第13話

 日々成長を続けるその塔の姿を見るのは面白かった。


 ただ気に食わないことが二つある。一つは、彼らが試作している塔--登頂者の塔は鉄でできた不格好なもので勇壮さや華麗さなどとは程遠いものであること。もう一つは登頂者の隣に建つ第一迷宮『双角の塔』が嫌でも視界に入ってしまうことであった。


 ルークラフト帝国第三代皇帝セシリア・ルークラフトは、双角の塔に対する嫌悪感を鋭い瞳に込めた。先王皇帝エドワードに連れられてセシリアが双角の塔を登ったのはまだ十歳の頃であった。エドワードや護衛に守られてたどり着いたそこで彼女は異形を見た。


 異形にはいくつもの剣や槍が突き刺さり、それらが杭となって醜悪な物を繋ぎ止めている。


 上半身は赤紫色の腕がだらりと伸び不気味に脈打ち、顔の部分にはいくつもの顔や顔の出来損ないのようなものが瘤(こぶ)のようにボコボコと浮き上がっている。口から見える歯は、鮫のように二重三重にも生えている。


 下半身は肥大した筋肉と瘢痕(はんこん)のような盛り上がりがいくつも重なり、足の途中から生えた手首が何かを求めるようにバタバタと動いている。それは巨大な何かが多くの人を丸めて作った肉団子のようだった。


「セシリア。これが初代皇帝モルドレッドが殺すことができなかった不死者の王だ」


 そう言ってエドワードは持っていた剣で下半身を斬りつけた。赤黒い血が噴き出た。脚に生えていた手の指が数本切れたのか一緒に地面に落ちる。落ちた指はしばらくの間、痙攣するように動いていたがしばらくするとその動きを止めた。


 切り裂かれた傷口からは粘度の高い血が流れ出ていたが、それもすぐに噴き出すように生まれた筋肉と脂肪に覆われてしまった。その姿は醜く生に縋りつくようでセシリアに不快と嫌悪を与えた。


「これが……不死者の王。お父様でもこの化け物を殺すことはできないのですか?」


 多くの神器を所有するエドワードは他国を攻め取り、小国であったルークラフト帝国を一代で巨大な覇権国へと変えた。この大陸に残された国家はあと三つしかない


「切り刻み、燃やし尽くしてもこの不死者の王は甦る。まるで砂漠の砂を斬りつけるようなものだ」

「兄上たちと共に戦ってもですか?」


 エドワードには娘であるセシリアのほかに二人の息子がいる。リチャードとエドガーがそれぞれ神器を与えられ、大陸に残る三つの国家の一つであるシェーン王国を攻めている。彼らの神器とエドワードの神器、さらに彼女の神器を使えば不死者を掃滅できるのではないか、とセシリアは思ったのである。


 不死者が塔から出てくることはほぼない。だが、王都のすぐ隣にある双角の塔に住む不死者達が危険な隣人であることには変わりはない。


「そうだな。そうかもしれない。だけど、そのためにはセシーも強くならなくてはな」


 エドワードは娘の頭をそっと撫でた。

 その手は優しいものであった。だが、その表情は硬く厳しいものだった。


「お父様、私は強くなります。お父様や兄上たち。それに民のために。神器だってすべて使いこなして見せます」


 幼いセシリアは父に誓った。それをエドワードは子供の戯言(ざれごと)と思ったのか。娘の大言壮語と笑ったのかは分からない。だが、事実として彼女は強くなった。大陸を統一し、すべての神器はことごとく彼女のもとに集められた。彼女は皇帝になったのだ。


 この世界に二人とない権力者。それに伴う大きすぎる義務と責務を預かる者、それがセシリアだった。


 皇帝なったころだろうか。自分が孤独だと感じたのは。


 世界には自分と同じ人間はいない。それどころか彼女と競う相手もいない。誰もいないのだ。

 あるのは皇帝としての日々だけである。彼女はいつしか王宮に自分が囚われている、と思うようになった。同時にそれは双角の塔に囚われている不死者の王への嫌悪の種類を変えてしまった。


 かつてはその醜悪の姿に嫌悪した。しかし、いまは違う。自分は義務や責務という刃で囚われ、かの王は剣と槍で囚われている。


 何が違うのか?


 どちらが楽なのだろう?


 そう思ったときからそれは同族嫌悪に変わった。


 彼女が双角の塔よりも高い王宮を求めたのはただ一つ、不死者の王を下に見たかったからだった。そうすることで違うと思いたかった。決して自分と化け物は一緒ではない、と。


「皇帝陛下。建築士エリック・コーウェンが双角の塔頂上へ調査へ向かうとのことです」


 背後で老人特有のしわがれた声がする。彼女にはその声の主が老侍従である、とすぐにわかった。


「セバス。エリックには伝えたじゃろうな?」


「セバスチャンにございます」老侍従は平坦な声で言うと「お言葉どおり、不死者の王への攻撃や接触を禁じる、と申しました。同行の学術院の魔術師や傭兵団にも伝えております」


「そうか」


 セシリアはセバスチャンのほうを向くことなく頷いた。この老侍従が伝えた、というのである。几帳面な彼の性格を思えば一言たりとも誤らずに伝えたに違いない。


「陛下。少し気になることが」


 老侍従が声をひそめる。


「申せ」

「建築士の元に怪しき者がおりました。『神様』などと呼ばれる。その女は双角の塔から現れたとか。一応、学術院の魔術師には不死者の王へなにかするようなら処置を行うように伝えております」


 セシリアは学術院の顧問であるロナルド・ベーコンが試作の塔を披露した際にエリックの傍にそれらしき女性がいたことを思い出した。年のころは自分と変わらない少女だ。真っ黒な髪は夜の闇を切り取ったように美しかった。


 だが神であるようには見えなかった。彼女はどこまでも人間であるようにだったからだ。それでも双角の塔から現れた、と言われれば怪しさを感じないわけにはいかない。


「セバス。お前から見てその女は不死者に見えたか?」

「いいえ、不死者には見えませんでした。ただ……」


 老侍従は言い淀んだ。セシリアはそれを珍しいことだと思った。


「ただ、なんじゃ?」

「ただ、神様にも見えませんでした」

「神などいても何もせぬだろうにな」


 セシリアはからかうように言った。


「はばかりながら、あの女の知識によって登頂者の塔はできたといいます。なにか思惑があると考えてよいかと」 

「……それが不死者の王を解き放つことなら」


 ただでおくことはできない。


「エリックらを止めますか?」

「よい、だが近衛には準備をさせておけ。もし、不死者が塔から出ることがあれば民が危ない」


 老侍従は静かに首を垂れると、音もなく消えた。

 いっそのことならば出てきてくれれば良い。セシリアはそう思った。


 そうすれば、民のためと言い訳をして不死者の王を殺すことができる。同族嫌悪の種は消えてようやく本当の孤独がやってくる。それはいまより心静かなものになるに違いない。人の王はすべて殺し尽くした。そこに異形の王を加えるだけだ。


「愉しみではないか。この世界に残る最後の王と会えるなら」


 彼女は視線を双角の塔へ向けた。その隣には鈍色をしたか細い鉄の塔がそびえている。あのうえから見る景色はどのようなものだろう。

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