第15話

 四十五階は時間の経過や戦闘で廃墟の様相を見せていた。

 しかし、かつてここは美しいレストランだった。

 黒檀の大きな食卓に革張りの椅子が並び、白亜の円柱が周囲を飾る。部屋のあちこちには真っ赤な装飾傘の付けられたランプが優しい光を人々に届けていた。食卓には美膳美酒が並び、人々は楽しい時間を過ごした。ここで最後の宴がおこなわれたのは壮行会のときだった。


 それは彼女にとっては半年前だが、目の前に広がるここは百年近い時間が経っている。昔話の浦島太郎がいるならいまの彼女とならよき理解者になってくれるかも知れない。神様はそう思って少し笑うと目の前に近づいてきた動く屍を蹴り倒した。


 かつてここにいた着飾った紳士淑女はいない。かわりにいるのは青白く変色した肌に虚ろな目をした動く屍だけである。蹴り飛ばされた動く屍をみればボロボロになっていたが衣服が少し残っている。

 白かったであろうワイシャツは黒く煤け、所々がすり切れている。スラックスは引っ掛けたり擦れたのかほぼ原型を留めていない。ただ、一つ動く屍の胸元についたネームプレートだけがかつての名前を示していた。


『津田』


 彼女は少しだけ考える。どこの部署の人間だろう。

 だが、答えは出なかった。かつてエリック・コーウェンたちが双角の塔と呼ぶ超高層建築には三千人近い人間が詰めていた。その中に津田という人間がいたのかさえ彼女には分からない。部署が違えば知り合うことさえない。それが彼女の所属していた組織の特徴だ。だが、津田とよばれた彼か彼女は確実にいたのだろう。


「次に会ったら謝罪します」


 神様は倒れた動く屍の頭を掴むと地面に叩きつけた。頭蓋が砕けるような鈍い音と一緒に彼女の手から青白い光が発せられる。光は動く屍を侵食してゆく。光は動く屍を灰色の塊へと変えていった。


「神様! 大丈夫ですか?」


 エリックは慌てた顔で神様にかけよった。彼女は手のひらについた灰のような屍の残骸を払うと、冷たい視線を彼に向けた。彼の背後では魔術師や傭兵が塔に穿たれた開口部から続々と侵入を続けている。幸いなことに開口部の近くに動く屍の姿は見えない。だが、彼ら以外の何かが動く音は聞こえる。


「ノーダメージだよ」

「ならよかったです。神様が突っ込んでいくので肝を冷やしましたよ」

「冷やすなら肝よりもアイスがいいね」


 口だけの冗談を言うと、神様は歩き始めた。彼女は自身が不機嫌になっている自覚があった。

 彼女の背後ではエリックがキョロキョロと周囲を眺めている。彼が足を踏み込んだことのある一階とここ四十五階ではまったく印象が違う。まるで別の建物に入り込んでしまった気さえするに違いない。


「ここは一体なんですか? まるで王宮の会食堂のようですけど」

「正解だよ。四十五階『ベストビュー帝都』。最高の夜景と最上の料理が出てくるレストランだった場所だよ」


 魔術師や傭兵たちもエリックとほぼ同じ感想をもったようで、あたりを見渡しながらひそひそと潜めた声で驚きを口にした。


「馬鹿野郎! ここは戦場だ。驚いてる暇があったらちゃんと索敵に集中しろ」


 大きな声が部屋に響く。声の主は傭兵を束ねるアルフレッド・アクロイドであった。彼は大剣を肩に担いだ姿のまま仲間の傭兵をどやしつけると視界を遮る机や棚の影を警戒させた。


「団長。ケビン班は右を押さえます」

「なら俺たちは左を」

「弓兵は机の上でもいい。視界を確保しろ」


傭兵の目まぐるしい動きの変化はすぐに魔術師たちにも伝播した。


「アレン、ディーンは開口部を守れ。他は俺と一緒にかわいこちゃんがいないか探検だ」


 やや強ばった声で王立学術院から派遣されている魔術師をまとめているジョエル・イーサンが言う。魔術師たちは一人のお調子者が「今度は美人局じゃないといいですね」、と言っただけでほかの者たちは黙って隊列を組んだ。


 ちょうど、隊列が組み上げられたときだった。

 重ねた机の上に陣取っていた弓兵が敵を見つけた。一人の弓兵が「敵!」と叫ぶと周囲の兵から数本の矢が放たれる。矢は放物線を描いて隠れていた動く屍に突き刺さる。だが、痛覚はないのか彼らは平然と歩みを止めない。


『それは重さなき壁。だがその灼熱はすべての歩みを押しとどめる!』


 ジョエルが呪文を詠唱する。彼の指先から生み出された青白い光はたちまちに真っ赤な炎へと姿を変えた。動く屍は炎に包まれて初めて動きを鈍くしたが、敵意を失わなかった。炎をまとったまま暴れる屍の爪や足に打たれて数人の傭兵が負傷した。それでも、アルフレッドと数名の傭兵が四肢を断つと、屍は身をよじりながら燃え尽きていった。


「くそ、どんだけしぶといんだ」


 アルフレッドは息を切らし胸を押さえる。幸い負傷した傭兵の傷は深くない。しかし、彼らの姿を見て彼女は決意を決めた。


「エリック。もう、ここで大丈夫だよ」

「何がですか?」


 彼女はエリックの察しの悪さに苛立ちを覚えたが、表情には出さなかった。逆にできる限りの微笑みを彼

に向けた。


「ここから上層に上がるのは私だけでいいってことだよ」

「一人でなんて無理ですよ。この先にはまだ不死者の王だっているのに!」


 エリックは当惑した表情で彼女を見た。それは心から心配しているようであった。また、彼女の声が聞こえていた数人の傭兵や魔術師もよく似た表情を彼女に向けた。


「いま、のを見たでしょ? 私一人ならいくらでもあの屍を殺せる。だけど、あなたたちはそうはいかない。たった一匹倒すのにだって苦戦している」


 事実を言われて彼らは押し黙った。

 彼らが動く屍を殺すためには動けなくなるまで切り刻むか燃やし尽くすしか術がないのである。触れるだけで屍を殺すことができる神様との差はあまりにも大きい。


「それでも神様を一人で行かせるわけにはいきません」

「エリック。君はちゃんと私をここまで連れてきてくれた。そして、私は君に高層建築を作るために必要な技術を教えた。私たちの約束は果たされたはずだよ」

「いいえ、約束は頂上に連れいくことです。だから、ここで神様だけを行かせて約束を果たした、とは言えません」


 エリックは断言した。

 神様はこの朴念仁を怒鳴り散らしてやりたかった。


「なら、はっきり言うね。あなたたちが足でまといなんです。もう少し戦えると期待したけどまったく期待はずれ。だから、ここで引き返してってことだよ」


 とびきり優しく明るい声で彼女は彼らを突き放した。

 これで彼らが怒って帰ってくれればいい。彼女はそう願っていた。


「それでも俺は帰りません。頂上まで行きます」


 エリックは引き下がらなかった。どうして彼がそこまで意固地になるのか彼女には分からない。好き好んで命を危険にさらす必要はない。彼にはすでに必要な知識を与えている。あとはそれを工夫することでエリックはこの世界の建築史を変えることができるのである。


「しつこい」


 神様は怒りにまかせて彼の頬を平手打ちした。しかし、その手は彼に届かなかった。二つの大きな手が彼女を押さえていた。


「悪いんですけど、俺らも王命であなたが不死者の王に手を出さないように見張る必要があるんだ。だから、ここで帰れって言われても帰れない」

「お嬢ちゃんには悪いが俺らもまだ傭兵として代金をもらってるんだ。お前さんとそこの調査官殿を守るようにってな。だから、そいつは聞けねぇ相談さ」


 ジョエルとアルフレッドは人の悪い笑顔で神様を見た。


「なんのつもり? 別に私は屍だけを殺せるってわけじゃないんだよ」


 刃を突き立てるような言葉の調子で彼女は二人に言った。


「と、言われてもね。引くに引けないというか」

「俺は雇い主が嫌だと言ってる以上は逃げれんだろうさ」


 二人は彼女と目を合わさずに言う。


「団長、敵! 子供の喧嘩はよそでやってもらえますか!」


 傭兵団の一人であるケビンが叫ぶ。神様たちが争っているうちに、新たな動く屍が三体近づいていた。何も映らない漆黒の瞳の持ち主たちは無感情な顔のまま大きな口を開けると彼らに襲いかかる。


「ケビン! いけるな。ヘボ傭兵団の力を見せろ」アルフレッドは神様の手を離すと戦斧を片手に飛び出した「そういうわけだ。お嬢ちゃんには悪いが俺たちにゃ意地があるんだ」


「ちょっと!」


 神様が不平を述べる前にアルフレッド達は戦闘に突入した。彼らの攻撃は単純で弓兵が屍の手足を射抜き、歩兵が移動力のなくなった屍から腕や口という攻撃手段を奪っていった。単純な攻撃であったがそれだけに個々が自分がなにをすべきかを理解していないとできない高度な連携であった。


 二体目の屍が地に落ちたとき。弓兵がさらなる敵の発見を告げる。


「屍さらに二体。前衛は下がれ!」


 残る一体に攻撃を集中していたアルフレッドらは慌てて散開をする。しかし、一人の傭兵が逃げそこねていた。手負いの屍と新手の屍に囲まれる形になった傭兵は、壁を背にジリジリと後退をするが部屋の角に追い詰められた。


 弓兵が矢を射掛けるが、屍は動きを止めない。


「どいてなさい」


 声を発したときにはすでに彼女は駆け出していた。

 小柄な身をしならせて彼女は跳んだ。手負いの屍の首めがけて脚を振り下ろす。ぐらりと屍の首があらぬ方向へとへし曲がる。屍はそれでも腕を振り回して暴れまわる。


「うっとおしい」


 彼女は拳を屍のみぞおちに叩きつける。まるで砂山を崩すように彼女の拳が触れたあたりから屍は青白い光を発して崩れ落ちていった。残った新手の二体のうち一体はジョエルたちの魔法によって消し炭になっていた。


 もう一体は左腕の一部を残して床に取り込まれていた。


「建築師といえ俺も魔術師ですから、屍の動きを止めることくらいはできるんですよ」


 エリックは即席の魔法陣を描きながら言った。すべての屍が動きを止めたとき、彼女は息を激しく乱していた。


「神様! 無茶をしないでください。みんないます。神様だけが頑張る必要はないんです」


 エリックは彼女の肩を掴んでいた。邪魔をされた神様はエリックの手を弾くと怒りを込めた瞳で彼を見た。


「エリック。私は私の仕事をしようとしてるんだよ。君たちの仕事は塔を作った時点でほぼ終わっている。だから……」


 深い怒りを押し殺したように話す神様の言葉をエリックは遮った。


「俺の仕事は終わってません。俺の仕事は神様を最上階に連れていいくことです」

「私の仕事がこの先にあるというのにエリックは頑張るな、というの」

「ええ、そうです。俺は神様と約束しました。あなたを頂上へ連れて行くと。頂上に行く前に神様が倒れたら俺は約束を果たせません。神様の仕事が頂上にあるというならそこまでは静かにしていてください」


 神様は彼に何かを言い返そうとしていたが、その前に多くの声が差し込まれた。


「お嬢ちゃんだけが頑張ると俺たちが雇われた意味がねぇんだけどな」

「そうだね。お嬢さんだけを戦わせて、というのはカッコがつかないよね」

「あんまり前に出られると矢を撃てないんですけど」


 みんなに好き勝手言われて神様は露骨に不機嫌な顔をした。


「あーー、もう、勝手にすれば! 人使いが荒いとか。給料が安いとか。労災認定してくださいなんていっても認めないからね。あとで後悔すればいいよ」


 年相応に怒りを撒き散らすと彼女は少し笑った。その周囲では笑いをこらえた傭兵や魔術師がいたが、エリックだけが「馬鹿」、と言って殴られた。エリックは「みんないますから」、と答えた。彼が浮かべていた笑顔が気に食わなくて彼女はもう一度だけ彼を叩いた。


「神様。痛いんですけど」

「人の思いやりを無下にするやつは痛いくらいで丁度いいんだよ」


 周囲にほかの屍がいないか確認しながら神様たちはレストランから上層へと続く階段のある搬入路の扉を開いた。扉が開くとかび臭い匂いが広がる。そして、それはそこにいた。塔の攻略を試みた皇帝達が付けた傷とともに壁に打ちつけられ、身動きが取れない不死の王。


 王は新たな闖入者を見ると低い声をあげて吼えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る