第11話
「ご安全に!」
この奇妙な挨拶も使い始めて十日も過ぎると慣れてくる。王都から半里離れた第一迷宮『双角の塔』の足元では傭兵団『赤椿の団』と帝国学術院から派遣された魔術師が慌ただしく働いている。かつては、戦場で剣や杖を振るっていた彼らだがここでは剣は鍬へ、杖は測量器具へと姿を変えている。
変われば変わるものだとエリック・コーウェンは思う。傭兵団はもとより帝国学術院さえも元々は戦争のための組織である。強力な魔術師はそれだけで強力な武器になる。敵を攻撃する魔法はもとより、土塁を築くような守りの魔法も戦場では必要であったからだ。
そのなかで築城や陣地構築に特化した教育を受けたのが彼のような建築士と呼ばれる魔術師である。彼ら建築士がその技術を純粋に建築に向けられるようになったのはごく最近である。ルークラフト帝国二世皇帝エドワードは各地に現れた迷宮から持ち帰った『神器』と呼ばれる桁外れの魔道具を戦争に投入した。
神器の登場は軍と軍の争いから個人と軍の戦いへと戦争を変質させた。神器を持つ人間一人で数万の敵兵を打ち破ることができる。神器の威力の前にはどのような魔法も対抗ができなかった。結果として建築士の戦略的価値は薄れ、商家や公会堂、邸宅を建築することが多くなったのである。
昨年、帝国は大陸に残っていた最後の国ランベル王国を滅ぼした。
そのときの光景はエリックの目に焼付いている。深紅の炎に揺れる銀髪の少女――皇帝セシリア・ルークラフトは圧倒的な破壊にも甘美な勝利にさえも顔色を変えなかった。
「エリック! サボってるんじゃないよ。塔に登るための塔を作るための基礎工事は今日には終わらせるんだよ」
エリックは追憶から急に現実に呼び戻された。
ぶかぶかの革製の兜から流れる艶やかな黒髪。革靴もやや大きいのか歩き方がどこかぎこちない。その上に幼い顔立ちがよりこの場にそぐわない印象を与える。だが、彼女こそがこの場の現場監督である。
「神様。相変わらず似合いませんね」
革兜を指さすと彼女はふくれっ面で言った。
「似合う似合わないじゃないんだよ。現場では安全第一。ヘルメット、安全靴、手袋は必衰アイテム。安全管理は責任者の義務だよ。エリックも高層建築を志すならそこは注意しないとね」
彼女は革兜をかたくなにヘルメットと呼ぶが現場ではあまり浸透していない。だが、彼女がエリックに教えた人工的に岩を作る技術――コンクリートは現場に広く知られている。
「わかってますよ。だから俺もかぶってるじゃないですか」
「どうも、エリックは分かってない気がする。納期よりも安全。建てる前に事故物件にするとかありえないことだからね」
コンクリートを用いた建築の最初となるのがエリックらがいま行っている『第一迷宮双角の塔に登るための塔』の建設である。あまりにも長い名前から現場では登頂者の塔、という通称がついている。
「そうですね。最後まで誰も欠けることなくやりたいですね」
登頂者の塔は第一迷宮の四十五階部に直接乗り込むための塔である。つまり、不死者達が跋扈する迷宮をできるだけ通らないようにするための搦め手である。
「そのための塔建設だよ。強敵をいくら倒したところでレベルが上がるわけでもなければ、お金がもらえるわけじゃないんだし。ショートカットして目的地にたどり着ければ上等だよ」
神様は少し笑ったがどこか影があった。エリックは少し悩んだがかねてからの疑問を口にした。
「あの塔の頂上に何があるんですか?」
エリックが初めて神様と出会ったときからずっと彼女はそこにたどり着くことだけを目的としていた。不死者の王が守る、と言われる塔の頂上。そこにはなにがあるというのかエリックには分からない。
「……そうね。私の仲間がいる、きっと」
自分に言い聞かせるような言葉だとエリックは思った。それほどまでに彼女の言葉はゆっくりとして重いものであった。
「神様にも仲間がいるんですね」
「エリック。私だって一人ぼっちは寂しいのよ」
いつもは大人ように振る舞う彼女が少女のように言った。
「一人は寂しいですか?」
「ええ、とても。この世界に一人で残されるくらいなら、全滅しているほうがよかった、と思えるほどね」
強がりなのか冗談なのか彼女は微笑みを浮かべた。
その姿を見てエリックはやはり神様は自分が知る神とは違うのだと感じた。彼の知る神は一人で世界を作り、唯一無二の存在である。ゆえに神は常に孤独でそれを寂しいとは言わない。きっと寂しいとさえ感じない存在である。だが目の前にいる神様は、一人ぼっちは寂しい、という。
「なら、登るしかないですね。仲間に会うために」
「そのためにはエリック。君にはいっぱい働いてもらわなきゃね」
「俺ほど神様に従順な人間はいないと思いますけど?」
「嘘。エリックはどうにも私を子ども扱いして保護者面してる気配がある。それは従順とはいわないんだよ」
神様は少し頬を膨らませてそっぽを向いた。そういうところが神様らしくないのであるが彼女にはその自覚はないらしい。そういうところだけ見れば神様は年頃の少女と変わらない。だけど、彼女はエリックの知らない技術を多く知っている。ゆえに神様には違和感がある。根は老木で幹は若木、というちぐはぐな印象があるのである。
「神様がもっと大人っぽかったら俺も保護者面しなかった、と思いますよ」
「……、まぁあと二、三年すれば私はとても素敵な女性になるわけだよ。いまはどうしても知性が先行しているがね」
神も人と同じように成長するのだろうか、とエリックは疑問に思った。それは怒りを抑えてつとめて大人な物言いをした神様への敬意である。しかし、大人っぽい神様とはいったいどういうものなのだろうか。そんなことを考えていると後ろから野太い声がした。
「監督が二人そろってサボりとはいいご身分じゃねぇか?」
振り返るとそこには傭兵団の団長であるアルフレッド・アクロイドが立っていた。革兜と額の間には玉のような汗が滴り、手には大きな鍬を握りしめている。その姿は歴戦の勇士というよりも熟練の作業夫のように見えた。
「団長。お疲れさま。エリックがサボっていたので私が叱っていたところだよ」
両手を腰に当てると神様はその発展途上、という胸を張った。アルフレッドは怪訝な顔を浮かべると「そこでぺちゃくちゃ喋ってるんならかわんねぇよ」、とぶっきらぼうに言った。
「ミイラ取りがミイラになってしまった」
神様はばつの悪そうな顔をすると、エリックに謝っときなよ、と小声で言った。
「まぁいい。姉さんの言う通り迷宮の隣に大穴を掘ったぜ。学術院の連中もよくやってくれたが体力がねぇな」
アルフレッドはそう言って笑うと親指で作業現場を指した。見れば迷宮の隣に大人十人がすっぽりとは入れそうな大穴が口を広げている。その周囲では学術院から派遣された魔術師がぐったりと倒れている。その周囲では傭兵たちがかきだした土を運んでいる。
「やっぱり魔法というやつは万能ではないけど便利なものだね」
魔術師たちはこの十日間ひたすらに穴を掘った。魔法で地面を崩し、その土や岩を傭兵が運び、また地面を崩す。この繰り返しでどんどんと掘り進めたのが今の状態である。
「俺たちも相当に頑張ったんですがね」
神様が魔術師だけを褒めるような言い方をしたのが気に食わないのかアルフレッドが眉をひそめる。事実、彼の傭兵団はよくやってくれている。普段、学術院に籠っている魔術師の多くが疲労を口にするのに対して、彼らは文句言わず淡々と職務をこなしている。
「そうだね。傭兵団の人たちは文句も言わずにすごく頑張ってくれてるよね。まぁ、一人だけここでミイラ取りのミイラをさらに取るミイラになってるけど」
にやりと神様が微笑む。アルフレッドは何か言いたそうだったがぐっとこらえてエリックに訊ねた。
「次は例のコンクリートを流し込むんだったな?」
「そうです。この穴に鉄杭を打ち込んでそこへコンクリートを流し込みます。俺たちが登ることになる登頂者の塔が傾いたり崩れたりしないためにはこの基礎が堅固にできることが重要です。お互いの安全のためによろしくお願いします」
エリックは神様から教えられたことを思い出しながら言った。
「ああ任せといてくれ。内容がどうであろうが赤椿の団は雇い主を失望させねぇよ」
そういうとアルフレッドは次の仕事内容を伝えるために現場へと戻っていった。その後ろ姿に神様が「ご安全に!」と叫ぶと彼も「ご安全に!」、といった。その声はどこか楽しそうに聞こえた。
「エリック、よく覚えてたね」
神様は楽し気にエリックを見つめた。どうやら合格点は貰えたらしい、と彼は胸をなでおろした。背の高い建物を作るためには基礎は重く、上層は軽くしなければならない。そうしなければ建物は自重を支えることができないのである。
「それはもう。実例を見せてもらいましたから」
「そういえば、あの先生は元気なのかい?」
思い出したかのように神様はエリックの師匠筋にあたるロナルド・ベーコンの心配をした。彼はひと月ほど前に迷宮に匹敵する巨大な塔を魔法で生み出したが、それは構造的な欠陥によって大地に沈んだ。その際にロナルドは負傷したが、幸いにも命にかかわるものではなかった
いまでは学術院に復帰こそしていないが、エリックのために学術院から魔術師を数名派遣してくれている。基礎工事にあたって魔術師を借りられたことはありがたいが、自分がいまから行う建設の技術は彼らによってロナルドに報告されるに違いない。そういう意味では油断ならない存在ともいえる。
「元気ですよ。そうじゃなきゃ魔術師なんか派遣してもらえません」
「老いてなお盛んか。挫けない人間は強いね」
「先生はあの年まで忍耐をした人ですからね。俺にはその苦労は分かりませんでしたし、本当には理解できないでしょう。でも、認めるところはある先生です」
「仲の良いことで」
神様は呆れ顔をすると視線を迷宮の先端に向けた。
「私には仲間がいるのかな」
それは祈りにも似た小さなつぶやきであった。
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