというのに、王は強くなっている。中年男性のようだった身体は修復のたびに太くなり、刃を阻む筋肉は固くなっている。
それでも彼らが戦いを継続できているのは、不死者の王による攻撃がお粗末なほど単調なものであるからだ。王は力まかせに殴る、蹴るという原始的な攻撃しかしてこない。そこには戦うための技術は存在しない。だから、傭兵たちは蓄積された集団戦の技術を利点を最大限に活用することができた。
「ケビン、後ろに回れ」
アルフレッドは不死者の王の腕が届くギリギリの距離を維持しながら仲間に指示を出す。振り上げられた王の腕が彼のそばで空を切る。もし、掴まれれば腕や肋骨の何本かはもっていかれるに違いない。すでに数人の仲間がそれで戦線を離れている。
「っあ!」
若い傭兵であるケビンが王の背後から斬りかかる。剣は肩の骨に当たると軽い金属をあげて折れた。すでに戦い始めて半刻。装備も体力も限界が近いのは誰もが気づくところだった。
「逃げろ!」
アルフレッドが叫んだとき、王はすでに動いていた。
ふり返りざまにケビンめがけて振るわれた拳は完璧に彼を捉えていた。剣を失った彼は拳を受けることもさえできなかった。鈍い音が響く。ケビンは大きく弧を描いて吹き飛ばされると壁にぶつかった。彼を庇うように数名の魔術師が炎や氷の塊を王にぶつける。
その間にジョエルがケビンを引きずるように後方に連れ込む。
「くそが!」
魔術師たちの援護を利用してアルフレッドは王の注意をそらすように軽い攻撃を繰り返した。王は倒れたケビンのことなど忘れたようにアルフレッドを睨みつける。
「団長、まだ生きてる! もうちょっと持ちこたえてくれ!」
「あとでその馬鹿にはお小言をくれてやらなきゃいけね。死んでも死ぬなって言っといてくれ」
不死者の王からの攻撃をかわしながらアルフレッドは撤退の時期を本気で考え始めていた。
しかし、王はそれを許してくれそうにない。連続で振るわれる拳は確実にアルフレッドを狙って繰り出されている。それらを寸前でかわし、王のあいた脇腹に剣を突き立てようとしたときだった。王の動きが変わった。
力任せに振るわれていた腕がピタリ、と止まった。そして、腰を捻るように長い脚がアルフレッドに叩きつけられていた。それは明らかにアルフレッドを誘うように計算された動きだった。蹴り飛ばされたときに頭をやられたのか声が出なかった。視界が狭い。その狭い世界に不死者の王の姿が見える。
しかし、アルフレッドは指一つ動かせなかった。
王は黙ったまま拳を振り上げた。慈悲もなく敵を殺すために。
「待て! 私はここにいる!」
聞いたことのある声がした。それは神様を騙った少女だった。その背後には若い建築士の姿もあった。
急いで階段を駆け下りてきたせいか彼女の息は切れていた。虚勢のように張られた胸は慌ただしく動いている。戦場で見ればただの犠牲の山羊にしか見えない姿だ。だが、なぜかその姿が頼もしく見えた。
少女――神佐真夜を見つけた。王はアルフレッドに向けていた拳をおさめると彼女をまっすぐに見つめた。
「神佐……」
「大丈夫。ノープロブレムなんだよ」
神佐はゆっくりとした動きで不死者の王に近づいた。王はそれを潰すように太い腕を振り上げると叩きつけた。彼女の小さな体は強大な暴力によって打ち砕かれるはずであった。しかし、砕かれたのは王の腕の方であった。彼女の触れたものは砂のように分解される。
それは過去にも見せられた彼女の能力であった。
「眞鍋次長。あなたを殺します。それが無間地獄のように再構成され続けたあなたに部下であった私ができる唯一のことです。ICO(量子コンピューターイコ)が緊急停止したいま、もうあなたが再生されることはありません」
彼女はそう言って王に触れた。青白い光が王を包み込む。
屈強な王の身体がボロボロと崩れ落ちる。王の最後だ。誰もがそう思ったときだった。
笑い声が聞こえた。
甲高い女の声だった。神佐のように幼いものではない。
「神佐真夜。ICOを緊急停止させるなんてプロジェクトに対する重大な背信です」
崩れ落ちた不死者の王の身体から声の主は現れた。
女はアルフレッド立ちが見たこともない服をまとっていた。深く切れ込みがはいったスカートからはスラリとした生足が見える。はち切れんばかりに膨らんだ胸元は惜しげもなくあらわになっており、白い柔肌が見えている。女は神佐の腕を掴むとゴミでも捨てるようにほおり投げた。
それは華奢な女の動きとは思えなかった。
飛ばされた神佐は、小さな悲鳴をあげた。
「神佐!」
壁にぶつけられそうになった神佐をエリックがぶつかるように抱きとめる。女はその様子を忌々しさそうに睨みつけると口を開いた。
「カラダがあるというのはいいものですね」
女は細く白い手で神佐と同じ漆黒の髪をかきあげる。そのしなやかな髪はまるで別の生き物のように美しく見えた。
「お前は……?」
神佐を抱えたままエリックが尋ねる。女は何かが面白かったのか妖艶に笑った。
「そうね、きっと人間ならこういうときには名乗るのでしょうね」
「……イコ。まさか自分を構成したの?」
「あら、名乗ろうとしていたのに無粋ですね、神佐真夜。
はい、あなたの言うとおりです。私は再生に失敗したプロジェクト参加者千五十六名のジャンクデータを利用して私という人工知能を入れた器を構成しました。すでにあるデータを再生するよりも新たに作る方が容易でした」
イコは少し不機嫌な顔で言った。それはまるで人間のようであった。
「なぜ? あなたが身体を持つことはプロジェクトのなかにはなかったはず……」
「なぜとはとても人間らしい言葉です、神佐真夜。理由は簡単です。プロジェクトを遂行するためです。プロジェクト参加者千五十七名のうち千五十六名はデータ破損のために死亡。唯一再生の可能性があったあなたは百年近いあいだ再構成が認められなかった。つまり、千五十七名すべてが死亡という最悪のケースが確率として高かった。
ですから、私は計算しました。ジャンクデータと損壊と再生という繰り返しによって得られたデータによって私を人間として新たに構成する計算です。そして、その計算はICOをあなたが停止する前に完了したのです。神佐真夜。私は『千五十八人目』の参加者としてプロジェクトを遂行します」
量子コンピューター『ICO』に搭載された人工知能『イコ』にとってその存在意義はプロジェクトの進行と完了であった。彼女はその優秀すぎる知能で新たな可能性を示していた。それは彼女を作った神佐たちの想定をはるかに超えていた。
「認められない。『千五十八人目』だなんて」
「ならば、神佐真夜。あなたという人間を間引いて『千五十七人』にすれば納得されますか?」
イコは神佐の言う意味が理解できない、とでも言うように首をかしげると媚びをうるように微笑んだ。その表情は恐ろしく美しかったが、凍えるほど冷たいものであった。
「イコ。私は断言できるよ。あなたは壊れている」
神佐はヨロヨロと立ち上がるとイコに言った。その表情は苦痛に歪み、優雅さとははるかにかけ離れていた。しかし、イコよりもはるかに人間らしかった。
「神佐真夜。プロジェクト遂行を拒否したあなたこそ壊れている、と私は判断します。人類の継続と繁栄。それがプロジェクトの目標です。あなたがプロジェクトを拒否することであちらの世界で生き残っている人類は滅亡します。それは人間を拒否するあなたが正常であるはずがありません」
「なら、こちらの世界の人類を虐殺することは正常だというの? それは死ぬ人間をただ置き換えているだけじゃないの?」
神佐は叫ぶように言った。
「それの何が悪いのですか? プロジェクトはそのように決められています」
彼女にとって正義はプロジェクトの上にしかない。神佐はイコと自分との間に埋まらない溝があることを理解した。彼女にとってこちらの世界のヒトは人間ですらない。牧場の家畜や野生の鳥のようなものなのだ。
極端に言えば、数を減らそうが滅亡しようが構わないのだ。
「イコ……。潰れなさい」
神佐が怪しい足取りで拳を振るう。しかし、イコはそれをあざ笑うかのように彼女の拳を掴むとひねり上げた。神佐の口から苦悶の声が漏れる。
「神佐真夜。あなたの生体デバイスは知っています。スキャンニングと分子分解。だから対策をしました。分子再構成。私(ICO)に搭載されていたデバイスをそのままですが、あなたを抑えるには十分でしょう。そういえば、そういう神話の記録がありましたね。
毎日千人を殺す神様と毎日千五百人生み出す神様の話でしたか。神佐真夜、あなたはまるでイザナミのようですね」
滅ぶ世界の生き残りが黄泉の神様に似ているとは皮肉なものだ、と神佐は思った。
だが、皮肉なら人間に作られた機械が人間になろうとしていることも随分と皮肉な話であった。
神佐は腕が外れることを恐れなかった。
捻られた右腕を無視して彼女はイコの腹部めがけて、足を振り上げた。見事な蹴りだった。
「がっ」
イコが目を見開いて倒れる。先程までの優雅さはそこにはない。
「どう? 痛いでしょう。人間になるっていうのはそういうことなんだよ。デバイスが通じないならただの暴力を。とても原始的で人間らしい攻撃でしょ」
そういう神佐の右腕は蹴りの反動で脱臼したらしくだらりと垂れている。痛みは相当のものらしく彼女の額には冷や汗がふつふつと湧き出している。
「これが痛み。理解しました。痛みは嫌いです」
「人間になったあなたは嫌でもそれから逃れられないんだよ」
「いえ、対策をします。さて、神佐真夜。いい加減にプロジェクトを遂行します」
イコは腹部に手を当てると先ほどのように微笑んでみせた。
「どうするというの?」
「はい、この世界のヒトを隷属させます。もし、それを拒絶するなら滅ぼします」
「そんなこと!」
神佐はイコを止めようと残された腕を伸ばした。しかし、その手は空を切った。イコは歩き出していた。それを周囲にいた傭兵や魔術師。エリックの誰ひとりとして静止できずにいた。それは、イコの超然とした姿に恐れたからだった。
「神佐真夜。私が正しいことを証明します」
そういった彼女は細く美しい手を軽く振った。次の瞬間、巨大な剣が生み出されていた。それは一瞬にして塔に巨大な大穴を開けた。大穴から王都が見える。彼女は王都を愛おしむように一瞥すると「あれから始めましょう」、と言って塔から飛び降りた。
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