第17話

「神様はアイツはなにを言ってるんですか?」


 エリック・コーウェンは唖然とした表情のまま動かない神様をかばうように前に立った。眼前には不死者の王と思われる不気味な男がこちらを見ていた。いや、正確には彼の背後に居る彼女を見つめている。


 逞しかった腕は病的にまでやせ衰え、脚は自重を支えるのが難しいのかふらふらと揺れている。不死者の王と呼ばれ、畏怖の対象であった姿はもうない。だが、エリックは言い知れぬ恐怖を感じていた。


「あれは……。いや、その人は……」


 いつになく歯切れの悪い言葉で神様は幽霊でも見たような白い顔で言う。


 不死者の王は間違いなく「かみさ、まよ……」、と言った。そしてそれはある人物に対して向けられた言葉であるという自信が彼にはあった。ある人物とは間違いなく神様である。


「神様!」


 エリックはやや苛立ちを込めて彼女に返答を求めた。

 初めて会ったとき彼女は自分のことを「かみさまよ」、と名乗った。彼はそれを「神様よ」、と考えていた。だが、それは違ったのではないか。彼女にはちゃんとした名前があったのではないか。それは確信として彼のなかにあった。ゆえに彼は彼女に回答を求めたのである。


「そう。私は……神佐真夜(かみさ・まよ)。Cプロジェクトの技官主任。そして、その人は眞鍋保(まなべ・たもつ)次長。私の上司です」


 目を伏して彼女は言った。

 それは彼を含め周囲の人々を故意に事実を伝えなかったことへの気後れであった。数名の傭兵や魔術師は神佐から慌てて距離をとった。彼女がいつ不死者の王のようになるか恐れたのだ。


「そうですか。いい名前ですね」


 世間話をするかのような調子でエリックは言った。それは素直な感想であった。


「怒らないのか? 私はずっとエリックを騙して神様を気取っていたんだよ」

「そりゃあ、怒ってますよ。だけど、俺はこう言いました。


『神様が神様じゃなくって悪魔でも魔王でもいいんです。誰も建てたことのない建物を建てさせてくれるなら、俺は騙されたって構わない』


 だから、神様が騙してたことは構いません。でも、建物の建て方をまだ教わりきっていないことには怒っています」

 

 そう言ってエリックは神佐の頭をぽかん、と軽く殴った。

 それを周囲の傭兵や魔術師は口を開けてみていた。殴られた神佐も目を見開いて彼を見た。そして、しばらく黙ると「な、なにをする! 第一村人だからって調子にのるんじゃない!」、と言って最初に会ったときのように顔を赤らめてエリックを睨みつけた。


「調査官殿もお嬢ちゃんも緊張感がないのはどうにかならないもんかね」


 苦い顔をしたアルフレッド・アクロイドが無精ひげを撫でながら言う。周りでは武器を構えたままの傭兵たちが「無粋ですよ」とか「ちがいない」、と言って笑う。神佐から慌てて離れた傭兵も口を開けて笑う。


「お前まで美人局(つつもたせ)にあったかと心配したよ」


 ジョエル・イーサンが冗談めかして言う。彼の部下であるいく人かの魔術師は目配せをして小声でつぶやいた。


「それは講師だけです」

「ジョエル先生は、仲間が欲しいんだよ」

「美人局仲間とか嫌だろ」


 ジョエルは軽口を叩いた数名の方を向くと「学術院に戻ったらお前らは七日間の残業な。あと、不死者の王が変な動きをしたら止めろよ。これ、命令だから」、とふてくされた顔をした。


「……お前たちも私を怒らないのか?」


 神佐は周囲の誰とも目を合わさずに訊いた。それはいたずらをした子供が大人の顔色をうかがうような様子だった。彼らは神佐を怒らなかった。ただ、誰となく「別に」、と言って笑った。神佐は彼らが何に対して笑っているのか分からずに首をかしげた。


「大丈夫ですよ。神様。誰も責めたりしません。だって仲間でしょ?」


 エリックの問いに神佐は笑顔で応じた。


「エリック、訂正します。私は神様じゃなかった。かなり天才で美少女な技官主任『神佐真夜』だったよ」

「神様。それはいつもどおりです。ただ、おっちょこちょいをつけとくとより正確です」


 神佐は少しだけ笑顔を曇らせると明るい調子で応じた。


「リィアリー? 参考にする。あと神様じゃない神佐だよ。エリックもおっちょこちょい建築士を名乗るといいよ」

「分かりました。神佐」


 エリックが名前を呼ぶと神佐は微笑んだが、すぐに無愛想な顔をつくると「なら良い」、と言った。


「お嬢ちゃんはついでに貧乳もつけとけ」


 アルフレッドが豪快に笑う。周りでは若い女性の魔術師や傭兵を中心に「最低」、という声が上がったが本人は気にならないらしい。神佐はといえば目を吊り上げて彼を睨みつけていた。


「言ったな。言っていいことと悪いことがあるんだよ! そこはスレンダーとかスタイリッシュと言うんだよ。罰として団長は前衛、決定!」


 神佐が声を張り上げると、すでに前衛を言いつけられていた魔術師が歓声をあげた。


「やった。壁ができた」

「助かった」

「こっち空いてますよ!」


 彼らの手招きに渋々という様子でアルフレッドは不死者の王と向き合った。しかし、王は戦う気がないのか、繰り返しの再生に力を出し尽くしたのか不気味に動きを止めている。ただ、その目だけはじっと神佐を見つめていた。


「ああ、やってやる。やってやるが、どうすりゃいいんだよ!?」


 やけくそのようにアルフレッドが叫ぶと神佐は「私たちがもどるまで足止め、よろしく」とだけいう、とエリックの手を掴んで上層への階段へと足を向けていた。


 アルフレッドが文句を言おうとしたとき、静止を続けていた不死者の王が動き出していた。それはゆっくりした足取りではあったが、確実に彼女を追いかけようとしていた。アルフレッドは持っていた剣を振るう。ただの中年男性と変わらぬ姿になっていた不死者の王は袈裟斬りに肩から腰へ向けて大きく切り裂かれた。


 ただの中年男性であればこれで決着はついたはずであった。 


 不死者の王は倒れなかった。引き裂かれた傷は瞬く間に塞がり、傷を覆うかのように腕や手がデタラメに生えている。それらは明らかにアルフレッドに対して敵意を向けて蠢いた。


「もどるまでっていつまでだよ」


 アルフレッドは悪態をつきたかったがぐっと堪えて敵を見据えた。周囲ではすでに仲間たちが臨戦態勢に切り替わっている。神佐の言うゼネコンになるのはまだ先のようだとアルフレッドは思った。ここは小さいが間違いなく彼らの領分であった。


「これは随分と貧乏くじですね」


 アルフレッドの隣にジョエルは立つと身構えたまま言った。アルフレッドはただ「違いねぇ」、と答えた。


 最上階へと駆け出した神佐に手を引かれたエリックは残された仲間に「すぐもどる!」、とだけ言って彼女の後ろに続いた。薄暗い階段を駆け上がっていると神佐の声がした。


「理解できなくてもイエスだけで答えて。私はこの世界とは別の世界から来たんだよ。その世界は――」




 神佐が生まれたとき、世界はすでに滅びへと向かっていた。


 反物質。

 その発見は人々に大きな影響を与えた。


 特にエネルギー分野において、反物質は大いなる福音(ふくいん)であった。反物質と物質が衝突した際に生じる対消滅は、石油などに代表される化石燃料とは比較にならないエネルギーを生み出すことができた。


 反物質と物質が消滅する際に残されるエネルギーは反物質一グラムで約二億五千リットルの石油に等しかった。人類は新たな技術を使って競うように対消滅発電所を建てた。結果として、人類は数百年のあいだ頭を悩ませてきたエネルギー問題から解放された。それは空前の栄華と言われる時代の始まりであった。


 だが、繁栄は唐突に終わりを迎えた。


 それは、ある対消滅発電所の事故から始まった。対消滅炉を中心に十五キロの範囲がぽっかりと大穴を開けて崩壊したのだ。だが、人々はそれを単なる不幸な出来事だと片付けた。


「反物質の管理が悪かったに違いない」

「悲劇を忘れぬように新しい規則を設けよう」

「不幸な人々のために記念碑を」


 そんな人々の思いに反して発電所の事故は世界各地で起きた。国際的テロや陰謀論がささやかれるなか、事故の原因が明らかになったのはそれから四年も経ったあとだった。


 対消滅によって消滅するのは反物質と物質だけだと思われていた。しかし、現実にはそれらが存在していた空間も同時に失われていたのである。つまり、反物質と物質があったその場所も一緒に消えていたのだ。空間は対消滅によって蝕まれていた。


 それは砂山に開けられたトンネルのようなものであった。小さな穴であれば砂山は崩れない。だがそれがだんだんと大きくなると砂山は自らの重さを支えることができずに崩れ落ちる。空間も一緒である。


 それが対消滅発電所崩壊の原因であった。

 人類は恐怖した。すでに世界は対消滅発電なしにはエネルギー需要を満たすことはできなくなっていたのだ。対消滅炉を止めれば自分たちの生活は成り立たない。だが、動かせばまた空間が崩壊してしまう。どちらに進んでも地獄が待っている。


 さらに追い打ちをかけるように崩壊によってさらに大きな崩壊が生じることが計算によって明らかになった。星が引き裂かれるような大崩壊。それはそのまま人類の終焉を示していた。


 このまま最後の繁栄というまどろみの中で死を受け入れようとする人々が居る反面で、根性悪いいくつかの集団が抵抗を諦めなかった。彼らはいくつかの計画を同時に展開した。それは少しでも人類生存の可能性を増やす試みでもあった。


 これらの計画は大きく分けて三つに別れた。一つは大崩壊を止めることを目指したもの。二つは大崩壊の範囲にある母星を捨てて新たな星で人類継続をめざすもの。最後は、崩壊し続ける世界から別の世界へ転移するものであった。


 神佐が所属したのは最後のものであった。


 Cプロジェクトと呼ばれたこの計画は、彼女の世界――物質世界から反物質世界へ転移を目指すものであった。それはある科学者が示した仮説にそっている。


 世界が生まれたとき、反物質と物質は混ざり合った状態だった。性質の異なるそれらはゆっくりと分離し反物質世界と物質世界に別れた。しかし、世界は完全に離れはしなかったそれは∞のように境界面を持つ世界であり、境界面からは少量の反物質や物質が漏れ出ていた。


 ∞の左側の世界が危機に瀕している。だから右側へ逃げる。Cプロジェクトの考えはとても単純であった。だが、これには二つの問題があった。


 一つは、世界間の境界をどのように越えるか。二つは、物質を反物質にいかにして置換するか。


 一つ目は、反物質炉を用いて空間に膨大なエネルギーを与えることで反物質と物質が分かれる以前の混ざり合っていた世界を部分的に作り上げる方法が採択された。空間転移装置と名付けられたそれを簡単に言えば、氷の壁を無理やり熱して、固体を液体に変える。固体の中は泳げないが液体の中で泳げる、という考えに近い。


 二つは、人の構造や建物の情報を記憶させた反物質量子コンピューターと反物質分子プリンタという倫理と人理に反した装置によって克服された。

 物質でできた人や建物をそのまま反物質世界へ転移させると物質と反物質が対消滅を起こす可能性がある。そのため、転移する人や建物を分解し構造を反物質量子コンピューターにデータとしてコピーする。そして、反物質量子コンピューターは転移したさきで反物質分子プリンターでデータ化された人や建物を再構成するのである。


 困難な問題であった。不可能とさえ思われたが、神佐たちはそれを克服した。


 プロジェクトが成功すれば、大崩壊によって死滅する人類を異なる世界で存続させることができる。それは世界を救う、と言って良いものであった。





 神佐の語ったことの四割もエリックは理解できなかった。


 しかし、彼女が語ったことは本当なのだろうと思った。神佐がエリックに教えた建築技術や知識はこの世界の技術体系とは異なるものであった。それを示したのが神か別世界の人間かの違いがあるだけである。


「……イエス。わからないけどそう言います」

「ありがとう。エリック」


 前を走る神佐の顔はエリックからは見えない。だけど、彼には今彼女がどのような表情をしているかありありとわかった。


 階段は唐突に終わりを迎えた。巨大な扉がそこにあった。侵入を拒むようなそれのまえで神佐は止まると「ここよ」、といった。エリックにはここが何かわからなかった。


「なにがあるんですか?」


「この先に反物質量子コンピューター『ICO』がある。不死者や不死者の王になったプロジェクト参加者のパーソナルデータはICOのなかに保管されている。再構築の失敗はそのデータに異常があるから。それを修復できれば彼らは人に戻れるはず……そう。きっと」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそういう、と巨大な扉の横に手を押し当てた。青白い光が手をゆっくりと包むと、感情のない女性の声が響いた。


『権限者を確認。神佐真夜技官主任の入室を許可します』

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