第14話

 そこはまだ空の半ばであった。雲にはまだ手は届かないが、地上に見える王都は子供の玩具のように小さく見えた。エリック・コーウェンは叫びたい気持ちを押さえていた。幼い頃に夢見た第一迷宮『双角の塔』の頂上からの風景。それに一番近い風景がここ――登頂者の塔には広がっているのだ。


「どうだ! 建てたぞ!」


 そう叫びたいのはエリックだけではないらしく周囲を見れば、建設に従事した傭兵団『赤椿の団』や王立学術院の連中がどこか誇らしいような顔で王都を見下ろしている。なかには高さに腰が引けているものもいるが、それを笑うものはいない。


「エリック。ちょっといいか」


 そういってエリックに声をかけたのは学術院の同窓生であったジョエル・イーサンであった。学術院をでたあと建築士となったエリックと異なり彼はいまも学術院に残り後進の育成に勤めている。今回は怪我で動けない上司であるロナルド・ベーコンの代わりに学術員の魔術師や錬金術師をまとめている。


「なんだ、ジョー。真面目な顔をして、懸想(けそう)していた女魔術師にでもフラれたか?」


 いつもは飄々としているジョエルが真面目な顔をしていることをからかうと、眉間の間を指ではじかれた。軽い衝撃が頭を揺らす。エリックは彼を睨みつけた。


「エリック。いまはマジだ。冗談は後にしよう」

「なんだよ……」


 いつもと雰囲気が違う友人にエリックは少しの不安を感じた。


「いま、王宮から陛下の使いが来た。不死者の王には一切の手を出すな。それが俺たちに与えられた命令だ。ついでにいえば、手を出す者がいればそれを邪魔、いや殺すことも命令のうちだ」

「俺が不死者の王に手を出すと?」

「お前じゃない。あっちのお嬢さんの方だよ」


 ジョエルは目線だけで塔の端に座っている神様を指した。

 塔の上を吹き抜ける風が神様の黒い塗料で染め抜いたような髪をなびかせる。それを片手で押さえる彼女の物憂げな表情からは何を考えているのか見当がつかなかった。


「神様……」

「赤椿の連中から聞いた。あのお嬢さんは『動く屍も不死者の王も私が始末する。それは私の義務』って言ったらしいな。それが本当なら俺らは止めざるを得ない。どういう手を使ってもだ」


 確かに神様はそう言った。そして、かつて彼女が動く屍を一瞬で砂塵に変えた姿をエリックは見ている。


「本気か。いや、本気だよな。お前は冗談は言うが嘘はつかない」


 同じ釜の飯を食った間柄だ。彼の言わんとしていることは分かった。彼だって神様を殺したくないのだ。ここまで一緒に塔を建設した仲間なのだから。だが、仲間である前に彼は陛下の忠実な臣下であるのだ。


「エリック、約束しろ。あのお嬢さんに変な動きをさせないと」

「……ジョー。できるだけそうする。だけど約束はできない。神様は俺との約束を果たすためにこの塔を建てる知恵を与えてくれた。なら、俺は彼女とした約束を果たさなくてはならない。言ってしまったんだ、あなたを頂上へ連れて行くと」


 ジョエルはじっとエリックを睨みつけた。そして、表情を緩めると「この馬鹿野郎」、と苦笑した。


「エリック。こういうときは嘘でも任せておけ、といえ」

「すまない」

「……昔からだ。天才肌の学年主席と次席のお前の尻拭いをするのはいつも秀才の俺だ」


 彼はわざとらしい怒った顔をすると、切り替えた口調で「なにかあれば不測の事態で止めることはできませんでした、で押し通す。お前は最低でも首が繋がるようなよい言い訳でも考えとけ」、と言った。


 思い返してみればそうだったのかもしれない。エリックは学術院時代を思い返し微笑んだ。


「秀才のジョーがいないと何もできないのが俺たちだったよ。任せておけ、いざとなれば学術院一番のナンパ師であったお前でも驚くような言葉で皇帝陛下を口説くよ」

「あーやだやだ。貧乏くじだ」


 ジョエルはエリックに微笑み返すと周囲にいた魔術師を集めた。


「これから第一迷宮『双角の塔』にはいる。俺たちはできるだけ戦闘を避けながら、調査官と自称神様を塔の頂上へ送り届ける!」


 彼が号令をかけると、魔術師たちは少しニヤついた顔をした。


「講師。その顔はまた貧乏くじですね」

「ジョエル先生は、悪運はあっても幸運には恵まれない。薄幸体質だからな」

「そういえば、美人局(つつもたせ)に引っかかってボコボコにされたってホントですか?」


 魔術師たちの多くはジョエルの教え子である。彼らは知っている。ジョエルは決して突出(とっしゅつ)した魔術師ではない。扱える魔力の総量も大したことはない。だが、彼は誰よりも多くの呪文や紋章をその頭に記憶している。


 彼は経験と知識において並を超えていた。それは天才だからではない。ただひたむきに積み重ねた結果である。ゆえに彼ら魔術師はジョエルを尊敬し慕っていた。


「うるさい。騙されてボコボコにされましたのは事実だが、今回はそういうのはなしだ。危なくなったら即撤退。ここは戦場でもないし、ましてや麗しい美女が見ててくれるわけでもない。張り合いのない場所だ」


 ヤケ気味の口調でジョエルが言うと皆が笑った。


「違いないや。でも、講師なら動く屍も口説けるんじゃないですか?」

「ありえる! それなら美人局に合うこともないしな」

「馬鹿。傷をえぐるなよ。あれで講師は繊細なんだぞ」


 軽口が飛び合うのは、これからそんな口も叩けなくなる。そういう予感があるからだ。ジョエルは教え子たちが好き勝手言うのを止めなかった。同時に誰ひとりかけることなく帰らせたい、と願った。


 魔術師たちが軽口を言い合うのを横目に、赤椿の団団長であるアルフレッド・アクロイドは塔の隅で震えている団員の肩を強く叩いていた。


「腰でも抜けたか?」


 肩を叩かれた団員は落ちるとでも思ったのか。大きな声を上げて塔にしがみつくように座り込んだ。


「な、何するんですか!? 落ちたらどうするんです!」

「なぁに今回の件にいの一番に賛同したのはケビン。お前だからな。どういう顔してるのか見に来たのさ」


 アルフレッドは白髪まじりのあご髭を撫でて言った。ケビンはおっかなびっくり腰を上げるとゆっくりとアルフレッドを真っ直ぐに見つめた。


「最高じゃないですか。こんな風景、きっとそうそうお目にかかれません。見せられるなら子供や妻に見せたいもんですよ」


 塔から見える傭兵団本部の建物は小石ほどで目を細めなければ見えない。妻と子供がいる家はといえば大体の位置がわかるくらいでこれと判断することさえできない。


 戦場を駆けていたとき、いろいろな場所を転戦した。広い平原。破壊された都市。いまにも滑落しそうな細く切り立った山脈の尾根。それらすべてと違う風景がここにはあった。見上げれば青い空と雲。下には自分たちの王都がある。なによりもここは血の赤で穢されていない。


「可笑しいもんだな。いまからドンパチ始めようっていうのにここは随分と平和にみえやがる」

「団長。俺は思いましたよ。剣の誉れ意外にも誉れにはいろいろなものがあるのだと」


 ケビンは熱病にうなされる若者のように顔を赤らめていった。


「そうだな。これが終われば俺たちは本当にあのお嬢さんのいうゼネコンとか言うものになれるかもな。赤椿組なんてどうにも締まらねぇ気がするが」

「いいじゃありませんか。今だってたいしてきまった名前じゃないですよ」

「言うじゃねぇか。俺の決めた名前がカッコ悪いとか」


 アルフレッドはケビンの頭にゴツゴツした手を乗せると力任せに撫でた。ケビンは「やめろ、危ない」、と叫んでいたが彼は気にしなかった。あたりを見れば団員たちが集まってきている。彼らはアルフレッドの

顔を見るとニッと笑った。


 不死者の王なんていう化物がいる場所に行こうというのに馬鹿な連中だと思う。

 だが、その棟梁が誰かといえばアルフレッド自身なのである。自分も馬鹿なのだろう、と彼はため息をついた。


「お前ら、とりあえずはご苦労さん。ここじゃ酒もなければ飯もねぇ。とっとと調査官殿と神様モドキを頂上に送り届けて、王都で豪遊だ」


 若い傭兵たちが口笛を吹く。なかでも一番若い傭兵が口を開く。


「団長の奢りですか?」

「馬鹿野郎。俺が出すかい。あそこにいる調査官殿に出してもらうのさ」


 アルフレッドはクレーンの腕の部分に立っているエリックを指差す。彼はこちらを見ていないらしくアルフレッドたちの視線が注がれていることにも気づいていない。それでも傭兵たちには関係ないらしく彼らは歓声を上げた。


「あと、なかには不死者の王とかいう化け物がいるらしいが、そいつを倒しても報酬は増えない。むしろ、攻撃すんな、と王宮から連絡があったそうだ。金にならんことは逃げていいからな」


 歓声を上げていた傭兵たちが急に静かになる。ルークラフト帝国初代皇帝モルドレッド・ルークラフトが唯一倒せなかった怪物がいる。それは恐怖であるとともに国民の誰もが知るおとぎ話との遭遇であった。


「逃げていい戦いなんて聞いたことねぇや」

「いいじゃねぇか。楽でよー」

「ちげぇねぇや」


 消沈してもすぐに騒ぎ出す。それが傭兵魂だとアルフレッドは思う。貴族や騎士とは違うのだ。お上品で気取っていて怒りも泣き言も吐き出せない窮屈な連中には悪いが、自分たちは思うことを率直に言うことができる。


「まったくお前らはちょっとは静かにできねぇのかよ」


 アルフレッドはわざと気難しい顔を作ったが、すぐに彼らと一緒に笑ってしまった。神様を自称する少女の口車に乗った以上、それをどこまでも突き進めるしかないのである。視線を動かせば少女の姿はエリックとともにクレーンの腕の上にあった。


「エリック、準備はいい?」


 無表情に隣にやってきた神様はいつになく冷たく見えた。


「ここから入って三階登れば頂上でいいんですよね?」


 登頂者の塔から見える双角の塔はこの四十五階を区切りに窓一つない外壁が上に続いている。あるのは外壁から飛び出た巨大なきのこのような白くて丸い吐出部だけである。


「そう。たった三階を登るだけだよ」

「それで神様は仲間に会えるんですよね?」


 エリックは神様に尋ねた。だが、彼女は真っ直ぐに頂上を睨んだま答えなかった。


「帝都都庁舎第一本庁舎。高さは二百四十三メートル。いまから入る四十五階展望台の高さは二百三メートル。バブルの塔と揶揄されながらも帝都のランドマークであった私の職場。そして……方舟」


 回答の代わりに神様の口から出た言葉をエリックは理解できなかった。だが、彼女の真剣な眼差しとどこか寂しさそうな表情だけはエリックの心に焼き付いた。


「……神様、俺は」

「エリック。行こう。ゴールはすぐそこだよ」


 彼女はそう言うとクレーンの根元まで戻るとクレーンの腕を双角の塔にぶつけるように指示を出した。


「盛大に行きなさい。どうせ、カーテンウォールなんだから!」


 鉄製の腕がゆっくりと回転する。そして、激しい轟音とともに塔の壁面にぶつかった。壁はエリックが思っていたよりも簡単に壊れた。軽い金属音と大量のガラス片を地面に撒き散らして双角の塔への入口が作られた。


「ただいま。私は帰ったわ」


 静かに放たれた言葉は、高い空の上を誰に聞こえることもなく消えていった。同時に彼女の顔からも表情はすっかりと消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る