第9話

「……八、九、十、十一、十二」


 エリック・コーウェンのとなりで濡れ羽色の頭が歩みに合わせてひょこひょこと動く。建物から建物までの歩数を数えながら歩く姿は少女のようであった。現に彼女の容姿は蠱惑的(こわくてき)な女性のものではない。はっきり言うなら貧相なのだ。だが、彼女は自称とはいえ『神様』なのである。


 それを捕まえて「まるで子供みたいですね」、と言うわけにもいかずエリックは苦笑いをした。


 赤椿の団と別れたあと、二人は目抜き通りから少し離れた路地をとおって屋敷に帰る途中であった。このあたりは下町と言ってよく、金持ちの住む魔法によって建てられた石造りの商家や建て増しに建て増しを重ねた手作りの木造や煉瓦造りの屋敷が雑多に混在している。露店も並んでおり、歩いていて飽きることはない。


 神様は様々な様式の家々がならぶ姿が面白いのか大きく足を広げて歩いている。その姿がどうにも童遊びのけんぱに似ていてエリックはその姿を微笑ましく眺めていた。


「楽しそうですね」


 子供みたいで、という主語を隠してエリックが訊ねると神様は彼を見ずに言った。


「どこが楽しそうに見えるの? 私は猛烈に不機嫌だよ」


 建物の角まで足早に進むと、神様はくるりと振り返った。彼女のしっとりとした黒髪がふわりとはねる。


「そうなんですか?」


 彼女の表情は確かに怒っているようであったが、それは憤怒というよりもふてくされている、というのが近いものであった。エリックは神様が何に怒りを覚えているのか分からず目を白黒させた。


「エリック、はっきり言おう。この世界は停滞しているよ」

「停滞? それはどういう意味ですか?」

「池の魚は川を泳ぐ魚の苦しみが分からないか……」


 困惑するエリックを尻目に神様はひとり納得したように溜息を吐いて捨てると、改めてエリックに向き合って言った。


「すべては魔法が悪い」

「は?」


 エリックは阿呆のように口を開いていた。魔法が悪い、と言われても彼にはそれがどういう意味か分からなかった。魔法は技術の一つである。魔力に一定の方向性を持たせることで火を起こすあるいは水を生み出す、そういうものなのである。


「魔法はあまりにもオールラウンドすぎる。エリック、考えてみなよ。たった一人の人間が建築も戦争も水汲みだってできる。そう魔法ならね」


 神様はにやり、と微笑むとさらに続けた。


「だけど、魔法使いに頼り切った生活というのは、他の人にとってはどういうものでしょう?


『俺たちが石を積むよりも魔法使いがやったほうが早いし綺麗だ』

『俺たちが百人あつまっても魔法使いのおこす炎には勝てない』

『苦労して溜池を作るよりも魔法使いに水を作ってもらったほうが手っ取り早い』


 そんな風に思って不便を便利に変えよう、とはならないのではないか。それに魔法使いも思ってしまうんじゃないかな。


『コイツらは俺たち魔法使いがいなければ何もできない』、と」


 魔法は確かに誰もが使えるものではない。だが、魔法を使うために必要な魔力は大小の差があれど誰しもが持っている。つまり、魔力に方向性を与える技術を学べばある程度の魔法は誰もが使える、といってもいい。


 しかし、人には足が早い遅いがあるようにどうしようもない個人差は存在する。魔力を操る才能。それのあるなしが魔法にとっては大きな差になる。それが魔法の敷居を高くしていると言っていい。大きな才能があれば神様の言うとおり一人で万能を気取ることもできる。だが、ないものはばいくら理屈を学んでもいたれる頂(いただき)はしれている。エリックは自分たちが使っている魔法がどれほど不平等なものか改めて気づいた。


「つまり、神様は俺たち魔法使いが傲慢で、そうでないものが怠惰だと?」

「極論すればね。だけど、魔法があることでそれとは別の経路で進歩するテクノロジーは完全に停滞している、というのは間違いないよ」

「そのテクなんとかっていうのは魔法と何が違うんです?」


 エリックは難しい顔で訊ねた。


「……例えば塩かな」


 神様は少し考え込むと路地に広がる露店の中から塩商人を指さした。急に指さされた塩商人は一瞬驚いたような顔をしたが、二人が塩を買い求めている、と思ったらしく安くするよ、と言った。


「塩ですか?」


 露店にはごろごろとした岩塩や袋に入った粉状の塩が所狭しと並べられている。


「そうソルトよ。エリック。ちなみに塩を作るにはどうすればいいでしょーか?」

「海水を煮詰めればいいと思いますけど」


 エリックは露店の表に並ぶ塩の中から少し焦げの混ざった塩袋を指さした。いわゆる釜焚きと呼ばれるもの海からくみ上げた海水を煮詰めて作られる塩である。


「そうだね。ほかにも塩田で作る方法もある。こちらは釜焚きよりも大量に作れるし燃料も少なくて済む。だけど塩砂をかき混ぜたり、天候的にも雨を嫌う、という問題もある」


 神様はそう言って真っ白な塩の結晶の袋を指さす。塩田の塩は釜焚きの塩よりも結晶が大きかった。同じ塩でも確か違いがあるものだとエリックは驚いた。


「で、それがなんなんですか?」

「エリックは察しが悪いね」


 神様は頬を膨らませて不満をあらわにするが、瞳は笑っているのでエリックは少し安堵した。


「結果として塩を獲るにしても方法はさまざま、ということだよ。つまり、魔法で火を熾すだけが方法じゃない。火打石を使う。木を擦り合わせる。黄リンを使うなんて方法もある。つまりは方法なんだ。この場合、方法は技術といってもいい」

「魔法という一つの技術に拘るからほかの技術が進歩しないと?」

「ピンポーン。正解!」


 神様はエリックの顔を指さすとにやりと笑った。塩商人は二人が商品を買ってくれるのか、冷やかしなのか分からずに顔をひねっている。それを察してか神様は「その岩塩くださいな」、と言った。もちろん支払うのは彼女ではない。エリックは講義料だと思って商人に銀貨一枚を握らせた。


「……塩はまだ足りてるんだけどなぁ」

「いいじゃない。腐るものではなし」


 銀貨一枚は多すぎたのか商人が包んでくれた岩塩はエリックが考えるよりもずっしりとくる重さになった。ルークラフト帝国が大陸を統一する以前は同じ銀貨一枚でももっと少なかった。たった数年で変わるものだ、とエリックは驚いた。


「技術を向上させるうえで必要なことって何だと思う?」


 エリックの手に余る岩塩を手に持った神様が問いかける。彼女の手の上では三つの岩塩がお手玉のように宙を舞っている。歩きながら器用なものである。


「画期的な発見をするある種の天才の登場じゃないですか」

「キーパーソンの発生か。その考えでいけば魔法はどうだろう?」

「ここ数百年でそんな天才は現れてません。魔法は常に一部の人間が変わらぬ技術として伝統のように使っています」


 エリックは両手に抱えた岩塩を落とさぬように慎重に歩く。その隣を神様がすました顔で歩いている。その顔を見ているとあと一つ二つ渡しておけばよかった、という思いが消えない。


「悪くはないけど、基本的には技術の向上は、普及の上にあるんだよ。一般化と言ってもいい。たくさんの経験が蓄積するなかで生まれた例外的な事象を解き明かすことでパラダムシフトが生じる。ではなぜ魔法技術に進歩がないのか?」

「一般化していないから」


 岩塩をひときわ高く放り投げると神様はイグザクトリィ、と言ってほほ笑んだ。


「そう、魔術師という少ない母集団の中だけで継承される技術、と考えれば魔法が進歩しないのは単にサンプル数が不足してるんだよ。天才を必要とするのはその時。既存の技術や知識では例外となる問題を解決するための天才。それこそがキーパーソンと呼ばれるものだよ」

「神様はソレなんですか?」


 エリックの問いに神様は少し考え込んだ。そして少し陰のある笑みを浮かべた。


「私はキーパーソンじゃない。きっとシンギュラリティとかサブリミナルだよ。エリックたちの世界にとっては異物と言っていい。本来あるべき進化の樹形を乱す存在だ。だけどね。私にはやるべきことがある。その一つは君にあの塔のような高層建築を作らせること。そして、もう一つはあの塔の頂上で私を待っている」


 神様の目線を追ってエリックも王都のそとにそびえる双角の塔――第一迷宮を見た。この世界における不可能の象徴。そして、エリックの夢である。では、神様にとってあの塔はなんのか?

 エリックは改めて考えざるを得ない。


 神様はあの頂上で何をしたいのか。


 彼女は何一つ語らない。訊ねれば適当な議論に巻き込まれ、さらに煙に巻かれる。この点に関してはエリックと神様の関係は停滞していると言えた。それを彼は残念に思う。だが、知ることで知る前に戻れなくなるという恐怖はある。


 彼女が口を閉ざしているのが自分への気遣いだとすれば、それを問うことは心無いことである。


「エリック! なにをぼーっとしている? さっさと帰ろう。岩塩をお手玉することも飽きてきた。早く帰って夕飯にするんだよ。なんならあの口うるさいメイドが一緒でもいい。今日はよく歩いたし肉が食べたいよね! 肉!」

「神様、そう言って昨日も肉でしたよね?」

「あれは肉じゃないよね。シチューだよ。しかも牛乳たっぷりの。私はビーフシチューのほうが好きなの。っていうかこー肉を焼いたのがいい。肉汁がじゅわっとしたたる感じの」


 見た目の割には小難しいことをいうこともあれば、実に子供じみたことも言う。神様はまだまだ自分にはわからぬことがある。エリックはそう考えて思考をやめた。当人に話すがない以上、こちらが気をもむのは馬鹿らしい、ということもあるが夕飯の間くらい「いいか」、と思ったのだ。


「それだとまた外食ですよ。俺は嫌ですよ。岩塩持ったままとか」

「なら、急いで家に置きに行こう! すぐ行こう」


 そういって駆け出す神様をエリックは追った。手元ではぐらぐらと岩塩が揺れていた。家に着くまでに二、三個は落ちるだろうな、と彼はため息をついた。

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