第16話
不死者の王は黙ってそこにいた。
身動きもせず、そこにいた。いや、身動きひとつできなかった、というのが正しいのかもしれない。
不死者の王の身体には幾振りの剣が突き刺さり、何本もの槍が壁と王を縫い付けていた。身体は上半身と下半身に切断され何十年もの間、王は拘束され続けていた。王はその孤独をどのような気持ちで過ごしたのかは分からない。彼に孤独を感じる知性があるのかさえエリック・コーウェンには判断のしようがなかった。ただ、分かるのは不死者の王は間違いなく化物である、という事実だけである。
その身体は何百、何千という人間を溶かし混ぜ合わせたような姿であった。丸太のように太い腕をよく見れば細い腕がいくつもいくつも重なりあって出来ていることが分かる。剣や槍が刺さった場所には数本の手が生えている。その手が戒めのような剣を引き抜こうと蠢いている。足元を見れば何本か剣や槍が転がっていた。王は決して黙って拘束されていたわけではない。
自由を求めている。
エリックは、身震いをした。
「哀れだな。もうこうなったら誰かすらわからないよ」
哀れみなのか。怒りなのか。神様は一切の感情を見せずに言った。その瞳は不死者の王を写(うつ)している。壁に磔(はりつけ)られた王を見て彼女はなにを思っているのか、エリックにはうかがうこともできなかった。
「あれが誰かだったら神様はどうするつもりですか?」
エリックは訊ねた。それはエリックの後ろに続くすべての仲間達が聞きたかったものであった。王立学術院の魔術師たちは彼らの君主であるルークラフト帝国第三代皇帝セシリア・ルークラフトから『不死者の王への攻撃や接触を禁じる』、と命令を受けている。それは傭兵団『赤椿の団』も同様である。彼らは神様が不死者の王に何かをしでかすようならそれを止めなければならない立場にある。
「……殺したい」
少し間をあけて神様は言った。そして、続けて「だけど、そうすればエリック達は困るのだろう。じゃー仕方がない。諦めて最上階に登るよ。私は神様よ。それくらいの寛容はもっている」、と胸を張った。それは誰の目から見ても虚栄でであり、彼女のない胸と同じくらい空虚であった。
「なら、こんな薄気味悪いところはさっさと離れましょう!」
エリックは神様の気が変わらないうちにこの場を立ち去ろう、とばかりに歩みを早めた。幸いなことに不死者の王の身体は完全に壁に打付けられているらしく動けそうにない。王の顔を見れば一つの核となる顔の周りに多数の顔がドロドロと塗りつけてあるようで、目は二つしかないが口は頬や顎にも生えている。
王の双眸は確かにこちらをとらえていた。だが、反応はない。いくつもある口は真横に結ばれ開く気配はない。それが王の不関心によるものなのか。神様のような寛容なのかは神のみぞ知る、と言えた。
一番に不死者の王の御前を通ったのはエリックであった。
王からできるだけ距離をとって進む。濁った瞳に自らの姿がうつる。腕や足、胸に生えた細い腕が動くたびに彼は緊張して身構えたが王は無関心であった。エリックなどいようといまいが構わない。そんな超然とした印象を与えるほど王は無反応であった。
エリックは緊張と恐怖で汗の滲んだ額を手で拭うと、後続に手で合図を出した。その姿を見てアルフレッド・アクロイドやジョエル・イーサンといった傭兵団や学術院の面々が胸をなで下ろす。その姿を横目に神様が歩き始める。周囲では傭兵や魔術師が「静かにですよ」とか「約束ですからね」、と小さく釘をさす。
「ノープログレムだよ」
彼女はそう言ってエリックが歩いたあとをなぞるように歩いていく。
不死者の王は神様に対しても無関心に見えた。エリックはもしかすると王はすでに視力を失っているのではないか、と思った。百年近い時間は不死の化物にも老いをもたらしたのではないか。その白濁した目はとっくの前に光を失っているのであれば前を歩くことくらいなら気づかれないに違いない。
神様は不死者の王を意味ありげに睨みつけたが、なにかをすることはなかった。
彼女がちょうど王の眼前を過ぎたときだった。王の太い腕からはえる小さい腕や手がぴたりと動きを止めた。それは時が止まってしまったようにさえ感じられた。一瞬の停止。不死者の王は黙り続けていた口を大きく開いていた。
エリックは塔を揺さぶるほど低い叫びを聞いた。
数名の傭兵や魔術師が小さな悲鳴をあげて耳を押さえる。また別のものは剣や杖を構えて体をこわばらせる。不死者の王は体のいたる場所に生まれた口を大きく開いて声を上げていた。それは低い唸りにも悲鳴にも断末魔のようにも聞こえた。
「神様!」
エリックは彼女を呼んだ。不死者の王は何かを叫んでいるが、拘束が外れたわけではない。その手が届くわけでもない。はやく彼女がその場を離れれば問題はないはずだったのだ。
「エリック」
エリックの声に反応して神様が走り出そうとしたときであった。それは誰の耳にも聞こえた。
「か……みさ……ま」
それは不死者の王が初めて発した言葉らしい言葉だった。そして、その言葉は神様の足を止めるには十分だった。神様は王の方を振り返っていた。
「なぜ……なぜ、お前が私を知っている?」
見開かれた神様の瞳は驚きの色がありありとうつされていた。彼女の声を聞いた瞬間、王は動き出していた。動きを止めていた無数の小さな腕は弧を描いて振り回され、小さな手は全身に突き刺さる剣や槍を強引に握り締めていた。ちぎれていた上半身と下半身をつなぐように幾つもの細い体が生まれ、失われたものを取り戻すために生えては崩れ、またそこから新しい体が生まれた。
「さま……よ……」
不死者の王は間違いなく神様をその視界におさめていた。
神様は再び立ち上がろうとしている不死者の王に対して無言で拳を振るった。エリックも他の誰も彼女を止められなかった。本心を言えば止めたくなかったのかもしれない。もし、神様が王を殺してくれるのなら自分たちは今よりも怖い思いをしないですむ。そう考えなかった、といえば嘘になる。
それほどに王の鳴動は彼らに恐怖を与えていた。
神様の拳は王の分厚い身体を貫くように振るわれた。彼女の拳がとおったあとは砂の城を崩すように霧散していた。毒蛇に噛まれるとそこからボロボロと壊死していくように王の身体は灰白色の砂塵へとなっていった。
神様は上半身がすべて砂の山に変わったのを見届けてから下半身を同じように砂山へと変えた。そのとき、彼女がどのような表情をしていたかエリックにはわからなかった。彼の視線は彼女ではなくずっと崩れてゆく王の方を向いていたからだ。
「エリック……ごめん。無理だった」
神様は王の残り滓(かす)を一瞥(いちべつ)することもなく彼のもとへ歩み寄ると謝罪を口にした。それはきっと謝るべきことではなかった。あの場にいた全ての者が思っていた。王命よりも生き残るために戦わなければならない。だから、きっと彼女が手を出さなくとも誰かが手を出したのは間違いない。ならばそれはただの時間の差に過ぎない。
「……いえ……」
ありがとうございます、そういえばいいのか。どう答えればいいのかエリックには分からなかった。だが、分かっていることはある。もう、この場には障害になるものはない。この通路の奥にある階段を登れば目的地にたどり着くのだ。
「行こう……。もう少しだから」
神様は歩き出していた。それは、勝者のものとは思えないほど疲れた声であった。
エリックは慌てて彼女の後ろを追いかけようとしときだった。背後で大きな声がした。それはアルフレッドのようでもあったし、ジョエルのようでもあった。ひょっとしたら両方だったのかもしれない。
それはただ立っていた。
土色の肌に男性としてはひ弱いと思える細い身体。眼には生気はなく。その顔は王の威厳はなかった。どこにでもいる中年男性、と言える顔がそこにはあった。崩れ落ちた王の残骸からその男は生まれていた。
「なっ。これは不死者の王なのか」
エリックは男を見て後退りをした。倒したはずの不死者の王がそのまま蘇ったのなら彼はここまで驚かなかったに違いない。だが目の前に現れたのは王とは比べ物にならない貧弱な体つきの中年男性だった。魔法を用いればすぐにでも倒せる。そう思いながらもエリックは攻撃できなかった。
それは神様も同じであった。いや、彼以上に彼女は驚き。そして恐怖していた。
彼女はその男を知っていた。
彼の元で彼女は働いていた。
彼にもうすぐ子供が生まれることを知っていた。
彼が生まれ来る子供に会えなくともプロジェクトに参加していた理由を知っている。
それは生まれてくる子供と一緒に生きるためだ。
そのために彼は世界を救おうとしていた。
だが、結果は失敗だった。
彼女は叫んでいた。叫んで叫んで喉が破裂しそうだった。魂のない男の身体を何度も何度も殴りつけた。
男の身体は元素まで分解された。人体を構成する炭素やカルシウム、リンや硫黄そういった物質が砂のように足元に広がる。だが、それらはすぐに結合を繰り返し男の身体を再生した。
神様は思い知らされた。
救いなどなかったのだ、と。
叫ぶ気力も拳を振るう気力もなくなったとき、彼女は両手を地面について座り込んでいた。頭を下げてただ地面だけを見ていた。それは神に頭をさげる人間の姿に似ていた。
地面にへばりついた彼女の首筋にひやりとした手が触れる。その手はゆっくりと力を強める。首を絞められたまま彼女の体が地面から離れる。男性の顔には表情はない。怒りも悲しみも感じられない。だが、その手は間違いなく彼女を殺そうとしていた。
「ごめんさい。私だけが生き残って……ごめんなさい」
神様の声は男には聞こえなかったかもしれない。だが、彼女はそれでいいと思った。これが運命なのだ。最初から終わっていた。世界を救うなどと身の丈に合わないことを行った。それが罪だったのだ。神様はそう思い諦めた。
首にかかる力が強まる。完美な死が甘い声を囁いていた。
だが、その甘い歌声は無粋な叫びによってかき消された。鈍い衝撃と一緒に首にかかっていた力が失われる。彼女はそのまま地面に落ちる。だが、衝撃はほとんどなかった。暖かい手が彼女を支えていた。
「神様。大丈夫ですか!」
エリックの声が聞こえる。
「おい、お嬢ちゃん!」
野太い声はアルフレッドのものだった。そのほかにもいろいろな声が響く。目を開ければ傭兵や魔術師達が彼女を囲んでいた。視界の端では傭兵や魔術師が男を警戒している。男はその手から救い出された命の名を呼んでいた。
「かみさ、まよ……」
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